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 梅花が宴に参加すると認められた、文を桃苑から受け取ったのは寒梅が咲く頃である。  文に目を通した白桜は、さほど驚きはしなかった。なんとなく、こうなることを予感していた。  梅花が宴に参加するのならば、こちらとて何もしない訳にはいかない。春玲に気づかれぬように、先手を打たねばならない。  白桜の計画が水面下で動き出す。    白桜は夜分遅くに以前、落雁を作ってくれた尚食の女官を宮に呼び出していた。  女官は蕾柚(らいゆう)といい、梅花とそう歳が変わらない少女である。 「では、白桜様の想い人が花見の宴に参加なさると」  梅花の文に目を通し、一通り経緯を聞くと蕾柚は白桜や桃苑に念押しをする。  二人が揃って頷くのを見た蕾柚は、神妙な顔をする。白桜の背後に控えている、桃苑が入れた暖かな茶を啜る。  日頃、冷たい水に手を晒しているからだろう。蕾柚の両手はさかつき所々にあるひび割れが痛々しい。 「して、わたくしは何をすれば……?」  湯飲みを置き、顔を上げ白桜と視線を合わせる。 「そなたには、宴が終わるまでの間、母上を見張って貰いたい」  蕾柚の問いに、白桜が答える。 「王妃様を監視せよと仰せですか。  桃苑様がいらっしゃるのに?」  蕾柚が眉を顰める。彼女としては白桜が何故、桃苑ではなく自分を監視に抜擢したのか、腑に落ちないのであろう。  蕾柚の指摘に、桃苑は気まずそうに視線を逸らす。 「監視というのは大袈裟だが、それと近いことになるであろう。  私も本来ならば、桃苑に頼みたいのはやまやまなのだが……。桃苑は母上に顔が割れている。故に、傍でうろつけば母上は真っ先に私を疑う。  そなたが母上の近くをうろついても、母上は不審には思わぬだろう。そなたは、あくまでも尚食の女官」  白桜の思惑を知った蕾柚は、納得したと言わんばかりに頷く。 「そこまでして……。お母上である王妃様や王宮を敵に回してさえも、想い人を護りたいのですか」  素直な問いに、白桜は鼻で笑う。 「私のことが滑稽に見えるであろう?  王宮や国の行く先より、己の色恋のために動く王子に幻滅するか?」  自虐的な物言いに、蕾柚は「いいえ」と言い切り頭を振る。 「わたくしは、白桜様のことを滑稽などとは思いません。寧ろ、ご自分の意思を貫く姿、見習わねばなりません」  手放しに称賛され、白桜はなんとも面映ゆい気持ちになる。  己は称賛されるような人ではないのは、白桜自身よく分かっている。  王族の身分に背き、母である春玲の命に反発し、王宮さえも敵に回している。たった一人の想い人と、添い遂げたいという私欲のために。 「称賛されることでもない。  私はただ、想い人を好いている。それ以上でも、それ以下でもない」  今度は、蕾柚が面映ゆく感じる番である。  躊躇なく想い人への恋心を口にする白桜に、蕾柚は思わず視線を逸らす。 「此度の頼み、無理にとは言わぬ。  母上に気づかれた場合、そなたも危険に晒すやも知れぬ。  だが、もし上手くいけばそなたには褒美をやろう」  白桜が口にした、“褒美”という一言に釣られたのか、蕾柚は顔を上げる。 「褒美でございますか」蕾柚が身を乗り出す。期待からか、瞳に光が宿る。  その様子に若干、圧倒されながら白桜が口を開く。 「まぁ。大層なものはやれぬが……。  望みの一つや二つなら、叶えてやろう」  後先考えず勢い余った白桜の物言いに、桃苑の鋭い視線を感じるが気にしない振りをする。 「考えておきます」蕾柚の賛同に、白桜は笑みを浮かべる。  そのまま、三人は具体的な算段を練っていく。 「具体的にはなにを……。  ご存じの通り、わたくしは尚食の女官でございます。故に、持ち場を離れる訳には参りません」 「だが、尚食の女官だからこそできることもある」  白桜の言葉の意味が分からず、蕾柚はまたも怪訝な顔をする。 「母上が宴に出す料理に、なにか細工をするやもしれん」  物騒な発言に、蕾柚が目を瞠り息を呑む。 「それは……。王妃様が食事に、毒を盛るやもしれぬ、と」 「そうだ」白桜の躊躇ない返答は、蕾柚の顔に畏怖と不穏の色を浮かび上がらせる。 「私と想い人の関係を厭い、なんとかして引き裂こうと策略を練っている母上だ。そこまで考えていても不思議ではない。  もしかしたら、想い人だけではなく父上まで手に掛けるやもしれぬ」  想像よりも切迫した状況に、蕾柚は白桜の頼みを受けたことを後悔する。しかし、今更断ることは気が引ける。  蕾柚の胸中を知ってか知らずか、白桜は話を続ける。 「故にそなたには宴の前夜、尚食にて不審な動きがないか見張って欲しい。母上自身が直接、毒を仕込むのではなく女官など他の者を利用する可能性もある」  白桜の頼みはこれだけではない。 「そしてもう一つ。宴の当日、隙を見て……」  白桜の二つ目の頼みに、蕾柚は一瞬躊躇うような間を開けるが、直ぐに「承知いたしました」と承諾の意を示す。  蕾柚を帰してから、桃苑が白桜に声を掛ける。 「よろしかったのですか。  あの女官にこのようなことを」 「巻き込みたくないが仕方がない」  白桜の物言いに、桃苑が頭を振る。どうやら、言い分は違うらしい。 「そうではありません。  わたくしは、後先考えず“褒美をやる”などと、ご発言なされたことに問うているのです」  先程の鋭い視線は、白桜の発言に苦言を体したものだったのだ。 「万が一、あの女官が梅花殿ではなく、自分を正妻にして欲しいと、願い出た場合どうなさるおつもりですか。  まさか、ご高察ではない訳ではございませんよね」  桃苑の軽蔑するかのような視線。桃苑の指摘に、白桜は「あ……」と呆けた声を上げる。  白桜の反応に、桃苑は盛大にため息を吐く。主の軽率な言動に心底唖然とする桃苑である。  正直言って、そこまでは考えていなかった。どうしたら、梅花を春玲や桜薫から護ることができるか。そのことに、重きを置きすぎていたのだ。  恋は盲目だと、改めて思い知る。  “望みの一つや二つなら叶えてやる”と大口を叩いてしまった手前、今更やはり褒美はなしと掌を返すような真似は避けたい。  幸い、蕾柚は白桜と梅花の関係を、好意的に見てくれている。故に、自分を正妻になどと願い出ることは、ないと思いたい。しかし、万が一ということもある。  白桜の胸中を察し、桃苑は口を開く。 「兎に角、あの女官の望みが、そうではないことを願うしか今は成す術はございません」  白桜も桃苑と同じ思いである。  蕾柚に頼みごとをした翌日の昼間。  白桜は、梅花に贈る文を認めていた。文には、春玲と桜薫の動きに対処するため、こちらが先手を打っている旨を認めてある。 「桃苑」立て文を桃苑に手渡す。  桃苑は文を失くさぬように、懐に忍ばせ宮を後にする。夜見店が始まるまでに、梅花に文を届けるのである。  少し開いた、障子の隙間から微かに梅の香りが漂う。白桜は、香りに頬を緩ませる。  
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