判決

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判決

 証言を終え戻って来た梅花を、桃苑は安堵の表情で迎える。 「あれで良かったのでしょうか」  梅花が桃苑の表情を窺いつつ問う。桃苑は大きく頷く。 「証言としては充分です。ありがとうございました」  二人は群衆に背を向ける。  城門を潜り、帰路に着こうとする梅花に、桃苑が番傘を開き差し出す。  梅花は番傘を受け取り、会釈をする。証言している間は霧雨だったが、雨脚が強まり今は門瓦を叩いている。 「一人で平気ですか。よろしければ、妓楼までお送りいたします」  桃苑の申し出に、梅花は頭を振る。 「いえ。一人で構いません」梅花は、にこやかに微笑み、一歩足を踏み出す。 「梅花殿」梅花の背に桃苑が声を掛ける。  桃苑の声に足を止め振り返る。 「この裁きが終われば、本格的に貴女様を王妃に迎える話が進むでしょう。  王妃様を支持していた政派はともかく、王様と白桜様そしてお二人を支持する政派の官吏らはそのつもりです。故に貴女様も心づもりを」  桃苑の言葉に梅花はこくりと頷く。    王宮から背を向け、歩きながら梅花は表情を引き締める。 いよいよか―。  待ち望んだその日が、近づいていることを実感し、ずっしりと鉛を背負ったかのような思いである。  梅花は足を止め、背後を振り返る。  既に、桃苑の姿はなく城門も閉じられ、城門の前には二人の官吏が警備の為に仁王立ちしている。  梅花の姿を認めた官吏は、会釈をする。梅花は会釈を返し、歩き始める。  二日間の証言を聞き終えた桜月と白桜は、大理寺の判決を審議する為の部屋で、官吏らと共に審議を重ねていた。  部屋には几と椅子が円状に並べられ、桜月から時計回りに白桜や兵部の官吏と大理寺の官吏が椅子に腰を下ろしている。  大理寺の長官が口を開く。 「此度の件は、逆賊に価しましょう。故に、問答無用に斬首(ざんしゅ)というのはいかがでしょうか王様」  冷ややかな物言いに、桜月の表情は硬い。 「四人全員か」桜月の問いに、長官は「左様にございます」と答える。  長官がこのように発言するのには、春玲、桜薫、白蓮が述べた証言に理由がある。三人とも反省の色を見せず、片や白桜の為に、片や己を捨てた王室と国王に復讐の為に、片や己の恋心の為に、と責任を転嫁し言い逃れを続けるものであった。  桜月をはじめ、他の者が隣同士互いに視線を交わす。 「四人全員というのは、矯枉過直(きょうおうかちょく)ではございませんか。実際に、毒酒の混入や材料の手配を行った者はまだしも、何も知らなかった柊明様まで斬首とは……」  官吏のひとりが、苦しげに言う。  三人が責任を転嫁し、言い逃れを並べた証言だったのに比べ、唯一反省の色を見せたのは柊明である。  柊明はひたすら、左丞の立場でありながら、愛娘の異変に気付かなかったことを詫び、愛娘が重罪に手を染めたのは己の責があると、自らを責めるものだった。 「民の中には、四人全員同じ罰では、判決は朝廷の独裁だとあらぬ誤解をするやも知れません」 「だが、この国の法では連座で罪に問う者は、他の者と等しく裁くことになっております。故に、例え反省の色を見せた国の重鎮だとしても、法に背くことはいかがなものかと」  長官は静かに、言葉を紡ぐ。 「白桜」不意に桜月が息子の名を呼ぶ。白桜は「はい」と答える。 「そなたなら、此度の件をどう裁く?  そなたが王なら、どのような方法で罪を償わさせる?」  思ってもみない問いに、動揺する白桜である。暫しの間、沈黙が満ちる。  ただ、罪人を裁くのとは訳が違う。自分を生み育てた母、腹違いの兄、そして自分に好意を抱いている女人を裁き罪を償わせる。  故に、結論を出すのは容易ではない。  特に春玲に関しては、幾ら親子の縁を切ると宣言しても、そう簡単に割り切れるものではない。  白桜は深呼吸をすると、徐に口を開いた。  通常の裁きで判決が決まるのは、証言を聞いた日から三日程度後。だが、此度は王族と国の重鎮が関わっていたことで、通常よりも長い時間を要し、梅花が証言してから七日程経過した日に、判決が下されることになった。  証言を聞いた日は、黴雨らしく雨が降り続いていたが、この日は黴雨の晴れ間とも言えるような、雲一つない快晴が広がっている。  七日前と同様に、判決は外廷の広場で行われる。金烏殿の前に、三組の几と椅子が(しつら)えられ、桜月を挟み白桜と大理寺の長官が腰を下ろす。  金烏殿に通じる石段の下では、四人の罪人が桜月と白桜に視線を向けている。正確には、視線を向けているが瞳には何も映っていない。  四人とも椅子に身体を縛られ、両足も紐で縛られている。証言を聞いた日と同じく弊衣蓬髪であり、季節柄微かに()えた匂いも漂ってくる。  四人の背後には、数人の衛尉の官吏が警備の為に、槍や刀を手にし仁王立ちしている。衛尉の官吏の前には、大勢の群衆が集まり裁きの開始を今か今かと待っている。    時が満ちたのか、桜月と白桜、大理寺の長官が小さく頷き、桜月は判決が認められた巻物を開く。  一拍置くと、桜月が口を開く。 「此度、罪人らが起こした、王室と朝廷を混乱に貶れ、更に王である余と王子の想い人を亡き者にしようとした件は、謀反と捉え重罪と見なす。  まず左丞・柊明は、本来ならば連座故、娘と同じ罪を負うのが妥当であるが、此度は娘の思惑を知らず反省の色を見せていること、何より長年、左丞として国と政に貢献した功績を考慮し、官位を剥奪し宮刑に処す」  判決に群衆が騒めき立つ。  柊明は下を向き肩を震わせる。戦慄く唇から、「恐悦至極に存じます」という言葉が発せられた。  娘が謀反を働いたのだ。娘と共に、斬首になって当然と思っていた。  故にまさか、宮刑で済むとは思ってもいなかった。官奴の身になれば、王宮か行宮どちらかで働くことが出来る。  それも、宮刑が執行され、処置が上手く行けばの話だが……。処置が失敗すれば、死ぬこともある。  柊明の歔欷する声が聞こえる中、裁きは進む。 「続いて、王妃・春玲と王子・桜薫は、謀反の首謀者であること、また計画性があり、王宮と朝廷を混乱に陥れた点からも鑑み、王族の身分を剥奪し斬首に処す。また戒めのため、首は城門に晒し首とする」  桜月の言葉に、春玲も桜薫も動揺は一切見せず、静観している。更にはあろうことか、春玲は微かに笑みを浮かべている。    桜月の判決を聞きながら、白桜は白蓮に視線を向けていた。  先程から、白蓮が落ち着きがないように、白桜の瞳には映っていた。 何を気にしているのだろう―。  通常、考えれば己の判決だが、此度はそれだけではないように思える。白蓮は、何度も確認を取るように、襦裙の懐に手が触れる。  白桜が白蓮に注目しているうちに、春玲と桜薫の判決が読み上げられ、残すは白蓮の判決のみとなる。  此度の判決で一番、意見を分けたのは白蓮の判決である。  謀反に関わったことは間違いないが、首謀者でもなけば犯行を計画したわけではない。白蓮が行ったのは、麝香豌豆を買い求め春玲らの計画を、隣で聞いていたことのみ。  この罪への関り方が、意見を分けた。  最終的に、計画を知っていながら、父である左丞に報告せず、計画に加担したことが決定打となり刑が確定した。  桜月が白蓮に視線を合わせ口を開く。 「左丞の娘・白蓮は、己の恋心という自分勝手な理由のみで、王妃らの計画に加担したこと。また左丞の娘の立場があり、計画を知りながら左丞に報告を怠ったことから、本来なら斬首も免れぬが……」 「お待ちください!」桜月の言葉を白蓮が遮る。  群衆の視線が一斉に、白蓮に向く。 「わたくしの判決は必要ございません」  場違いな言葉に、群衆が騒めく。裁きの場で、“判決は必要ない”とは何を意味するのか。 「この期に及んで、罪を免れようと言い逃れするつもりか」  大理寺の長官が、静かに糾弾する。しかし、白蓮は頭を振った。 「そうではございません。罪は償います。  ですが、王様の王命ではなく、自分の罰は自分で決めます」  白蓮は言い終わると懐を探る。白蓮が手にしたのは、小ぶりな青碧(せいへき)色の陶器である。  その陶器を目にした刹那、春玲が息を呑む。  陶器は宴の前夜、白蓮から分けて欲しいと頼まれたものである。 中には……。  これから白蓮の行動を予想し、春玲は身震いする。  白蓮はこの場に不釣り合いな程、優し気な笑みを浮かべ、白桜に慈愛に満ちた視線を向ける。 「白桜様。わたくしは、(ひとえ)に貴方様のことを好いております。  わたくしの願いは、王妃の地位でも政の実権でもございません。貴方様のお傍にいること。  それが叶わぬのなら、罰を受け生きていても意味はございません。  来世で、貴方様にもしお会いすることがありましたら、お傍にいてもよろしゅうございますか。どのような形であれ、隣りで生きてくださいますか」  白桜の答えを待たず、白蓮は手にしている青碧色の陶器の蓋を開け、一気に煽る。  群衆から喧騒が聞こえる。  黒い液体が、唇の端からこぼれ白い衣を汚す。   「白蓮!!」白桜と柊明の声が揃う。  思ってもいない事態に、白桜をはじめ、金烏殿の前に腰を下ろしていた三人は、立ち上がり白蓮の様子をぼんやりと眺めているしか術はない。 「誰か医官を……!」声が裏返る。  桜月の言葉に、弾かれたように警備を行っていた、官吏が内廷へと走り抜けて行く。    白蓮の喉から、喘鳴が聞こえ、目が虚ろにななる。更に、四肢がだらりと脱力し、俯くような体勢になる。  手から陶器が滑り落ち、派手な音を立て割れる。幽かに残っていた液体が、漆黒の染みを作る。甘い臭いが鼻に付く。    官吏が医官を連れ、外廷に戻ってきた時には、白蓮は椅子からずり落ちるような体勢になっていた。  官吏が刀で、白蓮を縛っている紐を切り、横にする。医官がそっと、首に手を触れ頭を振った。 「王様。女人は既に、こと切れております」  静かな医官の言葉に、柊明が肩を震わせる。官吏が柊明を縛っている紐を切る。  自由を得た柊明は、立ち上がり覚束ない足取りで愛娘に歩み寄り座り込む。 「白蓮……!」愛娘の身体を揺すり名を何度も呼ぶ。しかし、白蓮が目を覚ますことはない。 「どうして……!」目を覚まさないことを理解すると、次は医官にすがり付く。 「陶器に入っていたのは鴆毒でございます。  飲んだのは、陶器の半分程の量。ですが、これだけでも致死量としては充分かと存じます」  医官の衣を掴んだまま、柊明は肩を震わせる。  一連のやり取りを、見守っていた春玲が口を開く。 「お嬢様は恐らく最初から、計画が上手く行かなかった場合は、自害をするつもりだったのでしょう。  故に、鴆毒が入って陶器を“お守り”として肌身離さず……」 「最初から自害するつもり故に、後悔も怖いこともなかったのか……」  桜薫も白蓮に視線を向ける。  晴天の空に、柊明の嗚咽と群衆のざわめきが聞こえている。
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