雪解

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雪解

 昼間は相変わらず容赦のない日差しが照り付けるが、朝夕に若干、鈴虫の鳴き声を耳にするようになる頃、梅花は楼主と芽李月に呼び出されていた。  罪人の裁きの結果と白蓮が自害を図った件は、妓楼でも持ち切りとなり、当然梅花の耳にも入っている。  梅花はその日の晩。楼主と芽李月の待つ、彼女の自室を尋ねる。 「失礼いたします」そう声を掛け襖を引く。部屋の中には、ふたり以外誰もいない。  王妃が斬首の刑に処され、王宮は一年間の喪に付す。それ故か最近、妓楼を訪れる官吏の数が減ったと、妓女らは語っていた。  この事態に、最も影響を受けているのは、客の多くが国の重鎮を占めている芽李月である。    楼主と芽李月と几を挟み、向かい合わせに椅子に腰を下ろす。  二人が目配せし頷き合う。芽李月は、懐から一通の立文を取り出し、几の上に置く。礼紙には、何も書いていない。ただ、国璽と玉璽が押されているのみである。 「数日前に、王宮から妓楼宛てに届いたものです。  内官によれば、貴女に関係があることだと」  梅花の顔を見つめ、芽李月が静かに切り出す。  芽李月の口振りからしてどうやら、文を開いて内容を確認するように、ということらしい。また、桃苑の名が出なかったことから、文を届けたのは桃苑ではないのだろう。  梅花は、そっと手を伸ばし立文を取る。紙縒りを解き礼紙を外す。文を開き、文字を追う。    文には、梅花を正式に白桜の正妻として認める故、来年の桜が咲く頃に入内するように、と白桜の文字ではない角ばった文字で認められていた。文にも、国璽と玉璽が押され印の上に、桜月の名が記されている。  更にもう一枚。こちらは白桜の文字で、再来年を目途に桜月が王座を退位し、己が王位を継承する旨、入内の前に一度王宮に参内して欲しい旨が認められていた。  俄かに信じられず、梅花は二枚の麻紙に認められている文字を、何度も目で追う。  芽李月と楼主に見えるように文を置く。  二人も文に認められている事柄に見入っている。  文を読み終わり、顔を上げた二人を認め梅花が口を開く。 「お二人は、この件をご存じだったのですか」  梅花の問いに、二人とも「いいえ」と頭を振った。 「国璽と玉璽が押された文を、無関係の者が開くことは法に違反する。  故に私も芽李月も、内容は今知った」  楼主が発言い終えると、次は芽李月が口を開く。 「私も楼主もこの文は、王様から貴女への王命だと捉えています。  故に、背くことは致しません」  芽李月の発言に、梅花は目を瞠る。 「ですが、私は妓女で……。妓女が、外で生活するには身請けが必要では……?」  梅花の問いに、芽李月はこくりと頷く。 「確かに、本来ならばそうでしょう。ですが此度は王命故、規則に当てはまらないと私たちは考えています」 「王室に身請け金を要求するとなれば、その金子は民の税だ。  民にとって、自らの税をそのような形で使われると知れば、黙っていないだろう。今よりも、更に妓女が生きにくい世になるやもしれん。  もしかしたら、お前の入内も白紙になっていたことも十分にあり得る」  楼主の意見に、梅花は納得し口を開く。 「故に王様は、“王命”という形で此度のことをお決めに」  自分で口にして、いやそれだけではない、と予想する。恐らく、白桜が何かしら口添えをしたのだろう。  去り際、芽李月が神妙な顔をし、梅花に声を掛ける。 「入内の件は、もう暫く伏せておいた方が良いでしょう。  どうか、ご内密に」  芽李月は自分の口の前で人差し指を、そっと立てる。  芽李月の助言に頷き、手にしていた文を懐に仕舞込む。  揖礼を捧げ、部屋を後にする。  まだ、自分が入内する実感が湧かず、宙を歩いているかのような感覚である。    自室に戻った梅花は、懐に仕舞込んだ文を取り出し、慎重に文筥に仕舞う。  幸い、部屋には芽李花や華琳も居らず、梅花ひとりである。  几の引き出しから、麻紙を取り出し墨を擦り、筆に含ませると白桜に向けて、文を認め始める。  白桜から、王宮に出入りする為の手形を渡されてから、裁きで証言した時以来、一度も王宮に足を運んでいない。  白桜に会いたくない訳ではない。ただ、王宮という場への威圧感と気後れからである。  梅花から文が届いたのは、それから数日後のことである。  この数日で日に日に残暑が落ち着き、夜には鈴虫だけではなく興梠(こうろぎ)轡虫(くつわむし)の声も耳にするようになった。  白桜は桃苑から、文を受け取る。紙縒りを解き、礼紙を外し、文を開くとほんのり、梅の香りが漂う。  文には、王命を承った旨に始まり、王宮に参内するのに都合の良い日取り、更には口添えに関しての謝意が認められていた。 やはり、気づかれたか―。  白桜は文に目を通し、肩を震わせる。    梅花の予想通り、桜月に口添えをしたのは、他でもない白桜である。  王命という形ならば、妓楼も背くことはしないだろうと、自負し桜月に口添えをした。  身請けという形を取らなかったのも、これ以上梅花ら妓女が生きにくい世にしない為であった。もっと言えば、入内するのに罪悪感を抱いて欲しくなかったのである。    恐らく春玲が生きていた頃に、同じことをしても彼女によって妨害されていただろう。言葉は悪いが、春玲がいなくなった今だからこそ、出来ることである。  白桜は文を読み終えると几の上に文筥を置き、そっと文筥を開ける。中には、梅花と交わした文が収められている。  白桜は文の上に、先程読み終えた文を置き、文筥の蓋を閉める。  残暑が落ち着き、都の樹木が色づき始める頃。  陽の暖かさを感じつつ、梅花は手形を握り締め、王宮の城門前に立っている。金木犀の香りが漂う。  この日梅花は、白桜を訪ねていた。桜月に拝謁し、白桜と共に入内してからのことを、協議することになっている。  花見の宴で、顔を合わせたとはいえ、宴に場ではただ一定の距離から眺めていたのみであり、言葉を交わすのもこれが初めてである。  梅花の胸は、早鐘の如く打っている。  息をひとつ吐き、梅花は足を踏み出す。  城門の警備をしている、白い喪服を身に纏った官吏に、手形を見せる。官吏が頷くと、城門が開く。梅花は恐る恐る城門を潜る。  王宮内は平穏を取り戻し、多くの官吏や内官また女官が、自らの職務を遂行している。ただ、裁きの時と違うのは、官吏や内官または女官が皆、白い喪服を身に纏っていることである。    梅花が城門の前で、足を止めていた同時刻。  正殿の前で、白桜と桃苑が梅花のおとないを、首を長くして待っていた。  白桜は正殿の前を、右に左に歩き回り落ち着きがない。 「桃苑。やはり、迎えに行った方が良かったのでは……」  隣に控えている桃苑に、不安げに漏らす。 「案ずる必要はございません」  桃苑は楽観的に言う。 「だが、迷子になっているやも……」  白桜の弱気な発言に、桃苑は盛大にため息を吐く。白桜は桃苑をじろりと睨む。 「梅花殿は子どもではございませんよ。  裁きの証言の際も、お一人でお越しになりました。  第一、白桜様が妓楼まで行かれる方が、逆に目立つでしょう。梅花殿を護りたいのならば、下手に動かぬ方が良いとわたくしは思います」  きっぱりと言う。  白桜の梅花のことになると、周りが見えなくなる状態を桃苑は危惧している。  それから暫くして、梅花が内廷に姿を現す。  梅花の姿を認めると、白桜は破顔する。  二人の前に歩み寄り、梅花は揖礼を捧げる。  二人は、裁きの時と同じく、白桜が紺色の深衣、桃苑が次縹色の深衣を身に纏っている。二人以外の者が皆、白の衣故かそこだけ、色が付いたかのように見える。 「梅花殿。お待ちしておりました。  王様がお待ちです」  固い表情の梅花に、桃苑が声を掛ける。  梅花がぎこちなく頷く。 「そんな気後れせずとも良い。  父上も梅花に会えることを、楽しみにしていらっしゃる」  白桜の言葉で梅花は、面映ゆくなり照れ笑いをする。 「梅花」優しい声音で名を呼び、そっと手を握る。  梅花は、繋いだ手を握り返す。  手を繋いだまま、石段を上がる。  二人の姿を認め正殿前で警備を行っていた官吏が、「白桜様が拝謁に参りました」と声を掛け扉を開く。  頷き合い、正殿に足を踏み入れる。    中には玉座に腰を下ろす、精悍で威厳のある桜月の姿。宴の時と同じように、唐紅の深衣を身に纏い、頭上には冕冠を被っている。手には、桜色の笏を握っている。  口を一文字に結んで、鋭い視線を白桜と梅花に向けているその姿は、梅花に畏怖と動揺を与えるのには十分である。  桜月の姿に、梅花は先ほど白桜が口にした、“梅花に会えることを楽しみにしている”という言葉は、出まかせではないかと疑念を抱く。  白桜は再拝稽首をし口を開く。 「父上、ご紹介いたします。  彼女が、わたくしの想い人である梅花にございます」  白桜はそう言い終えると、梅花に目配せする。  それまで、桜月の雰囲気に圧倒されていた梅花は、はたと我に返り見よう見まねで再拝稽首を捧げる。 「お初にお目にかかります。  わたくし、月花楼にて妓女をしております。梅花と申します。  どうかお見知りおきを」  口上を述べる声が震える。 「面を上げよ」桜月の低い声。  二人が顔を上げたことを認めると、桜月は立ち上がり、玉座に続く階を降り二人と対峙する。  梅花に視線を向け、口を開く。 「宴での舞は見事であった。  そして、王妃の企てに巻き込んですまなかった」 「お褒めをいただき光栄でございます」  一国の王に、声を掛けられ梅花は、ぎこちなく答える。  梅花の反応に、桜月は頷き笑みを浮かべる。 「して父上。  これからの件ですが、はじめに梅花が入内するのは、来年の桜の咲く頃で宜しいでしょうか」  白桜が確認をとる。 「左様」桜月が短く答える。 「具体的は日取りは、時が来たら文で知らせる故、心づもりを」 「承知いたしました」  桜月の言葉に、梅花は深く頷く。 「次に、入内した後に梅花が住まう宮ですが……」 「それならば、そなたが即位するまでは翠雨宮で、即位した後は月旭宮で暮らせば良かろう」  白桜が話終わらぬうちに、桜月が口を挟む。  桜月が梅花に視線を合わせ、ふと微笑む。    桜月の笑みに、梅花はぎこちなく笑みを返す。 「父上」白桜が口を開く。  桜月は白桜に視線を戻し、微かに首を傾げる。 「翠雨宮はともかく、月旭宮は母上が在位をしていた頃のままでございます。そのような宮に、梅花を住まわせるおつもりですか」  白桜としては、春玲の痕跡がある宮に、梅花を住まわせることは避けたいのが本音である。例えそれが、王妃の務めだとしても。  白桜の杞憂を慮るかのように、桜月が「案ずるな」と言葉を発する。 「即位する前に、宮の掃除は勿論、王妃が使っていたものは全て処分させる。  また、王妃に付いていた女官は全て、配置換えや暇を出させる。  王妃に付いていた女官を、あの宮に留まらせておけば、梅花に危害を加えるやもしれぬ。  可能性を潰しておいた方が良い」  君主が変わることは即ち、時代が変わることを意味している。故に、王室の印象を心機一転させる為に、春玲に関わった女官や内官・官吏らは、それぞれ配置換えや暇を出すなど、策を講じる。  桜月の言葉に、白桜と梅花は“それならば……”と、視線を合わせ互いに頷き合う。 「入内には、梅花は身一つで構わない。  衣食住、生活に関するものは全て、こちらで用意する故。  どうしてもというならば別だが……」  白桜の言葉に、梅花は大きく頷く。  話を終え、白桜が暇を告げ正殿を後にする。梅花も白桜の背に続こうと、踵を返しかけた刹那。桜月が梅花の名を呼んだ。 「梅花」突如、桜月から名を呼ばれ、目を丸くしつつ「はい」と答える。再度、桜月と向き合う。 「白桜のことよろしく頼む。あやつは、心優しいがその分、情に流され丞相や官吏、民と板挟みになるやも知れぬ。君主は孤独だ。  故に、そなたには白桜の一番の味方で、白桜の話を聞き、支えてやって欲しい」 「承知いたしました。  白桜様が、君主に即位された暁には、わたくしが白桜様をお支えいたします」  梅花の決意に、桜月は「頼もしいな」と呟き、目を細め笑みを浮かべる。  桜月の笑みに釣られ、梅花も笑みを浮かべる。  来た時には頭上にあった太陽が、帰路に着く頃には西に傾いている。  妓楼の門を潜り、建物の中に入る。  今日妓楼は十日に一度の休日で、営業はしていない。それ故、都に出かけている者も多い。  梅花は階を上がり、自室に向かう。自室の襖に手を掛け、そっと引く。  梅花の帰宅に部屋の中にいた、芽李花と華琳が揃って襖の方を見る。そして、なにやら二人でひそひそと囁いている。    妓楼内で白桜との関係が、表沙汰になってから二人とは必要最低限の会話しか交わしていない。  このまま、軋轢が生じた状態で、妓楼を去るのかと思うと、胸が痛む。    無言で二人の横を通り過ぎようとする。と、その刹那―。 「梅花」声を掛けたのは、芽李花である。  突然のことに、梅花は肩をびくつかせ、ゆっくり芽李花を見る。 「座って。話したいことがある」  芽李花に勧められ、釈然としないまま畳に腰を下ろす。  芽李花は、梅花の瞳をじつと見つめ、一呼吸置いたのちに口を開いた。 「今までごめんなさい。  貴女に酷い態度を取って、傷つけた。  私は、梅花が羨ましかった。誰かを恋い慕って、相手も自分のことを好いていて。しかも、相手はこの国の王子。非の打ち所がないお方。  私はずっと、ここには誠の色恋などないと思ってたから。妓女でありながら、誠の色恋に翻弄されていく梅花が、羨ましくて少し疎ましかった」  芽李花とは、長い年月を共に過ごしているが、彼女の本音を聞いたのは、此度が初めてではないか。  芽李花は梅花の顔色を窺うように、視線を向ける。 「許してくれる?」か細い声で、そう問う。  梅花は笑みを浮かべ、大きく頷く。梅花の様子に、芽李花は肩の力が抜けたように息を吐き、固い表情を解き笑みを見せる。  
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