内廷

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内廷

 梅花を乗せた輿は内官の手によって、都を進み王宮へと向かう。輿の周りには、警護のために内官や官吏が付いている。  都では民が道を開け、輿を通す。道には、王宮へ向かう輿を一目見ようと、民が溢れている。新しい正妻の入内に、歓声を上げる者、隣り通しで囁き合う者、民の反応は様々である。  輿の中で梅花は、風呂敷の包みを抱えじっと前を見据えていた。    民の声が途切れ、暫くすると輿が止まり慎重に地面に下される。小窓が空き、桃苑が顔を覗かせた。 「着きましたよ」桃苑にそう声を掛けられ、梅花は身を屈めて輿から出る。降り注ぐ日差しに、目を細める。  梅花は視線を正面へと向ける。そこには、高い城壁と厳重な警備が引かれた城門、これまで何度も足を運んだ王宮が燦然とした姿で聳え立つ。    幾ら何度も足を運んだ場だとしても、自分が入内するとなれば、訳が違う。心臓が大きく脈を打ち、梅花は深呼吸を繰り返す。 「参りましょうか。白桜様がお待ちです」  桃苑が背後から声を掛ける。梅花は頷き、足を進めた。  城門を潜る際に、警備の官吏から手形を検められないことで、これから王宮が自分の家になるのかと、改めて実感する。  城門を潜ると、正殿の前に白桜と蕾柚の姿がある。正殿に続く石段の上。正殿に通ずる扉の前には、左右に一人ずつ内官が立っている。  梅花は白桜の元まで、歩みを進める。桃苑ら内官や官吏もそれに続く。  白桜は桃苑らに「ご苦労」と声を掛ける。白桜に声を掛けられ、桃苑以外の内官と官吏は、揖礼を捧げ各々の持ち場に戻る。  梅花は蕾柚に視線を向ける。  以前、宴の席で会った際、自分は尚食の女官だと口上を述べていた。ならば何故、この場にいるのか。  梅花は微かに首を傾げる。梅花の反応に、蕾柚は笑みを浮かべ揖礼を捧げる。 「本日より、梅花様の側仕えの女官を務めさせて頂きます。  どうか、お見知りおきを」  思ってもいない事態に、梅花は白桜に視線を送る。 「宴での計画が成功した褒美だ。  蕾柚は自ら、梅花の側仕えの女官に推挙して欲しいと申し出た。私としても、初対面の女官を付けるより、少しでも面識のある女官を付けた方が安心だろうと判断した」  三人のやり取りを見守っていた桃苑が、遠慮がちに口を開く。 「そろそろお時間でございます。  よろしいですか」  桃苑の言葉に、白桜は頷く。正直、これから何が始まるのか“入内”とは具体的に何を指すのか…梅花には、いまいち定かではない。  梅花の怪訝な表情を知ってか知らずか、蕾柚が「お預かりいたします」と声を掛け、梅花が抱えている風呂敷包みを受け取る。 「王様に拝謁後、再拝稽首を捧げ口上を述べてください。王様が王命を読み上げられた後、佩玉をお渡しになるかと存じます。くれぐれも、粗相の無いように」  桃苑が背後から、そっと口添えする。梅花が神妙な顔をし頷く。  梅花と蕾柚そして桃苑とのやりとりを見守っていた白桜が、梅花に目配せをし石段を上がる。桃苑が二人の後を付ける。  石段を上がると、白桜が一呼吸置き慎重に口を開く。 「梅花をお連れいたしました。  拝謁を賜りたく存じます」  白桜の声を合図に、内官がゆっくり扉を開ける。正殿内には、群青色の深衣を身に舞った官吏が左右に分かれ列を成し、奥の玉座には唐紅の深衣を身に纏った桜月が腰を下ろしている。  官吏らの視線が、一斉に梅花に向く。その鋭い目つきに、慄き裙を強く握り締める。 「こちらへ」桜月の低い声。二人は互いに目配せをし、歩みを進める。歩みを進める間、官吏らがひそひそと囁いている声が、梅花の耳に届く。  この場にいる者全員が、梅花の入内とその先の即位に賛同している訳ではない。その中の何人かは、妓女が王宮に正妻として入内することを、快く思っていないことは、容易に想像できる。  玉座に向かう階の前で立ち止まると、梅花と白桜はそろって再拝稽首を捧げる。梅花はそのまま口を開く。それと同時に、囁きの波が引いた。 「本日より、入内いたしました。梅花と申します。  至らない点があるかと存じます。どうか、お見知りおきを」  若干声が震えたが、迷いのない口上である。  桜月が頷き文机の上に置いてある、臙脂(えんじ)色の巻物を手に取り紐を解き転がす。見返しが過ぎ本紙が表れると、視線を本紙に落とす。 「王命により、梅花を賤民から良民に昇格させ、翠雨宮の主とする。また、白桜の正妻として認め、余が退位し白桜が王に即位する暁には、梅花を王妃に据える。  尚、正式な婚儀は妃としての修練が済んだのち、即位の儀と同日に行う事とする」  辺りがしんと、水を打ったように静まり返る。 「承知いたしました」静寂の中、梅花の声が響く。  桜月はにこやかに微笑み頷くと、再度口を開く。 「面を上げよ」桜月の声と共に、二人は立ち上がり対峙を取る。  桜月が再度、梅花の名を呼ぶ。梅花は「はい」と応え、玉座に続く階を上る。  梅花と対峙した桜月は、彼女が身に着ける予定の佩玉を見せる。佩玉には紅水晶の(へき)と、金春色の房飾りが用いられており、壁には梅花の名が彫られている。 「白桜の正妻として、公私ともに支えてやって欲しい。そして、国の母として、民の生活に寄り添い、王妃の職務を遂行して欲しい。  そなたは妓楼の出ゆえ、賤民の生活も気持ちも、手に取るようにわかるであろう。故に、良民だけではない賤民にも寄り添った、王妃になると期待している」  桜月から佩玉を受け取ると、揖礼を捧げ「ありがたく頂戴いたします」と声を上げる。    正殿から出てきた二人を認めた桃苑と蕾柚は、揃って胸を撫で下ろす。 「王様から佩玉を頂きました」梅花は、手渡されたばかりの佩玉を桃苑と蕾柚に見せる。 「綺麗ですね」桃苑が朗らかに言う。梅花は「ええ」と答える。 「お付けいたしましょうか」蕾揖の申し出に、梅花は頷く。蕾柚は「失礼いたします」と断り身を屈めると、手慣れた手つきで襦裙の帯に佩玉を付ける。 「佩玉は貴女様の身分を表すものでございます。これを見て、女官や内官、また官吏らは梅花様のおとないを知ることになります。  故に、扱いにはお気を付けください。決して、落としたりなくしたりせぬよう。勿論、わたくしも気を付けておりますが」  立ち上がった蕾柚が、神妙な顔をし忠告する。梅花も表情を引き締める。 「では、これから梅花様がお過ごしになる宮へご案内いたします」  蕾柚は内廷へと足を進める。  外廷から内廷に通じる門を潜ると、また違った光景が見えてくる。  内廷は四隅に大きな宮が四つ聳え立ち、その周りを桜や牡丹をはじめとした草木と、宮に沿うように女官や内官が職務をする建物が並ぶ。  外廷には、官吏の姿も認められたが、内廷は女官の数の方が多い。梅花らが通る度に、同じく通りがかった女官や内官が足を止め揖礼を捧げる。その度に、どう反応を返すのが正しいのか、釈然とせず戸惑いを見せる梅花である。  蕾柚は“翠雨宮”と彫られた板が、備え付けられている宮の前で足を止めた。宮の目印となる板は、鉄の板に翠雨宮と彫り、文字に金を流し込んだものである。  柱や壁さらには障子の(さん)に至るまで、屋根以外は全て鮮やかな紅葉色であり、屋根瓦は朱華(はねず)色である。 「こちらが、本日より梅花様がお過ごしになる翠雨宮です。  翠雨とは、植物に落ちる雨のことを指すのですよ」  説明をしながら、蕾柚が宮の扉を開ける。その後を、梅花、白桜、桃苑の順につける。  蕾柚らが姿を現すと、宮の中にいた四人の女官が、揃ってびくりと肩を震わせる。四人はそれぞれ、箒やはたき、布巾などを手にしている。どうやら、掃除の真っ最中だったらしい。  四人は梅花の姿を認めると、乱れなく揖礼を捧げる。 「こちらの四人が、衣・食・住の身の回りのお世話をいたします。  どうか、お見知りおきを。ご所望の件がありましたら、何なりとお申し付けください」  蕾柚が朗らか言う。 「よろしくお願いいたします」四人の声が揃う。 「こちらこそ、よろしくお願いいたします」  梅花が戸惑いつつ返す。  まだ宮の掃除が残っていると蕾柚に言われ、ことが済むまでの間白桜と内廷を散策することとなった。  ゆっくりと歩みを進める二人の背後から、桃苑が護衛の為に付けている。  内廷には、桜・木通(あけび)黄梅(おうばい)・乙女椿・勲章菊…、様々な草木が花を咲かせ、さながら庭園のようである。  白桜が桜の木の下で立ち止まる。 「どうかなさいましたか?」梅花も同様に立ち止まり問う。  白桜は深衣の袂を探る。取り出したのは、一本の簪である。平簪で所々に施されている金箔。なにより先に施されている梅の花の螺鈿。紛れもなく、二人が出会うことになった、きっかけの簪である。  簪を目にした刹那。梅花は目を丸くする。 「そなたが、入内する際に返す約束だったはずだ。  梅花。そなたには、これから苦労を掛けるやも知れぬ。環境も変わり、友人や親しい人とも簡単には会えぬだろう。  それに王妃として、世継ぎだのなんだのと悪口を言われることも、無いとは言い切れない。王妃は内廷の主。故に、内廷で何かあればそなたの責になる。  私や桃苑、蕾柚がどれだけ手を尽くしても、そなたを完全に護れるとは限らない。妓女の出のそなたを、王妃に据えることを面白く思わぬ官吏もいるであろう。  だが、それでも良いと言うなら、その覚悟があるなら、この簪を受け取って欲しい」  白桜は神妙な顔で簪を差し出す。いつになく真剣な口振りである。 「勿論、承知しております」梅花は明瞭に言い、簪を受け取る。  梅花が簪を受け取ると同時に、強い風が吹き桜の枝を揺らす。桜の花弁が、金春色の蒼穹に舞う。
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