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「最低です!」
呻く倉持を見下ろして、珠子は言った。「見えるものしか信じない? 倉持さん、あなたは、見えるものすら信じていない。あなたが信じているのは、自分に都合のいいことだけです!」
ふざけんな、このガキ!
立ち上がって殴られると思った。倉持が上半身を起こす。珠子はとっさに頭を抱えたが、しかし倉持にそれ以上の動きはなかった。ただ彼はじっとこちらを見上げていた。
「お前は」倉持は言った。
「見えないんだろう」
「見えません。だから、被害者の声を聴くんです。聴くしかできないから」
「俺の目は、余計なもんまで見えちまう」
倉持は言い、すっくと立ち上がってぱんぱんと身体の汚れを叩き落とした。
「今でも、見えるんでしょ?」
「見えるさ。ありとあらゆるものが見える。あらゆるものが聴こえる。そんな俺が真実を選ぶためには、自分を信じるしかないんだ」
「それは違います」
きっぱりと言い切った珠子の言葉に、倉持の表情にすっと怒りがにじんだが、しかしそれが爆発することはなく、またすっと消えていった。
「真実は選ぶものじゃなくて、そこに、あるものなんだと思います」
へへっと倉持は自嘲を漏らした。
「俺もまだまだ青いな。お前みたいなガキに投げられるなんて」
珠子は胸を張って、得意げに倉持を見つめる。これでも、柔道のオリンピック代表だったってことは、この男には秘密だ。
「どうして迷宮入りだったんですか?」
珠子が尋ねた。
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