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非核三原則
ロシアと友好な関係を保っていけば、やがて「北方四島は返還される」と本気で考えていたとしたら、何ともお気楽な政治家たちである。
1945(昭和20)年8月9日、旧ソ連(ロシア)は「日ソ中立条約」をないがしろにして対日参戦した国であることを忘れてしまったのだろうか。
(これに関してはアメリカと合意があったという説もあるのだが、ここでは置いておく)
8月14日、ポツダム宣言を受諾し日本は降伏。翌8月15日に大東亜戦争は終結した(終戦日時は国により異なる)。侵攻があったのは直後の18日、カムチャツカ半島の先、千島列島北東端の占守島に侵攻したのが、嘘つき国家旧ソ連だった。相互不可侵および,一方が第三国の軍事行動の対象になった場合の他方の中立などを定めた条約を無視した侵攻だった。
今はどうだろう。ウクライナ侵攻に伴う日本の経済制裁に対し、つい最近ロシアの国会議員から「北海道の権利はロシアにある」という信じがたい発言があった。その主はセルゲイ・ミロノフという下院副議長で、第3政党「公正ロシア」党首だ。
今は閲覧できないようだが、党のホームページに「どの国にも願望があれば、隣国に領土要求を提出することができる。専門家によれば、ロシアは北海道の権利を有している」と記載がなされた。プーチンだけがおかしいとされているが、ロシアの中枢には気が狂っている人間もいることがはっきりとわかる。
2008年、ロシアはジョージア(グルジア)からの分離独立を求める南オセチアの紛争に軍事介入し、14年には、ウクライナで親ロシアの政権が倒されたことに対し、ウクライナ南部のクリミア半島を一方的に併合してしまった。
ロシアの国内では、プーチン政権に批判的な人権団体や独立系メディアを解散させるなど、言論の自由も弾圧してきた。
ちょっと話は逸れて。
「トランプならプーチンの戦争を止められた」
トランプ自身も口にしたけれど、この声はよく耳にする。たらればの話をしても詮無いことと思うが、プーチン(大統領と呼ぶのもしゃくだから呼ばない)が悲願としていたウクライナ侵攻に踏み切ったのは、バイデン大統領の「弱腰外交」のせいだという人は多い。
米軍をアフガニスタンから撤退させたバイデン大統領は、タリバンから逃げ出したようにも見えたし、ウクライナ問題でロシアとの交渉を打ち切っておきながら、早々に軍事介入をしないと宣言をした。この「弱腰」が、プーチンに侵攻の決意をさせた可能性は高い。
バイデン政権は冷戦後では最も軍事力行使に否定的な政権だといえるだろう。
四半世紀も前に亡くなった自民党の政治家・金丸信の言葉で、
「無事の橋本(龍太郎)・平時の羽田 (孜)・乱世の小沢(一郎)・大乱世の梶山(清六)」というのがあった。
検証はさて置いて、この捉え方はおもしろいしなるほどと思わせる。
次の一手が読めない、なにをやらかすやらわからない、下手をすれば怒りに任せて核のボタンを押しかねない。そう思わせたトランプ大統領は、プーチンにとっても不気味な存在だったに違いない。ところが、あれほど過激な発言をしながら一度も戦争を起こしていないトランプは、単なる悪ガキなのか恐ろしく切れ者なのかさえ読ませない。
金丸信の言葉を借りるなら「平時のバイデン・大乱世のトランプ」なのかもしれない。
戦争反対と唱えていれば戦争は起こらないという幻想は打ち砕かれた。どこかでも書いた気がするけれど、日本も抑止力として“核”を持つべき時が来たと思う。
アメリカの核抑止力に頼るというのが日本政府の公式な立場だ。しかし、日本はアメリカに核兵器の配備を認めていない。守ってくれと言いながら、最大の抑止力である“核”を持ち込ませない。これはかなり矛盾している。
北朝鮮が核武装し、中国が軍事力で急速にアメリカと対等になりつつある今、日本はアメリカの核の傘に頼るだけでは生き残れない。中国が台湾に侵攻したら日本はどうするのか。いつものように資金の援助だけで手を汚さずに見捨てるのか。それで“私は日本人です”と胸を張って生きられるのか。日本は近隣国を防衛する責任をもっと負うべきだと思う。
核・ミサイル開発をやめないぼんくら金一族に支配された北朝鮮と、軍事大国として海洋進出などを強める中国と対峙する日本も、対岸の火事では済まされない。
参院予算委員会で核共有について問われた岸田総理は「国民の命や暮らしを守るための一つの政策と認識している。日米同盟の下、拡大抑止が機能しており、核共有は考えていない」と答弁した。
核シェアリングについて「非核三原則を堅持している立場から認められない」と明言し「政府として議論することは考えていない」と繰り返している。
最初に「核シェアリング」に言及したのは安倍元総理だった。
「核共有」は米国の核兵器を同盟国内に配備し、核兵器を共同で使用する政策だ。平時には米国が核弾頭を管理し、有事には同盟国が航空機に搭載して使う想定となっている。
使用する場合は米国と同盟国の間で協議するが、最終決定権は米国にあり、同盟国が拒否しても米国の意思で使うことができる。核共有はNATOでのみ行われており、ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、トルコの5カ国に、現在も米国の核兵器が配備されている。
問題は、最終決定権は米国にあり、同盟国が拒否しても米国の意思で使うことができる。という部分だ。日本の意志で核を使えないし、止めることもできない。それでいいのだろうか。
核には「戦術」と「戦略」がある。現在NATOで展開されているのは「戦術核兵器」だ。「戦術核」は射程が短く威力も比較的小さいといわれ「防衛」を主とした「核」だと捉えていい。戦場単位での使用だ。当時のNATOの核は、ソ連の侵攻を受けた場合、侵入したソ連軍の部隊に反撃するために使うことを想定している。
では海に囲まれた日本ではどうだろう。日本領土に侵攻してきた敵国に使うとすれば、日本国内で核を使うことになる。ありえない。
戦術核ももちろんいい。たとえば潜水艦。海上自衛隊が有する国産の潜水艦は航続性能や秘密裏に潜航する静粛性などに優れ、世界最高水準の技術を誇る。それに積み込む。
一方「戦略核兵器」は何かといえば、その射程や威力がゆえに、一撃必殺の核ということになる。それが戦術核との大きな違いである。
岸田総理が検討を指示しているいわゆる“敵基地攻撃能力”。通常兵器で敵のミサイル基地などを叩く能力を保持することで、抑止力を高めるというものだ。今まさに進んでいるこうした議論を飛ばして「核シェアリング」の議論を行うのは順序が違うという見方もある。
どうして二択なのだ。両方進めればいいではないか。周辺国のミサイル能力が日々向上する中、相手の射程圏外から攻撃できる装備を持たなければ自衛官の安全確保はおろか日本を守ることもできない。
大量のICBM(大陸間弾道弾)やSLBM(潜水艦用弾道弾)のすべてを撃ち落とす能力はアメリカやロシアでさえも持ち合わせてはいないのだから。
モスクワに届く弾道ミサイルが欲しいが距離がありすぎる。せめて北朝鮮と中国に照準を合わせる必要がある。絶対撃つことのない核だ。それでいいのだ。
東京と北朝鮮1,191km
東京と北京2,100km
東京とモスクワ7,490km
ロシアや中国や北朝鮮のような国が存在する限り、耳をふさぎ目をつぶっているだけでは平和は維持できない。そしてその三国は迷惑極まりない日本の隣人たちなのだ。
─To Be Continued─
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