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靖国神社・原爆
「広島平和都市記念碑」(原爆死没者慰霊碑)は、みなさまご存知でしょう。
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
「過ち」これこそが、日本は悪いことをした、という「自虐史観」に基づいています。長くなりますが、書いていきたいと思います。
遺体数は約10万5400人。負傷者は約15万人。罹災者は約300万人。罹災住宅戸数は約70万戸。
非戦闘員を大量虐殺した「東京大空襲」から約1カ月後の4月12日、日本を戦争に追い込んだルーズベルトが死去し、後任に副大統領のハリー・トルーマンが就任しました。
ご存知のように、このトルーマンが8月6日に広島、9日に長崎に原爆を投下しました。
「民主主義は、人間が、不可侵の権利だけではなく、道徳を持ち、理性と正義でもって自身を統制する知的能力を持っているという確信に基づく」
どの面下げてこんな言葉を吐くのかトルーマン、と言っておきたい。
原爆による正確な死亡者数はわかっていないものの、広島・長崎市が作成している「原爆死没者名簿」に記載されている人数は、2021年8月時点で、広島32万8,929名、長崎18万9,163人の合計51万8,092人とされています。
日本の一部には、日本が侵略戦争を行い、ポツダム宣言を黙殺したから原爆を落とされたのだ、という原爆容認論があります。
米国民の多くは「原爆投下によって終戦を早め、本土決戦で犠牲になるはずの100万人の米兵の命が救われた」という根拠のない「原爆神話」「早期終戦・人命救済説」を信じています。
2007年には、核不拡散問題担当特使のロバート・ジョゼフが、「文字通り何百万もの日本人の命がさらに犠牲になるかもしれなかった戦争を終わらせたということに、ほとんどの歴史家は同意すると思う」と、米兵だけではなく日本人のためだったと語りました。
そのころヨーロッパでは、ドイツとの戦いに英国のチャーチルが苦戦していました。それを打開するためには、アメリカのヨーロッパ戦争への参戦は是が非でも実現させたいことだったのです。
しかし、第一次世界大戦への米国の参戦は失敗だった、と考えていた米国民の80%は非戦派で、このままでは盟友ルーズベルトも動けない。行き詰まったチャーチルは、数々の陰謀を仕掛けたのです。
1941年に入ると、アメリカに敵対行為を示したわけでもない日本に対し、突如強硬外交を本格化させました。「ABCD包囲網」まで築き追い込んでいったのです。
それは日本を対米開戦に踏み切らせ、それを口実にアメリカが対独戦に参戦しようという思惑のためでした。あくまで米英両国の対独外交の一側面に過ぎなかったのです。
当時、GDP比が10倍もあるアメリカは、苛め抜き追い詰められた日本が刀を抜くのを待っていたのです。
ファシズムの拡大を阻止しようとする、そんなチャーチルとルーズベルトの陰謀が日本を巻き込みました。戦争回避の努力を重ねた日本はついに窮地に追い込まれ、窮鼠猫を噛むが如くに開戦に踏み切りました。
真珠湾攻撃のニュースを聞いたチャーチルは「これでわれわれは戦争に勝った!」と絶叫したといいます。
「チャーチル・ルーズベルト・スターリン」
第二次大戦中、アメリカが掲げたことがありました。ひとつは「日本の駆逐」。もうひとつが「友好的大国としての中国の確立」でした。そのため、中国に対してさまざまな軍事援助、経済援助を行っていました。
日本が一掃されたアジアで秩序維持の担い手と頼む国は、中国をおいてはありえないと考えたからです。
しかし、この目的は、1943年頃から次第に絶望的なものとなっていきました。アメリカの懸命な努力にも関わらず、政権の腐敗と戦闘能力の欠如、中国共産党の台頭、国民政府と共産党の対立といった状況に、もはや安定的大国としての中国を期待することは不可能だったのです。
やがて、アメリカが駆逐した敵国の日本を、アジアにおけるもっとも重要な国家として再建し、最も信頼できるパートナーにしようと考えを変えたのです。
話が飛び過ぎたので戻します。
開戦するためには、厭戦的なアメリカ国民に納得してもらわなければならない。そのためには、日本が先に牙をむく必要がある。これが日米開戦の真実です。事実真珠湾攻撃によってアメリカ国民の多くが、一気に戦争へと傾きました。
「日中戦争」つながりで大東亜戦争が起こったと考えがちですが、構造が異なるものです。
─to be continued─
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