12月25日

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 イエスは、父を知らない。望まれて生まれたわけではなかっただろう。だが、自己の存在を肯定するために、母親、つまりマリアと処女受胎の神話を作りあげ、数々の奇跡の伝説を作りあげ、そして神の子と名乗った。もちろん、ただの1人の弱い人間であることは、誰よりも自分がわかっていたはずだ。しかし、作り上げた神話や伝説は、イエスその人を救うことはできなかった。望まれたわけではなかった自らの命を、大切なものだとは思えなかったのだ。神の子としてそれ以上神話を保ち続けることに疲れたイエスは、自ら命を捧げた。最後の神話を作るために。そして、自らの命がすべての人類の救いとなる、そう言った。しかし、本当は1人の弱き不幸な青年が惨めな磔の姿を残しただけだった。  だが、奇跡は起こった。彼のが誰も救わなかったにもかかわらず、彼のが人々を救ったのだ。人々は、人を哀れむこと、人を(いつく)しむこと、助け合うことの教えを学んだ。イエスの優しさが、彼の死後も人々の心を清らかにしたのだ。  クリスは磔の痛々しいイエス・キリストの姿を見て、(うらや)んだ。今や、イエスは世界中の人々にその生誕を祝われる存在なのだ。望まれて生を得たのではないのにもかかわらず。
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