一章

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地下鉄などで人混みに押し潰されることはそもそも苦手であったのだが、ついには、満員電車に乗ることで、動悸や不安を覚えるようになったのだ はじめは、ホームの階段を降りる歩みが速かったせいで息切れでもおこしたのかと思ったのだが、いくら運動神経が鈍くてどんくさい私でも、いや、どんくさいからこそ、階段を駆け降りることなんてするわけがなかったので、体力的な息切れとは思えなかった 視覚的にそう見えたわけではないのだが、ふと、自分が群衆の中にいる姿を俯瞰しているように客観視され、なんだかその見えたわけではない自分と群衆との一体感が気色悪くなった そんな、不安とは言えないまでもなにか気持ち悪さを具体的に思い浮かべてしまった状態のまま、地下鉄に乗り込むと 自分の足で歩いてないくせに、自分の場所が変わることが気持ち悪くなった いや、当たり前なことは分かっている 原理は説明できなくても、地下鉄が動くものだという前提があることを承知でなんの疑問も抱かずに生活してきた だが、それが唐突に気持ち悪いものになったのだ 行き先も告げられていて、地下鉄に乗る場所も降りる場所も知っている街であり、その駅は任意というか、選択権は私にあることは分かるのだが、それはあくまで選択しているだけで、自分が歩いたわけでも見つけたわけでもない。街の機能、社会の機能の中で求められる公約数の上にいくつか作られた場所に運ばれるという行為は、能動的なように見えても、根本は受動的な行為だ 多分、無意識のうちにそういう反射的思考を経て 「他人が動作させているものに身を委ねること」が徐々にできなくなっていった 本格的な不安症のようなものならば、端から乗り物全般、せめて乗り合いするようなものが全て駄目になるように思うのだが、私の場合、初め満員電車のみが駄目だった だから何らかの思い込みによる一時的な症状に過ぎないだろうと思い、医者に看てもらうことなどはしなかった 満員の時間帯を避ければ、自分と他人の体に十分な距離がとれる空間が保てるのならば、電車にも乗ることが出来た ところが、先程のように結局は「他人が動作させている」ものが駄目なのだろう。空いていても電車に乗ると動悸がし、群衆の中で大汗をかいて倒れて白目をむく自分の姿が脳裏に浮かび、不安というよりも恐怖を感じるようになった するともう、地下鉄であろうがバスであろうがタクシーであろうが、あらゆる乗り物が駄目になった それでも幸い、私には対処法があった そう。不安になる乗り物さえ避ければいいのだ 幸い私は、毎日同じ場所に必ず行かなければならないような生活をしない生き方をしていた 確かに、この数日は続けて南森町に赴かなければならなかったのだが、それも先が見えていたし 私が住んでいる阿倍野から、南森町までは歩いたところで一時間はかからない それでも、一刻を争うような社会人たちは、健康のためだとか、不安症があるからだとか、気が付けば何らかの理由をつけなければ歩いたりはしないのだろう 人の便利になるようにと街や時間を定めても、いつでもそれらに逆に支配されるのだ 私もそもそもそういう暮らしに疑問を抱くこともなかった 社会や生活の上に私の人生とやらはあるだけのもので、それを犠牲にしてまで成し遂げたいものなどはなく、それら基盤の上で娯楽なり幸福なりをその都度見繕うことをしていた 自分が何者か等という問いかけが全く起きなかった人生だとは言えないけれども、少なくとも大学を卒業してからは、文学も映画も、趣味や娯楽の範疇に収まるものだけを嗜好していた
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