一章

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大学を卒業してからのほとんどの時間を、幸いにも企業に属さずに暮らしていくことが出来ている やりたかったものや、なりたかったものとは違う姿ではあるが、仕事となると、出来るものをすることが一番だと昔だれかに教えられたのが役に立っていた 進んだ大学が芸術大学の文芸学科だったということが、私の今の生活、いや、大袈裟に言えば人生の分岐点となったことは明白であった そこで知り合ったOBの先輩の中に、今はフリーランスなのだが、元々メディアの制作会社に入り、所謂放送作家の様な仕事をしている人がいた それで時たま、一人では手に終えないような分量の文章なり書類なりを作らなくてはならないことが起きたとき 学生であった私たちにバイトと称して作文を依頼してくることがあった 企画書の清書であったり、構成表や所謂台本や、進行表のような香盤と呼ばれるものだったり その先輩いわく、意外とまともな日本語を書ける日本人はいないそうで、硬軟は別にして、作家志望や読書家の多い大学生に書かせた方が、社会人を長いことしている大人に書かせるよりはまともらしい そんなことから、自身の評価では糞みたいな文章しか書けない私の文章力も、世の中ではまともな部類なのだという、自信とも言えない思いが生まれ、そのOBからもらえる仕事を足掛かりに、また、それを適当な実績だとして 誰かの言葉や殴り書きを、少しはまともな文章にすることを仕事にした どこぞの学会の報告書であったり、会議資料であったり、単純ではないのだけれど、それを端的に言えば「きちんと清書する」ということが仕事になるものだなんて、初めは、自身で清書することが出来る私にはしっくりとしなかった それでも 他に、私に出来そうな仕事をイメージすることは出来なかったし、他の仕事は、コンビニのアルバイトと塾の先生のアルバイトしかしたことがなかった
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