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弐・ライブ帰り
スケジュールさえ合えば、バンド時代も、並行するように弾き語り自体は演っていた。SEが終わりステージがはじまってしまえば、顔を見合わせる事からはじまるメンバーすら一人もいない緊張感、頼れるのは、最早、自分と、自分が奏でる声と音だけという世界。これは言わば度胸試しにもなったからだ。に、したって、バンドかソロかと答えを迫られたとするならば、俺は間違いなく前者を選ぶ。音の厚みを共に作り上げる世界観、グルーヴは、どうしたってソロでは体験できない事だからだ。
ライブハウスでは、オヤジバンドが同世代の仲間たちを呼んで、若かりし頃の事をしのびながら、「Forever young!!」なんて吠え、同窓会と学芸会を兼ねたどんちゃん騒ぎをするか、着飾ったギタ女に、どんな下心があるんだかも解らないSSWおじさんで客席が埋め尽くされるような時代だった。
いづれにしても、年齢的にも中途半端な上に、性別というハンデも重なり、バンド時代には一定数は客として存在したバンギャの小娘たちすらも、解散後のソロのみのライブに遊びに来てくれたのは最初の頃だけで、次第に俺の集客力は衰えていく一方だった。ブッキングライブは、ノルマ目当ての、場繋ぎ、前座扱いの日々が続いていて、対バンの連中が、なんだかビカビカ見える時があると、つい、先刻まで、自分だって仲間たちと、その光の届く場所にいたはずなのに、今や、カウンターの奥底で、なれ合いみたいなマスターの話に適当な相槌をうっている、暗闇の中にいる自分の姿が悔しかったし悲しかったりした。
どのみち三十までが勝負だと思っていた。自分が三十になる事自体が信じられなかったし、その先の事なんて、今までの人生の中で、一番、先の見えないお年頃になっていたのだ。焦燥感はライブに、オーディションに、自らを駆り立て、ハコ側からは足元を見られるようにスケジュールは組まれていき、音源は売れず、審査員からはボロクソに言われる日々が続き、焦燥感や悔しさや、憤慨とショックは更に俺を駆り立てていった。
最早、「夢」の事なんて、微塵も忘れきっていた。
その日のライブは、久々に旧知の音楽仲間も客として駆け付けてくれたりで、演奏も、なぜだか神がかっている抜群な手ごたえがあった。無論、ステージを降りれば、同業者の同志たちも褒めちぎってくれたし、カウンターの向こうで、いつもは惰性でも見るかのようにしかしていないライブハウスのマスターですら評価をくれた。
久々に酒は美味く、いつも反省材料として客席側から録音している、ICレコーダーの自分の演奏をヘッドフォンで聴きながら、電車での帰り道のBGMにしていると、確かに、この日の外音は歌もギターも、もはや想像以上な事になっていて、俺は上機嫌で用を足すと、洗面所で手を洗う、その仕草すらリズミカルになりそうな気分だったのだ。そして、なかなか未だ芽すら出ていないが、今年の夏は全力で駆け抜けたという実感を噛みしめ、晩夏の夜風が、そっと頬をなぜていく、全てはその時であった。
グラ……ッと、一先ず、俺は自分の視界が揺らめくのを感じた。そんなにしこたま飲んだだろうか。とりあえず、未だ、水が出っぱなしの洗面所に手をついた。次に感じたのがゾク……ッという背中の悪寒で、思わず片方の手で自らの顔を覆うようにすると、
「やべ……風邪かな……」
一つ向こうの方から電車のホームのアナウンスが流れる、誰もいない男子便所のタイルの壁に、俺の独り言は響くのであった。そして、瞬間、俺は、自らの視界の周りが真っ白に輝きながら発光していくのを目の当たりにしたのだ。洗面所においた手自体が光り輝いているのをも目視すると、
「え……」
全てが覆われた後、霧が晴れたように全てが取り除かれた時には、そこは夜の野っぱらの只中だったのだ。
「え……」
俺はもう一度、口にした。既に草の影からは微かにコオロギの鳴き声すら聞こえはじめ、夏を惜しむかのような蝉の鳴き声もし、どこにでもありそうな風景ではあったのだが、なぜかそこには、俺が慣れ親しんだはずの高円寺駅の全てが掻き消えていたのだ。
「やっぱり、きた……」
そこで、いつしか聞いた事のあるような女の子の声がしたので、呆然としたままに振り向くと、目の前には、蒼い瞳が、じっとこちらを見ていて、野っぱらの周囲をたどる道筋の街灯の一つが、赤毛を鈍く照らしていたのであった。
「え……」
再び、俺は口にした。現状に対して、思考は何一つ、ついてこれなかったのだ。彼女は、黒いニーソにブーツサンダルを履き、あの日のような白地のワンピースではあったけれど、肩先や首筋の肌を露にしたデザインについてはあの日と違っていて、それらがかつてよりも大人びた体のラインを鮮明にもしていれば、酔いもあってか、無意識に、俺の視線は、随分と豊かな大きさの胸部にすら、惜しみなく釘付けとなってしまい、
「……! あ、え、えっと、こんばんはっ!」
悟ったのか「お姉ちゃん」は、慌てて自らの胸の前で両手を合わせて守るようにしながら、挨拶を投げかけ、
「……こん……ばんは?」
「夢」の再現のように、絞りだすように答える俺がいた。
(…………)
「…………」
やがて夜風はゆっくりと二人の間を流れていったが、「お姉ちゃん」は気まずそうに瞳をキョロキョロと泳がすばかりだし、そんな彼女をガン見しつづけたままに、俺は茫然自失でいるしかできなかった。
「ご、ごめんね? また、びっくりさせちゃったよね?」
そして、意を決したように切り出したのはお姉ちゃんの方で、
「…………」
たった今さっきまでいたはずの高円寺の街が掻き消えてしまった事に、未だついてこれていなかったのは俺の方だった。
「あの……とりあえず、一緒についてきてもらえる、かな……?」
見上げる蒼い瞳は様子を伺うようにして話を続け、
「……会わせたい人が、いるの……」
(…………)
俺は、未だに意味も解らないままに、一度、天を仰いだ。其処は東京みたいな街ならどこにでもあるような、まばらな星空が広がっている。現状、とりあえず、知人と呼べそうなのは彼女くらいだ。確かに、このまま、この公園らしき野っぱらに立ち尽くしたままでいても何もはじまらない。
(…………)
頷くようにすると、暗がりの中の彼女の表情は、少し華やいだような気がした。
公園の外は、どこにでもあるような街が広がっていた。共に歩く歩道の横を、まん丸いライトのクラシックカーが何台か通りすぎていって、
(……ああいう趣味の人たちっていいよな~)
なんて思ってみたりもした。
ただ、路面の速度制限を表示するはずのアラビア数字が、なぜか旧漢字体で表示されていたのが垣間見えると、妙な胸のざわつきを覚えた。どこかの家の軒先では犬は鳴き、見渡せば、あの日のように、洋風な家々も立ち並んでいる。ただ、コンクリートのうちっぱなしのような建物があまりに皆無に思えてきた頃、道すがらにはコンビニも見かけて、客が誰もいない事をいい事に、店員が退屈そうにあくびすらしていたのだけれど、その店名は、見かけた事もないような表記を灯したりしていた。
(……どこかの地方都市かな……?)
そんな整理しきれない頭のままに、立ち並ぶ電柱の住所表記を覗こうなんてしていた、その時だった。
「ナーモ君……」
「ひぇっ?!」
ずっと話題を探し続けていた様子の「お姉ちゃん」に呼ばれれば、思わず声が裏返ってしまった。
「が、楽器っ、する様に、なったんだネ……」
「え~、あ~。うん。まぁ?」
つられるようにして彼女は驚きつつも、視線は、俺が背負うギターケースに向けられていて、罰も悪そうに頬なんてかくと、真横を共にいく彼女の顔はまともに見れないままに、夜空を仰ぎ、俺は生返事に答えた。ただ、そこで、ちょいちょい感じていた「違和感」は強烈な形となって、俺の眼の中に飛び込んできたのだ。
其処には、先ほどまで、煌々と街の空を照らしていたはずの大きな満月のかけらすらも残っていない、多少の星が散りばめられた程度の、果てしないほどの漆黒の夜でしかなかったのだ。
(…………!)
ますます、意味が解らなくなった時だった。
「ついたよ……」
「お姉ちゃん」の一声に気づけば、俺たちは、小さな公園のある場所に来ていた。公園自体はどこにでもあるように、ブランコとベンチなどが置かれた普遍的な光景で、ベンチの向こうには眼下に広がるように街灯りがともっていたりする、この一帯は、少し小高い丘陵地帯の上のようだった。そして、そのまま先に数歩歩いた「お姉ちゃん」がこちらを振り向けば、俺も後を続く事にしたのだ。
公園の真ん中を陣取るようにしていた公園樹の麓に、二人共に辿り着いた時だった。
「……本当に、きました」
「お姉ちゃん」が呟くように口を開くと、
「そのようだね」
随分と嗄れた声がそれに答えるようにして、木陰からヌッと現れたのは、周囲をグルっと囲むようにした、大きな廂のついた黒い帽子に、背丈よりもはるかに大きな杖を手にした老婆であった。漆黒の夜空に隠れてしまいそうな黒いローブ姿の真っ黒づくめは、まるで、物語かなにかに出てくる魔法使いのようで、
(……誰?)
口に出さないまでも、俺の疑問は今やピークに達しようとしていたのであった。
「ナーモや。こちらの世界とあちらの世界、『保全』するための『周期』が来たのじゃ。おぬしたちは『システム保全』の為に選ばれた」
やがて、じっと俺の方を見やりながら、何故か俺のニックネームすら知っている老婆は、意味の解らない事をとうとうと語りはじめた。
「これは我らが避けようとも避けられぬ宿命なのじゃ……」
(…………?!)
尚も、老婆は語り続けようとしていたけれど、ただ茫然と自分を見るままにしている俺の姿に気づくと、
「ふむ……無理もないかの……」
しばし、熟考するかのような素振りを見せたが、今度は「お姉ちゃん」の方に視線を移し、
「リーンや。教えておやり。この星の名はなんという?」
「リーン」と呼ばれた彼女は蒼い目を瞬きさせた後、
「……はい。……ナーモ君……あのね、此処は中球って星なんだよ。……えと、太陽系で、四番目にあって、真ん中辺りにあるからって意味もあるんだケド……」
「……お前さんの星は、あそこじゃ」
訥々と話す口ぶりに続けるように、間髪入れずに老婆は、夜空に光る一際光る星へ向け、手にした杖の先を指し示せば、
「……あれは、炎星(えんせい)」
蒼い目が、その方向を見上げ、呟くように語り継いだ。
「そして、お前さんが先刻まで眺めておったろうて、月はあれじゃ」
「リムレーンだね。炎星の衛星……」
すぐ側にて同じくらいに輝く星の方に杖が動くと、訥々とした講釈は続いたが、俺は一向に何がなんだか解らなかった。
「うむ……ともかくナーモや。リーンと共に、世界の『保全』を『継続』させるのじゃ。そのためには、お主らで『奇跡』を起こさねばならぬ。先ずは互いの世界の事を、よーく知る事じゃ。これからお主たちは、相手を念ずれば転移し、その日、三時間は、彼の世界に居続けられよう……」
再び、こちらをじっと見るようにしながら、語り続ける老婆であったが、次第に、その周囲は、発光を帯びていくではないか!
(…………!)
「ふむ…お主を呼び出すに『マ力(りょく)』にも無理がたたったようじゃな」
驚愕のままに俺は眺めていたが、黒帽子の婆は、全く動じずに自分の変化を分析し、
「あと、半時間ほどかの……。リーンよ。ナーモにできうる限り、伝えておくのじゃ! では、また、いづれの!」
一際に発光する最中で、老婆が消え入る瞬間、
「は、はい!」
(…………!)
光を照らし返す蒼い目が、健気な口ぶりで答えていて、尚も、意味も解らずに仰天したままでいるのは、たった俺だけだった。
公園樹にへばりついた季節外れの蝉の僅かな鳴き声がある、そこはどこにでもあるような、丘の上の小さな公園の風景に戻っていたかのようであったが、俺は、今や「違和感」極まりない事と、目の前で起きたとっぴでもない出来事もあいまって、正に、超巨大級なカオスの極みの心境だった。
「……あ、あの……」
やがて、一所懸命に言葉を選ぶようにしていた蒼い目はこちらを見上げると、
「光野リーン、です。よろしく……お願いします……」
「……貴羽、朋也っす……」
律儀な「お姉ちゃん」は、先ずは自己紹介からはじめ、相変わらず、掠れるような声でしか答える事のできない俺がいた。
ぎこちない会話からはじまった二人ではあったけれど、俺の「ナーモ」の由来の話と、彼女がハーフだって話で、やがて、なんとなく空気は和んでいた。
「フフ……かわいい……」
ただ、呟くようにして笑う蒼い目の彼女が宇宙人であるなんて、到底思えない。と、言うか、様々に強烈な違和感が端端にある街並みとは言え、こんなに自分が住む街と酷似した星が、どっか遠い星であるようにも到底思えなかったのだ。だが、俺が、照れ隠しのように、もう一度、夜空を見上げても、そこは月一つない、濁った空気の星空が広がるのみだ。
(いや……待てよ……けど、あの老婆、あそこに地球がある、みたいな事、言ってなかったっけ……?)
金星のように光る星が、再び、目に止まれば、素朴な疑問符は加速していくのみだった。そもそも、「ハーフ」だとか、ここまで言葉の通じ合える宇宙人なんているものなのだろうか。
「え……あのさ。えーと、リーン、……さん?」
「……リーン、でいいです」
様子を伺うようにして訪ねると、リーンと名乗る少女は改めたような口調で返してきた。バンドもやっていたから、年をくってからも若い子たちとは接する機会は多かったものの、ライブハウスでもない、こんな夜の公園での二人きりでの会話なんて、流石の俺もどうしていいか解らない。
(……てか、お巡りに職質とかされたらまじ嫌なんだけど……)
混乱するなりに自分の身の保全の事も頭によぎらせながら、
「あのさ……此処、何処?」
俺は、いつしかのように雑に聞いたのだ。リーン氏は、言葉を選ぶようにしていたけれど、
「えと……日本……です!」
思い切ったように答えてきたのである。では、やはり、ここはいづこかの俺が知らない地方都市なのだろうか。
「日本……大日本帝国、です」
(…………?!)
そして彼女が口にした国名は、俺の知っている限り、歴史の教科書の中でしか最早あり得ないはずだったのだ。ならば、俺はタイムスリップでもしたというのであろうか。では、この眼前に広がるあまりに現代的な街の灯りはなんだと言うのであろうか。疑問は混乱を伴って、更に深まるのみであった。ただ、時間は容赦なく、先ほどの老婆がそうであったように、いつものように、俺の体は発光を帯びはじめたのだ。
「……おおっと」
最早、ひきつるような俺の苦笑は、自らに起きている事象に呻くように呟くだけだった。やがて、視界すらも光を帯び始め、輪郭の中に、目の前の夜景は掻き消えようとしていく。
「……ナーモ君!」
この光の只中にあると、寸前の金縛りのように、四肢の動きが難しくなる。俺は辛うじて、自らの名を呼ぶ方を向くと、今にも発光に覆い隠されていこうとしている景色の目の前に佇む、光野リーンと名乗った少女は、こちらを見つめている所で、
「……またね……!」
選びあぐねた果ての彼女の一言と共に、全ては掻き消え、次の瞬間には、RRRRRRRRR! なんぞと、どこかで中央線の発車メロディーの阿波踊りがこだましているように聞こえる、高円寺駅の男子便所の洗面所の前に、先ほどまでの体勢で立ち尽くしている俺がいて、後ろを怪訝な顔をした赤ら顔のサラリーマンのおっさんが通り過ぎていくのを、鏡で確認できたりしたのであった。
「……………!」
しばしの呆然がそこにはあったが、俺はその場を離れる事にした。大通りの中を抜けていくと、やがて駅前の活気が嘘のような、あまり人通りすらない小道が連なっていき、そしてボロアパートだらけの小さな一角の中にまで来ると、俺が根付いた城も、また、其処にあるのだ。
カンカンカンカンカン…………さび付いた階段を登ると、通路には、ついたり、消えたりを繰り返している灯の周りに虫たちが群がっていて、やがて、ガチャリ……と、懐から出した鍵が回る音が響いた。玄関で靴を放るように脱ぐと、真っ直ぐに部屋へと向かう。
カシャ……なんぞと、部屋の灯りをつければ、後は、俺の根城だ。ギターをゆっくりとフローリングに降ろすと、万年床の上に座り込み、布団の下をささえるマットの中のスプリングが、重さに反応するのを感じた。
「…………」
ICレコーダー越しの感動も、酒に酔った多幸感もとっくのとうに掻き消えた中、とりあえず、吸い殻を引き寄せると、俺はタバコをくわえて火をつけ、今、起きた出来事の反芻なんてしてみた。
「…………」
ただ、あまりに突飛なことすぎて、どうでもよくもなってきた俺は、めんどくさそうに、一度、頭をかいてみせたりした後、ユニットバスに向かい、一風呂浴びたら、その日はそのままに眠ってしまったのだ。
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