肆・パラレルワールド?

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肆・パラレルワールド?

 貴重な完全オフのある日、俺は、自室でギターをつま弾き、ぼんやりと、窓の向こうの良く晴れた秋空なんて眺めていた。アナウンスは録音された音声だったが、今日日、珍しい豆腐屋の笛の音が、いづこかで微かに聞こえている。 「…………」  そこには、またもや、夢への階段を必死になってよじ登ろうとする現実の日々が待っていたはずだったのだが、ライブに、練習に、バイトに望んでいる最中にも、俺の心の中をよぎるのは、未成年の前で泥酔した上に晒したであろう醜態への罰の悪さで、素面に戻ってしまえば、光野リーンの困惑した顔すらも思い出すと、申し訳なくなって肩をすくめたくなるような心境であったのだ。 (……いやいやいやいや。大人としてダメだろ)  しかし、果たして、本当に、ワープ(?)なんて可能なんだろうか。 (…………)  俺は、未だちゃぶ台の上に置かれた、先日の光野の走り書きなんてぼんやりと眺めてみた。此処はあの魔法使いを信じて、やっぱり謝るべきだろうと思えてくると、俺自体もアルコールの力を借りない、「確証」が欲しくなってきたりもしたのだ。 (……確か、相手の事を念じる、だっけ?)  記憶をたどり寄せるようにして、俺は、しわくちゃの不可思議ババアの放った一言、一言を思い出していく事にした。当初こそ、なかなか効果も現れなかったが、ここ数日前に起きたエピソードまで思い出が辿りつくと、 (……いやいやいやいや。大人としてダメだろ)  改めて俺の心を自責が駆け巡り、だだ広い玄関先で出迎えた困惑気な蒼き瞳すら、瞼の裏によぎれば、 (……謝るぞ!)  心底、そう思えたのだ。途端に「変化」はやってきて、最早、お馴染みの様に俺の全身は発光していき、とうとう部屋から掻き消えたのであった。  俺の視界が再びクリアーになった時の最初の感覚は、靴下越しにコンクリートを踏む、あまり気持ちは良くない感触だった。 (…………)  見渡せば、洋風な一軒家の並ぶ、いつぞやの閑静な住宅街である。 (……本当、なんだな……)  改めて、我が身に起きた事を確かめるようにして、俺はゴクリと唾を飲み込む。穏やかな日差しの午後の街並みに、人気の通る気配はない。 (…………)  そして、今更、自分が部屋着のジャージ姿に、片手には、むきだしのギターを握りしめたままの姿である事に気づいたのだ。今、自分が住んでいる界隈なら有りえなくもない風体だが、此処では間違いなく浮いていて、とりあえず周囲に人通りがない事に、心底、安心してみたりもしている自分であったが、 (…………)  ゴクリと、もう一度、唾を飲み込むようにすれば、俺は歩き出そうと思ったのだ。ふと見れば、自分のすぐ目の前は、レンガが折り重なったようなデザインの壁面が続いていて、その向こうには、校舎らしき建物があるのにも気づいた。 (……学校?)  音楽室からはピアノの音が聞こえ、唱歌らしきメロディを口ずさむ女子学生たちの声も響き、不快な足元も我慢しつつ行くと、やがて校門が見えてきた。 (ふ~ん……なんだ。横浜、か)  モダンな門の横にある縦書きの校名を確認すると、最初こそそんな風にも思えたのだ。が、直ぐさま、その記載が妙である事にも気づき、もう一度、それを読み直すと、 (……どこだ……)  俺はやはり呻くしかなかったのだった。  目の前にある、どこにでもありそうで見た事もなかった学校名は、「横濱県立本牧高等女學校」と、なっていた。  ここが横浜というならば、街並みに洋風の彩りが強い事もなんとなく頷けるし、あの女がハーフなのすら土地柄としてあり得るだろう。そのネームバリューの強さゆえに、他府県住みの人間には、市名のみが色濃く印象に残るものだし、もれなく俺もそうであった。ただ、少し、常識を掘り下げれば、横浜の在る場所は、「神奈川県」である事なんて、皆が気づく事なのだ。  横濱県なんて、初心者が誤解しそうな県名など、在りはしないのだ。  おまけに記載の続きは、高等女學校、ときた。そんな学校があったのは、とうに大昔のはずではないか。 (…………!)  俺は、もう一度、辺りを見渡してみた。丘の上にある街並みは、更なる小高い丘陵も包括して、周囲は、現代日本のどこかにもありそうな高級住宅街が立ち並んでいる。と、車道を、いつしか見た事あるようなクラシックカーが通り過ぎていき、呆然としたままに視線を送り続けた先の道路には、「肆拾」と銘打たれた黄色い速度制限の表記が目に入ったのだった。  自らの中に蓄積された「知識」と、目にする強烈な「違和感」の間で、俺は、急速に気分が悪くなっていくのであった。  ほとんどパニックとなった俺は、気づけば、まるで早足のように、盲滅法に歩き回っていた。やがて大通りのような場所にもでたが、ところどころ行き交う車種は、いづれも見た事もないようなクラシックスタイルばかりで、看板をさげた店も見かけるのだが、いくら土地勘がないとは言え、そのどれもがまるで見知った事もない店ばかりだし、中途で見えた、こちらに向かってくる人影は、黒いシルクハットにちょび髭すら生やしていて、なんのコスプレなんだ? と、じっとこちらが見入っていると、むきだしのギターを握ったジャージ姿の裸足を、あからさまに怪訝な顔で見返してきたりするではないか。  俺は、更に、気分を悪くし、最早、後悔の念すらよぎりはじめ、どこをどう歩いたかは解らないけれど、今、在る場所の全てから逃げるように、どこまでもモダンでクラシカルな建物が続く中の、辛うじて隙間を縫うような裏通りに座り込んでは、途方にくれていると、やがて自らに「発光」さえ起きてしまえば、ひどく安堵すらしたのであった。  再び光の渦が晴れた先が、見知った自室の光景であれば、俺は心の底から安心し、ふぅ~っと溜息をつくと、秋晴れだった窓の外には夕闇がせまりつつある頃合だった。 (…………)  全てを嘘と思いたかったが、足元の汚れ切った靴下が真実を覆してはくれなさそうにしていると、すぐさま、ピーンとした耳鳴りと共に、電流の感覚はよぎり、間もなくして、部屋のインターフォンを鳴らす音すら聞こえる始末であった。 (…………)  一瞬、シカトしてやろうという案もよぎったが、俺は、おもむろに立ち上がると玄関へと向かい、ドアを少し開け、顔を半分だけのぞかせれば、光野リーンの姿がこちらに気づいて、 「ご、ゴメンね! 来てたのわかったんだけど……授業中だったし……!」  学校帰りの蒼い目は、必死に弁明しようとしはじめていたのであった。 「お前……」  俺は遮るように、乾いた口調で一言放った後、 「何者よ……」  そう言い残してドアを閉めた。謝罪を表す気持ちなど、とっくのとうに掻き消えていたのであった。  程なくしてもう一度ドアを開ければ、光野はためらうように未だ部屋の前に佇んでいて、 (…………)  一通りに着替え直した俺は、ついてくるように無言で相手を促し、やがて大通りにでると、駅に向かい連れ立って歩いたが、夕暮れにさしかかる高円寺の街並みの中で、二人は無言でしかなかった。  駅前のファミリーレストランが、思ったより空いていた事が唯一の救いであったであろうか。席に座ると、ウェイトレスを前にして、光野はオーダーするのをとても遠慮していたが、好きなものを頼んでいいと、俺が目で促していると、 「ごゆっくりどうぞ~」  やがて、システマチックなマニュアルの一言を残して、ウェイトレスは去っていったが、それぞれの目の前に置かれた飲み物を前にして、未だ、俺たちは無言であった。 (…………)  とりあえず、自分にとっては何年かぶりとなる、女子の茶のみ相手が、こんな年端もいかない子供になるなんて、 (人生は解らんね~……)  なんて思ってみたりして、俺はひと知れず肩をすくめた。しかし、今だって、普通にメニューを読んで、オーダーを頼んでみせたりしていた目の前の少女は、蒼い目に赤毛の、何処にでもいそうなハーフの女子学生のようではないか。店内の灯りの中で映える白い肌にしろ、とりあえず、宇宙人の類には到底思えない。 「あ……あのっ!」  両手に手にしたカラフルな飲み物を、一度、ストローで吸い込み、勇気を振り絞るように口火をきったのは、光野リーンであった。やがて、おもむろに自分のスマホを取り出すと、 「……私の、こっちじゃ使えなくて……」 (…………)  懐に大事そうに握られているスマートフォンは、どこにでもありそうなデザインすらしているのである。 「ナーモ君、の貸してくれる?」 (…………)  少し間をもたせたが、尚も無言ながら、俺は自分のを光野に手渡した。  義理堅いように一度、軽く会釈をしてからそれを受け取ると、光野リーンは慣れた手つきで画面をなぞりはじめ、何やら検索をし始めたようである。その扱い方も、まるで、どこにでもいそうな女子学生の姿をしていて、あまりに慣れた手つきで動かし続けていくものだから、俺は、だんだん、なんかの拍子で、やばいモノでも見られてしまうんじゃないかとヒヤヒヤしはじめた、その矢先であった。 「……あった」  白い肌の上に飾られた薄紅な唇が、つと、呟き、 「あの、ネ。私も、『あの人』から聞かされた事、よく解ってないんだケド……」  前置きするように、そして、こちらの様子を伺うようにしながらの蒼い瞳の上目遣いは、おずおずと、画面をさしだすようにしてきて、 (…………)  相変わらず、無言ながら、俺も少し身を乗り出すと、テーブル越しに共有された画面には、太陽系の画が映りだされていた。 「あのね。私の住んでるとこは、ここ、なの」  そう言いながら、少女は画面を拡大させ、いづこかの星を白い指先で指し示し、 (…………?)  眉間に皺をよせるようにしながら、こちらが場所を確かめようとすると、相手も身を乗り出してきて、 「ここ……」  もう一度だけ呟いた。  肩先から落ちた長い髪から、女性の芳香を久々に嗅いだものだから、多少どきまぎとしてしまったが、悟られまいとして俺は画面の方に目を凝らし、指さされた星を見れば、 「……火星?」  と、思わず呟き、改めて、目の前にて、異性特有のかぐわしい香りを放っている碧眼の主の良く整えられた顔を、無遠慮に、呆然と眺めてしまうと、 「え……? あ……!」  距離の近さに驚いていたのは光野の方であった。少し慌てた風に、顔を赤らめさせながら、元の位置に戻ると、 「えっと……! えっとね!」  更に、鮮やかな手つきで画面をなぞっていく。自称火星人(?)のあまりに卓越したスマホの使い方に、いよいよ、本当に、なにかの拍子で、俺が個人で楽しむために保存している、色々なものたちが暴かれてしまうんじゃないかという不安も、ピークに達しようとしていた、その時であった。 「ううん!」  画面をなぞり続けながら、火星人女子学生は、先ずは否定したのだ。そして、もう一度、画面をこちらに見せると、 「……此処は、中球だよ! ほら、太陽も入れたら、水……金……炎……中……太陽系って十個、星があるでしょ?……で、海王星までで、五番目で、真ん中になるでしょ?!」  多少、声も上ずった少女の声はカラ元気も相まざって、やけに明朗と俺に説明をしはじめたのだが、今度は本人が、なにがしかの「違和感」を感じたらしく、表情を止めてしまい、 「……あれ、冥王星は?」  と、呟き、 「……冥王星は、もう星じゃねーよ」  今度は、俺が苦笑まじりに講釈を返す始末であった。  俺は、自作の曲に歌詞も自前で書くソングライティングをする。今や、ギター一本に声一つで歌うスタイルとなってしまえば、所謂、シンガーソングライターと言われる類に完全に収まった、と言っていいだろう。そして、これは持論と言っていいかもしれないけれど、SSWというのは、歌唱力は問われるものの、あくまで「歌手」ではないのである。  歌手的性質を持ちあわせつつも、作詞作曲も自らで手掛ける「作家」の特徴も兼ね備えていなけれな成り立たないジャンルとでも言おうか。  そして、作曲と言えば、最初のインスピレーションと、後は数学的、機械的な考え方で、実はいくらでもできるものなのだ。いつも厄介な問題なのは詞の方だと、俺は思っていて、この作詞の段階で重要な要素も様々とありながら、その一つが「妄想力」で、言わば、SSWは、小説家のようなパラノイアでなければこなせない、と言うのが俺の考えであった。  ライブハウスで出会ってきた多くの仲間たちの姿も見ていれば、それは確信をもって断言できるというものだし、俺も含めたこの手の類の多くの妄想家と言えば、オカルト、SFめいた話が大好物と言って良いだろう。 「……パラレルワールド……」  ただ、映画や漫画などで、そういったエピソードを眺めるだけなら十二分に楽しめるというものだが、実際に、事象が目の前に起きるなんて、奇々怪々な気持ちにしかならないと、呻くような心境に陥りながら、俺は、推論を呟き、 「……パ……?」  目の前の清楚な少女は、聞き慣れぬ単語に、困惑した顔で首を少しかしげ、こちらを見つめるのみであった。 (…………)  俺は、こちらでは使い物にならないという光野のスマホを手渡すように促すと、自分のスマホと共にテーブルに並べ、SF小説で仕入れた並行世界の知識の概要を簡単に説明をはじめた。その手の話に全く疎いと思われる碧眼は、ただでさえ大きい瞳を、時に、更に大きくさせて聞き入っていったのだが、 「そ……そんなことって……」  免疫のないスケールの大きさに、とうとう観念し、唖然呆然とした様子であった。 「実際にアメリカじゃ、真剣に研究している先生がたもいるみたいよ」  俺は、半ば、投げやりみたいな口調で語り続けたが、 「……アメリカ、あるんだよね?」  ふと、興味本位にも駆られ、 「うん! あるよ! 横濱にもたくさんいらっしゃるし……」  少女が答えると、 「え? 昔、戦争したよね?」  俺は、更に興味が搔き立てられてきていた。 「え? うん。大変な戦争だった、みたいだよね……」  そして少女の答えには、 「太平洋戦争……」 「大東亜戦争……」  俺の呟きと光野リーンの口ずさむタイミングは、全くもってシンクロしてしまったのだった。 「わ、私も、授業で習った事くらいしか知らないよ?」  今や、俺からの必死の催促に、光野リーンは健気に応えるようにして、自らカバンの中から教科書を取り出そうとしていて、彼女の手にした教科書のタイトリングが「帝國史」と銘打たれているのを見てとれば、思わず俺は身を乗り出し、そっと手渡してきた彼女の手からひったくるようにすると、 (…………)  先ずは、個人的な趣味である、幕末あたりの頃から紐解き、受験時代に返ったかのように、当時培った速読で文面を辿っていけば、 (…………!)  なんとまぁ、そこには信じられないような記述のオンパレードであったのだ。  坂本龍馬は生き残っていたし、結果、明治政府は旧薩摩長州に土佐の三国出身の志士たちによる、微妙な政治バランスを保っていた。光野が当たり前に言う帝都の正式名称は、東帝都、だそうで、確かに俺たちも逐一、東京都と口にしない事と同じであった。  内閣総理大臣には山本五十六がなっていたし、米英と戦争状態に至れる事となった「大東亜戦争」は、広島と長崎に原爆が落ちれば、日本側は在米邦人の抑留キャンプにて、秘密裏に開発されていた毒ガス兵器を忍ばせた忍者隊(?!)による自爆テロで応戦し、米国本土にまでカミカゼが吹いた、と、日本と同じく、実は疲弊しきっていたアメリカも恐々とすれば、八月十五日に、ポツダム宣言よりもトーンダウンした折衷案が提示され、それを日本側ものむことで合意、終戦記念日となっていた。北方領土はロシアにとられていたが、アメリカによる沖縄占領はなく、満州、韓国の支配権を日本は放棄した上で、大使として来日したマッカーサーと昭和天皇は、笑顔で握手する写真すら掲載されているではないか。その後、あちらの天皇さんは「人間宣言」ならぬ「民主化宣言」を謳い、未だ一定の発言力はあるにしろ、こちらの象徴天皇制に近い形になった模様で、アメリカとは帝米同盟という名の元、友好国となっていたのだ。  未だ大日本帝国という国名で現存している由縁は、結果、敗戦国とはならず、戦時下の占領地域であった南洋諸島のいくつかの領有権をも、未だ保有している事に理由があった。今でもそれらの島々の多くの人々が「本土」、「内地」に出稼ぎにきていたり、戦後の「新制八紘一宇政策」により、様々な海外の人々が彼の日本には訪れ、帝都や横濱などは、こちらの世界以上に国際色豊かな土地柄となっている様子が描かれていた。 「…………」  ここまでを一気に読み終えると、俺は、ふと、目の前で、未だ、困惑した顔のままにこちらを見つめ続けている碧眼に視線を移すのであった。そんな国際国家と化した日本と言うならば、彼女がハーフなのも、こちら以上に当たり前の事なのかもしれない。 「……あんね……」  そして、俺は一息つくようにすると、とりあえず、彼女からひったくったページの開かれたままの教科書を相手に差し出し、先ほどのスマホの共有のように、やがて今度は俺の方から、こちらの世界とあちらの世界の相違している点を、歴史という実例を用いて説明しだすのであった。  しとやかではあるとは言え、随所で垣間見えた利発で聡明そうな雰囲気は正解だったようだ。元々、学習意欲も高い学生なのだろう。既に、几帳面に、ところどころにマーカーでアンダーラインもひかれているページをめくりながら、俺がする講釈に、光野リーンは、真剣にウンウンと頷き、時に、質問で返してくるのだ。つぶさに俺は答え、一先ず、一通りの即席の授業を終えると、 「すごい……ナーモ君、頭いい……!」  最初に彼女が口にしたのは、俺への感嘆符であったりで、 「まーねー。大学の選考、史学だったし? バイトでカテキョもやってたからなー」  まんざらでもなくなって俺が答えれば、 「大學……?! って、帝大?!」  乙女な瞳は、惜しげもなくまっすぐ此方を見つめているのである。 「……あ~、まぁ、そう。そっちでいうとこの、帝大……」  苦笑まじりに答えながら、俺は、一瞬、目を伏せた。親や周囲に誉めて、認めてもらいたかっただけで進学した大学時代の事は、今や、自分の「人生の無駄遣い」であったとひどく悔いていたからだ。 「帝大生だったの……! ナーモ君! すごいね!……お利口さん、だね!」  そんな大人の複雑な心境など露とも知らない可憐な乙女は、大きな瞳を更に大きくさせながら俺を見つめ、感嘆符を付け加えていったのだが、年端もいかない子供が口にした「お利口さん」という一言は、どこかくすぐったい感覚をおぼえ、俺は少し照れるようにしては頬をかいてみせたりした。  秋の夜風は少し涼し気になってきていて、三時間は帰宅の途も含めれば、泣く子も黙るような歴史学の授業で終わってしまった。候補地のいくつかも頭の中にあがったけれど、俺は、ガチャリ……と、自宅のドアを鍵を開け、 「お邪魔、します……」  光野リーンは、おずおずと後に続くのであった。  とりあえず、自分の靴を脱いだ後、体裁を繕うように、脱ぎ散らかせた他のそれらを慌てて整えたりしてみてから、玄関先に立ち尽くす少女と同じようにすると、 (……しかし、なんで、星、が違うんだ?)  俺は、ふと、そんな疑問も降って沸いたが、 「……なんか飲む? コーヒーくらいしかないけど。……て、そんな時間もないか~」  時間を確認しながら呟いていると、 「ううん……ありがとう……大丈夫……もう……」  答える彼女は、既に、徐々に、その全てを発光させはじめていたのだ。玄関までとは言え、久々に、自室に招き入れた異性が子供になるとは思いもしなかったが、既に発生している、この突飛もない現象を考えれば、一番、ベストというものだ。 「……ナーモ君、今日はありがとうね。なんか…すごい勉強になった!」  光りはじめ、はじめての一人暮らしの男性の部屋の空気に、少し、緊張していたかのような面持ちでもあったのだが、光野リーンは、健気に、先ずは俺に謝意を送り、 「はぁ……まぁ……」  真っ直ぐに見つめてくる瞳を、まともに見れないままに頭をかき、俺が生返事をしていると、 「……ナーモ君」  彼女は、もう一度、俺の名を呼び、 「……『あの人』、私達と、どこかで会った事、ない?」  と、続けたのであった。 (…………)  この娘がいう「あの人」と言えば、俺が解るのは一人しかいない。黒い大きな帽子に杖を持った、まるでおとぎ話の本から飛び出してきたかのような魔法使いの風体の、あの「老婆」の事である。 「いやいやいやいや。なに言っちゃてんのよ。俺らの出会い方だっておかしいのに……」  全く思い当たる節もないままに、苦笑まじりにヘラヘラと答えた時には、正に、今や、目の前の光は、一際に輝けば、消え失せ、まるで、何事もなかったかのように、簡素なドアがある空間でしかなかった。ただ、かすかに芳香は残っていたので、 「……気を付けて帰れよ~」  頭をかき続けながら、俺は、もう届きもしない言葉を一言残すのであった。
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