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「こらコウノスケ!どこ見てんだ、あ?公式、これだよ!」
「あっ」
津橋昴ノ佑は隣に座った講師、桧山敬市の罵声に一瞬びくりとし、教材に視線を落とした。
「公式使うんだ、あっそうか」
ふと隣を見る。
「ったく……」
今年36歳になる桧山は、ミキハラ進学スクールに入社して一年と少し。
顔には特に目立った特徴はないのだが全体的に造作が整っていて、その割に“ワイルド系”と生徒たちは評している。
原因は性格の悪さと威圧的な話し方で、指名制度のあるこの塾で彼を指名する女子生徒は皆無だ。
津橋も最初は彼が苦手だったが、何度か教わるうち慣れてしまった。
桧山は生徒を差別しない。ここに通い始めた時、絶望的に成績が落ちていた津橋にも、中学時代の復習から全て教材を用意して対応してくれた。
「おら、シャツ出てんぞ。ちゃんとしまわんか」
ブレザーの背中からのぞく白シャツの裾を掴み、ぐいぐいとズボンに押し込む桧山。
津橋は体が大きく顔つきも男っぽいから、赤の他人からこんな扱いを受けたのは初めてだった。
特に高校生になってからは、みんな津橋を敬遠している。
眉も目も上がりぎみで睨んだりすると怖いかもしれないが、人にはできるだけにこやかに接する努力をしてきた。
しかし今まともに話をしてくれるのは、この桧山とクラスメートの甲斐くらいのものだ。
「これがファッションなんだって!」
「俺の前でだらしない格好は許さん」
二人の年齢は倍も離れている。しかし津橋は他の講師を指名しないと決めていた。
この塾で桧山に教わるようになって2ヶ月が経つ。最近では学校の授業が理解できるようになってきたし、テスト対策もしてくれるから成績も上がった。
「やったー、解けた!」
「やればできるじゃねーか」
ポンと頭に手が乗り、撫でられる。まだ高3の津橋など、子供どころか子犬ぐらいに思っているのだろう。
「オレ、やれば出来る子だもん!」
中学時代、高校受験までは本当に真剣に勉強した。
その反動もあって、無事都立の高校に受かってからは遊びまくった。
3年に進級できたのは、持ち前の要領の良さと無遅刻・無欠席だけが理由のような気がする。
「桧山センセ、期末60点取れたらお祝いしよう!」
「アホかお前は!なんでそんなに目標が低いんだ!」
桧山が担当している生徒は、津橋のような落ちこぼれが大半だときく。
みな藁にもすがる思いで頼ってくるので、つい頑張ってしまうのだと言っていた。
津橋は週2回、2コマずつ桧山を指名して通っている。
最初は1コマだったのだが、90分では物足りなくなってしまった。母親を何とか説得して通ううち少しずつ結果も出ていたから、最近は堂々としたものだ。
他の生徒とも、こんなふうに遠慮なく話すのだろうか。
津橋は、できれば桧山と勉強以外の話もしたいと思うようになっていた。
「……お祝いって、何やるんだ?」
時間切れとなりペンケースをカバンにしまっていると、桧山が尋ねてきた。
「センセがメシおごってくれんの!で、おめでとうーって、褒めてくれんの!」
「う~ん、基本的にプライベートの付き合いはできないから、先生と生徒は」
「えー!」
桧山自身は嫌でもなさそうに見えるのに、塾のルールがそうなっていたとは知らなかった。
「じゃ、電話とかは?」
「番号教えちゃいけないんだ」
先生と生徒である以上、お互いの立場を超えてはいけない。
高校生の津橋にも、そのくらいはわかっている。
「ほら、もう帰れ。ママが待ってるぞ」
クラスメートにもよくからかわれる。先生のこと気に入りすぎじゃね?と。
どうやら気がつくと桧山のことばかり話しているらしいのだ。
立ち去りがたくてわざともたついている津橋に、桧山が言った。
「……次、期末の準備だからな。範囲ちゃんと聞いてくるんだぞ」
「う、うん。じゃあね」
時に友達のようだったり先生だったりと、桧山は津橋を好きなように転がしている。
いいようにされていると分かっていながら桧山の笑顔が見たくて頑張ってしまうのは、なぜなのだろう。
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