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「……タヌキになって貰えないか」
「なれる訳ねーだろ!」
即答したが歩兎さんの表情は真剣だし、楓さんが直前まで言っていた『仕事』の件だと思うとそれ以上は言えないでいた。
彼女は藤井屋がメインなので、裏の仕事の空蝉屋には殆ど参加しないが、半年に一度程度のペースで『話聞き』に出向くという。
菓子の手土産に他愛もない会話をするのだが、見た目もあるのか気を許して相談を持ち掛けられ、今では拠り所として愛されているらしい。
相談と言ってしまえば簡単だが、メンバーは情報を網羅していてこの世界で例えるなら現役を引退した『相談役』なので、イザリ屋に依頼するような困り事も多々あるらしい。
相手は信頼を置いたタヌキ姉ちゃんに口は開いても、歩兎さんら空蝉屋には何故かそういう話はしないようだ。
深刻な場合ウチがすぐに対応する事もあり、半年待ちわびている者もいるので、楓さんとしては唯一自分にしかに出来ない役として果たしているそうだ。
「作り笑顔を仮面みたいに貼れる交流のプロでダメなら、人見知りの貧乏人には無理です」
「分かってる……自分でも何で頼んでいるか不思議なんだ。でも小豆好きの貴女を楓も信用してるし、マナーや口が悪くても向こうでは特殊な者が寄ってくる、だから賭けてみた……」
「堂々とした悪口にしか聞こえませんけど?小豆が好きなだけで空蝉屋が務まる訳ないでしょう、まだ歩兎さんがタヌキの面を被った方がうまくいく気がします」
差し入れを持って行く場所は今回はイタチの世界だが、そこは近隣の世界の者も入居しているので他の種類も混ざっているようだ。
平たくいえば老人ホームに差し入れを持って行く感覚らしいが、歩兎さんは俯いているし、代わりに行きますと返事も出来ず狭い車内で沈黙が流れた。
キュルルルゥとお腹の音が鳴りギロリと睨まれたが、こちらだってパンクトラブルの後に駆け付け和菓子をちょっと摘まんだ程度で腹も減っている。
「バタついてたし腹も減りますよ、自然現象なんで空気は読めません」
「あなたって人は……」
何かを言いかけた所で車が一台入って来ると、彼はそちらに向かって歩き出した。
狛さんが運転していた車なので母達も戻って来たのだと思ったが、降りてきたのは瑠里だけでドラム缶の姿はない。
事情を聴くと婆さんが病院に着き、帰ろうとすると今夜は近くに部屋を取るらしく、いつも庭で和菓子を頂いて話をしている母は付き添う事に決めたらしい。
そのホテルは朝食バイキングが豪華だからご馳走したいなと、ネゴシエーター木村さんみたいな交渉を持ち出されたのもあるようだ。
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