終章

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 美弥が駅の改札を抜けると、誰かに後ろから声をかけられた。 「美弥ちゃん!」  美弥のあとから改札を抜けた奈々お姉ちゃんだった。三年前に比べて、奈々お姉ちゃんは髪が伸びてうっすらお化粧もして、ますますキレイだ。今は大学で法律のお勉強をしているのだそうだ。ニコニコと自分に話しかけてくれるお姉ちゃんと並んで歩いていると、すれ違う人がみんな、チラチラお姉ちゃんを見ていくのに気付いた。美弥はなんだかちょっと誇らしかった。 「少し見ないうちに、また背が伸びたねー」  お姉ちゃんにそう言われて、先月の身体測定で、春より2センチも身長が伸びていて、みんなにびっくりされたことを思い出した。 「お誕生日のプレゼント、なに用意したの?」  お姉ちゃんが更に聞いてくる。今日は未希の三歳のお誕生会なのだ。  バッグの中から、リボンのついた小さな袋を取り出して見せながら、 「美弥とおそろいのクマのついたゴムだよ。未希のはピンクのクマさんで、美弥のはこれ!」  といって、二つに結んだ髪をお姉ちゃんに向けた。髪には丸いクマの顔がついた青いゴムで縛ってあるのだ。 「わ、かわいい!」 「未希は最近、なんでも美弥のマネしたがって困っちゃう。こないだなんか、朝から美弥と一緒に学校に行くって泣いて大変だったんだよ」 「あはは、そっかー。それはもうかわいくてたまらないねえ」  うんと顔をしかめて困り顔を作ったのに、お姉ちゃんには見せ掛けだってお見通しで、「困るけど、嬉しいね」と言われて、思わず「うん」と頷いてしまった。 「でもね、でも、ホントに困るんだよ。お使いはまあいいとして、友達と遊びに行くのもついてくるって言うから、たまーに、友達に未希も一緒でいいかって頼むの」 「え、すごい! エライ! 連れて行ってあげるの? 優しいお姉ちゃんだねえ」 「そんなことないけど……」  ホントは、たまにすごく未希のことがうっとうしいと思うし、ノートや教科書にクレヨンで落書きされたときなんか、本気で叱って泣かせてしまったこともある。 「あたしが美弥ちゃんだったら、見つかる前にパーッと逃げちゃうかも」 「ホントに? お姉ちゃんでも?」 「もちろんだよ! お姉ちゃんが美弥ちゃん位の頃は、もっとわがままで自分勝手だったよ。美弥ちゃんすごいよ、やっぱり」 「えへ、そうかな。でも、一緒に連れて行くのはホントにたまーになの。たまーに」  そうこうしているうちに、目的地に着いた。未希の誕生会は、毎年この古ぼけた、未希の家(、、、、)でやることにしている。もともとは、あの大きな体の辻本のおじちゃんの家だったらしいけど、おじちゃんは家を売っちゃって、その後パパが未希の名義でこの家を買ったのだそうだ。以来、一家は何かというと、なるべく大勢の人を呼んで、この家でクリスマス会や誕生会を開いている。中でも、未希の誕生会は格別招待客が多いのだ。  お姉ちゃんが家の前に立って、感慨深そうに言った。 「あれからもう三年も経ったんだね……」  お姉ちゃんは、去年も未希や美弥の誕生会に来てくれているから、三年前というのはきっと、病院から抜け出した尚樹お兄ちゃんが、この家に隠れていたときのことを言っているのだろう。あの時はいろいろと本当にびっくりした。そして、あの頃はまだ小さくて、よくわからなかったことが、今なら少しわかる。お兄ちゃんの苦しみも、ママを取らないでと言った自分のわがままも。 「早く行こうよ。みんな待ってる!」  辛いことを振り切るように、なるべく軽やかにそう言ってお姉ちゃんを促した。 「うん!」  門を押して中に入ると、玄関から少しだけ見える庭に、頭にタオルを巻いて、灰色の作業着を着た大きな男の人が、剪定用の大きな挟みやスコップを手に、植木や花壇を作っているのが見えた。前と庭の様子がガラッと変わってびっくりするほどキレイになっている。植木屋さんが庭の手入れをしてくれているのだ。 「ただいま!」  玄関の引き戸を開けると、真っ先に飛び出してきたのは未希だった。 「おねえちゃん!」  丸まっこい足で駆けてきて、ぶつかるように美弥の腰のあたりにギュッとしがみ付いてくる。お蔭で、未希の丸くて大きな頭が美弥のみぞおち辺りを直撃し、思わず「ぐえっ」と変な声が出た。「もー」と言ってたしなめるが、未希はそんなことにはまるでお構いなしに、美弥の腰にしがみ付いたまま離れない。仕方がないので、美弥は未希にしがみ付かれたまま、引きずるように家の中に入って行った。それがよほど楽しいのか、未希はきゃっきゃっと笑い声を上げている。  パパがこの家を買って、少し大工さんに手を入れてもらってから初めて家の中に入ったとき、美弥は畳敷きばかりの部屋に驚いた。友達の誰の家に行っても、畳の部屋なんてせいぜいひと間かふた間ぐらいだ。それが、台所以外ほぼ全部の部屋に畳が敷かれているとはどうだろう。  昔はこんな家ばかりだったんだよとパパが言ってたが、昔の人は、どの部屋でもゴロゴロ寝転べて、畳のいい匂いのする部屋ばかりなんてすごい贅沢だったんだなぁと思った。少し古いが、美弥はたちまちこの家が大好きになった。  縁側に面した茶の間に入ってゆくと、隣の客間の襖が取り外され、ちょっとした広間になっていた。長方形の低いテーブルが並べられ、すでにいくつか料理が並べられている。茶の間と台所を何度も往復するママを見て、奈々お姉ちゃんがさっそくバッグからエプロンを取り出してママの手伝いにいってしまった。美弥も手伝いたかったが、未希がしがみ付いて離れてくれないので無理だ。  美弥の登場で未希の子守から解放されたパパが、「頼んだぞ」と言いながら、奈々お姉ちゃんにつづいて、ママの応援に行ってしまった。  残された茶の間では、未希が産まれた病院の、二人のおじいちゃん先生が、すでにお酒で顔を赤くしながら、美弥と未希を見て目を細めている。 「おお、かわいらしい姉妹やなぁ。うーん、大きくなった。三歳っつーと、今年は七五三か?」  少し言葉に関西訛りのあるおじいちゃんが言った。  するとすかさず、辻本のおじちゃんと同じぐらい大柄なおじいちゃんが返す。 「バカ、七五三はありゃ数えだろう? 去年終わらせてるはずだ」 「そうか? 満二歳で? でもおまえ、それじゃいくらなんでも小さすぎないか? ほら、着物とか千歳あめとか、支度がいろいろあるやろ」 「確かに。じゃあ今年だ」 「なんやそりゃ。おまえのええ加減は一生もんやな」 「そりゃ、お互い様だ」  おじいちゃんたちは、去年二人とも、『げんえきをいんたい』して、気楽な身分なのだそうだ。何度も二人で乾杯しては勝手なことを言い合っている。 ちなみに、未希の七五三は今年の秋にするとママが言ってた。 「ママ、辻本さんはどうした?」  パパが料理を運びながらママに聞いている。 「ああ、なんか進路指導が長引いてるから、少し遅くなるって、さっきメールあったわ。あ、そういえば奈々ちゃん、お母さんはどうしたの?」  ママの声が台所から聞こえてくる。 「あ、ケーキ取りに行ってから来るって言ってましたから、間もなく到着すると思います。特大のホールケーキだから、慎重に歩いてるんじゃないかな」 「あはは、なにそれ」  ママと奈々お姉ちゃんの笑い声が台所で弾けている。  そこへ「こんにちはー!」と玄関から声がして、手の込んでいるママとパパの代わりに美弥がお出迎えに行くと、大柄な辻本のおじちゃんが、でっかいケーキの箱を抱え、奈々お姉ちゃんのママと一緒に入ってきた。 「お、美弥ちゃんか? しばらく見ないうちに大きくなったなぁ」 「未希ちゃん、お誕生日おめでとう!」  二人の姿を見て、未希が美弥の後ろに隠れてしまった。 「ほら、未希、こんにちは、は?」 「こんにちは……」  聞こえるか聞こえないかの小さな声で、未希がつぶやいた。  おじちゃんとおばちゃんは、そんな未希に目を細めながら 「こんにちは。お邪魔します」  と笑顔で返してくれた。でも、普段から美弥は、パパとママに挨拶と「ありがとう」と「ごめんなさい」は聞こえるように言いなさいと言われている。ここは姉として、未希を甘やかすわけにはいかない。 「未希、もっと大きな声で言わなくちゃダメだよ」 「……」  美弥のシャツを掴みながら、もじもじとする未希を見ながら「ま、いっか」と思った。もう少し大きくなればわかってくれるかもしれない。  おじちゃんとおばちゃんの登場で、いきなり広間の人数が増えて、場は大いに盛り上がった。おじいちゃん先生たちはもはや眠そうだ。  ママがお盆にコップを乗せたまま、縁側に立って庭にいる植木屋さんに声をかけた。 「ねえ、ほら、もうそのぐらいにしたら? みなさんおそろいよ」  その声で、作業着姿の大柄な青年が、腰を伸ばしながら立ち上がった。  尚樹お兄ちゃんだった。  美弥は、それがお兄ちゃんだと思わなくてびっくりした。言われてみれば、お兄ちゃんの大きな背中は辻本のおじちゃんの後ろ姿にそっくりだ。 「うー、腰いてー!」  尚樹お兄ちゃんは、土のついた軍手を外すと、作業服をパンパンと払いながら笑顔でこっちにやってきた。 「お兄ちゃんだったんだ! 全然気づかなかった! 植木屋さんになったの?」  目を丸くしながら美弥が聞くと、以前とは打って変わった、よく日焼けした顔でニコニコと言った。 「まだ見習いの学生。もう少し大学で勉強してから、植木屋になるよ」 「すごーい!」  尚樹お兄ちゃんは縁側に腰掛けると、奈々お姉ちゃんが持ってきたお茶のペットボトルに口をつけた。 「はー、さんきゅ、生き返った!」  そして、作業着のどこかから、魔法のようにピンクのお花を一本取り出すと、未希に向かって差し出した。 「はい、プレゼント。この庭全部が俺からの誕生日プレゼントだ。お誕生日おめでとう、未希」  ピンクの花は百日草というのだそうだ。  すると、あれほど人見知りの未希が、不思議なことに、すんなりお兄ちゃんから花を受けとると「ありがとう」と笑顔を見せた。 「未希だけずるーい!」  美弥がヤキモチを焼くと、尚樹が笑いながら言った。 「美弥ちゃんには、いつも住んでる家の庭を造り変えてやるよ」 「ホントに?」 「ああ。誕生日は五月だよね? たくさんバラを植えようか?」 「わーい!」  美弥の喜ぶ顔を見て、未希も嬉しそうに笑った。
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