救世主きょうだい

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救世主きょうだい

 その同じころ、信吾は病棟の一角にあるカンファレンスルームで、もう何度目かの真田という主治医の説明を聞いていた。  前回の抗がん剤がよく効いたので、今回も前回と同じ薬でがん細胞を叩くこと、その治療期間とその最中の注意事項、及び、予測できる薬効作用、副作用。抗がん剤治療が一通り終わった後、自宅療養の注意点などなどである。 「まあ、一度ご経験されているので、確認ってところですかね。今回残念ながら再発したわけですが、まだまだ絶望するような段階ではありません。この病気は、根気よく付き合っていくしかありません。お父さん、我々も頑張りますから、一緒にがんばりましょう」 「……先生、骨髄ドナーはまだ見つかりませんか?」  信吾は、生徒の前でかろうじて堪えていた疲れを顔に滲ませながら、もう何度も聞いた質問を真田に繰り返した。 「ドナーバンクからはまだ何も……。一度失敗していますからね……」  真田は苦い思い出を無理やり引っ張り出されたように言葉を濁し、信吾の目を避けるようにPCのモニターに向かいながら、無意味にマウスを操作した。  ドナーバンクに登録して約一年後、幸運にも尚樹と免疫抗体の型が合うドナーが見つかった。完全に一致するフルマッチとは行かなかったものの、一座不一致といって、一部不適合はあるが、移植に耐えうるドナーからの骨髄移植だ。  しかし、結果は『生着不全』。  移植した骨髄は、尚樹の体の中で新しい血液を作ることがなかったのである。  それでもあきらめきれずに、再度提供を望んだものの、ドナーの方から丁重に断られてしまった。 「……」 「でもまぁ、骨髄ドナーは臓器に比べれば、圧倒的に提供されやすいですし、希望がないわけではありません」 「……」 「……まぁ、気長に待ちましょう」 「……」  信吾の重苦しい沈黙から逃れるように、PCのモニターのカルテを見ながら医師が聞く。 「尚樹君のお母さんには連絡取れませんか?」 「は?」  信吾は一瞬、何を聞かれたのかわからなかった。しかし、真田がもう一度同じ質問を繰り返す前に、質問の意味を理解した信吾は、真田が口を開くと同時に正直に応えた。 「あぁ、あの子の母親とは、もう7年も前に別れています。尚樹が10歳の時です」 「ええ、それは一応伺ってますが、元奥さんは、尚樹君の病気のことはご存知ですか?」 「……いや、知らせていません」 「それはどうなんでしょう」  主治医の口調が信吾を責めるように一段強くなった。 「いろいろあったかと思いますが、尚樹君のためにもつまらない意地は張らない方がいいのではないでしょうか? 元奥さんだって、病気の息子さんのことを何も知らされないのはショックだと思いますし、尚樹君も会いたいと思ってるんじゃないですかね? 七年前と言えば尚樹君は10歳だから、母親を忘れる年じゃありませんよね? 高校生とはいってもまだ子どもですし、過酷な治療は体だけでなく、心も弱るものです」 「……あいつが、尚樹が母親に会いたいと?」  医師の立ち入った忠告に、信吾は腹が立つよりむしろ冷静になってしまった。 「いや、そうではないんですが、この病気は万が一ということも……」  そこまで言って真田はようやく、他人の家庭のデリケートな部分に土足で踏み込んでいることに気付いた。 「……いや、すみません、つい立ち入ったことをお聞きしてしまったようです」  先ほどとは打って変わってしゅんとうなだれてしまった、三十代始めに見えるこの医師に、最近初めての子どもが生まれたばかりだということを信吾は思い出した。  大学病院の医師は相当に多忙だ。外来では日に一千人以上の患者を診なければならないこともあるという。そんな激務の中で、彼は彼なりに、尚樹のためにできることは、何でもしてやりたいと考えてくれているのである。ここまで熱くなってくれるのは、むしろありがたいのかもしれない。 「先生。私は家内に対して、意地を張っているわけではないんです。家内……いや、元妻も、本来ならわが子を置いて出て行けるような女でもない。彼女はむしろ、あいつを置いて家を出ざるを得なかったことを、今もまだ苦しんでいるかもしれない……」 「なら尚更、お母さんにはお知らせしたほうが……」  いぶかしげにそういう医師の言葉に応えるかどうか迷い、信吾は一瞬口を閉ざした。 「……先生は、『救世主きょうだい』というのをご存知ですよね?」  真田は一瞬、あっけにとられたような顔で信吾を眺めた。 「は? ああ、えぇ、まぁ……。しかし、あれは、日本にはまだその前例がありません。まだ制度が整っては……いやしかし……そうですね、日本にも十分、設備も技術もある。もし、もしもご夫婦にその気があれば、あるいは……」  半ば独り言のように、考え考えそういう真田に、信吾は思い切って尋ねた。 「先生、尚樹は次の再発も乗り切ることができますか?」  嘘の下手な医師は、グッと言葉を詰まらせた。 *  信吾が救世主きょうだいのことを知ったのは、たまたまつけっぱなしにしていたテレビからだった。再生医療をテーマにしたドキュメンタリー番組が放送されていたのだ。  骨髄移植のドナー探しに、親戚中に電話をかけまくっている最中のことで、結果は芳しくなかった。きょうだいのない信吾は、片っ端から親戚に血液検査を頼んではみたが、軒並み型が合わなかっただけならまだしも、中には血液検査そのものを拒否する者までいた。可能性が低いとはいえ、骨髄採取の際に、100%リスクがないとは言い切れない。親戚とはいえ、親しい付き合いもない他人のために、そんなリスクを背負う必要はないと思うのも当然だ。  受話器を置くたびに、足元の地面が少しずつ削れていくような恐怖が信吾を蝕んでいく。  しかしその番組では、現在の最先端医療で、ヒト白血球抗原、いわゆるHLA(Human Leukocyte Antigen)が、完全に一致する子どもを人工授精で作ることができると言っていた。  通常、ヒトの遺伝子の型は、両親からひとつずつ受け継いだ二つが対になって一つの型になっている。その型がぴたりと一致する確率は、他人同士の場合、およそ三万分の一と言われているが、同じ両親から生まれたきょうだいの場合、その確率は四分の一と飛躍的に跳ね上がるのである。  同じ両親から取り出した卵子と精子を使って体外受精させ、受精卵が八つに分裂したところでその細胞を一つだけ採り出し、HLA抗体を調べ、レシピエント――つまり、その受精卵から言えば兄か姉――と同じHLA型を持つ受精卵だけを母体に戻すのである。  そうやって産まれた子どもを『救世主きょうだい』といい、現在、アメリカやイギリスを中心に、世界ではすでに二百人以上が生まれているという。彼らはみな、生まれながらにドナーとしての運命を背負っているというわけだ。  しかし、もちろんこの最先端医療は、多分に命の問題(、、、、)を孕んでいる。科学の現場に時として多く身請けられるように、技術と設備だけが先走り、人間の倫理がまだそこまで追いつかないのである。  イギリスでは2007年、喧々諤々の議論の末、厳しく細かい規制をつけたうえで法案が可決されている。アメリカは、両親と医師の良心の許す範囲と規制がなく、日本にいたっては、前例はおろか具体的な議論すらされていないのが現状なのだそうだ。  信吾にとって、この最先端医療は、何物にも代えがたい希望の光に見えた。  すぐに行動に移さなかったのは、もちろん妻に去られているからだということの他に、彼女にはもうすでに、別の家庭があったからである。そして彼女に会えば、信吾はそれを頼まずにはいられないことも―――。
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