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第十章 大天界期
ジン・クレツの、凡そ人間とは思えない程低く、そして禍々しいまでの毒々しい声が、ゴ・クウを襲っていた。
だが、金色の鎧を纏っているゴ・クウは、怯まなかった。
弟のゴ・ノウは、ジン・クレツの術にハマって、立ったまま気を失っていた。
巨大な岩の牛の様なクルサルの上で、ゴ・クウとジン・クレツは、対峙していた。
岩牛の上空は、巨大で真っ赤な目が、岩牛を見下ろしている。
ジリッジリッ
ゴ・クウが、徐々に間合いを詰める。岩砕仗を正眼に構え、飛び付いて一撃を正確に決められる、限界のギリのギリ迄。
「此処か!」
ゴ・クウの眼が、キラリと光る!
逡巡の刹那、ゴ・クウの身体が、空を飛んでいた。
獣と化したジン・クレツに向かって、ゴ・クウが撃ち掛かろうとしたその時、
「ゴ・クウ殿、待って下さい!」
甲高い声が、ゴ・クウを制した。
ジン・クレツを撃ち据えようとしたゴ・クウは、咄嗟に身を翻し、ジン・クレツの向こう側に、着地した。
「ヤッパリ現れたか、ハン・クム嬢。」
ゴ・クウはゆっくりと立ち上がり、その声の正体を言い当てた。
さっきまで、ゴ・クウが居た場所に、何処からやって来たのか、ハン・クムが、立っていた。
「ゴ・クウ殿、その者を殺してはなりません。」
ハン・クムは、ゆっくりとジン・クレツに近寄ると、その頭部を優しく撫で始めた。
さっきまで唸り声をあげ、血走った目に敵意を湛えて、怒りに狂わんばかりだったジン・クレツが、ハン・クムのその行動に、大人しい忠犬の様に傅き、目を閉じて咽を鳴らしていた。
「ゴ・クウ殿、矢張気づいていたのですね。」
ハン・クムは、やや悲しそうな光を目に湛えて、そう言った。
「クム嬢、天界期とやらは、お前さん達が帰る事なんだろう?」
ゴ・クウの声に、怒気がこもる。
「出来れば、何も話さないで行こうと、思っていたのだが…。」
ハン・クムは、ポツリポツリ話し出した。
クルサルとは、元々此の世界の存在ではないのである。
ハン一族や他の反人も同じく、クルサルと同様、他の世界の住人なのである。
遥か昔、未だ人類が文化を獲得し得ない頃から、クルサル達の世界と此の世界は、複雑に絡まりあっていた。
何がどういう理由で、二つの世界が絡まったのか、其れは誰にも解らない。
ただハン一族だけは、世界の理を読み解く事に成功し、自由に二つの世界を行き来出来た。
いや、出来ていた。
何千年前からか、渡世法に狂いが発生していた。
それと同時に、さしたる存在でもなかったクルサルが、力を持ち出したのだ。
多分、此方の世界の物と、交わったのだろう。
ハン一族を代表する反人達も、此の世界の人類と、少なからず交わってきた。
多くの場合、反人達の力が強いせいか、交わっても相手の精を吸い取るだけで、何も起きない。
だが稀に、交配種が誕生する。
先代の族長、アイオウがそうであったように。
クルサルの中にも、此の世界の種と交配して、交配種が出現してきた。
そいつは、元来のクルサルよりも、身体も知性も、向上していて、何時しか独力で、二つの世界を行き来出来るようになっていた。
「なるほど、其れが天界期か。」
ハン・クムの話を聞いていたゴ・クウが、我が意を得たりとばかり、口を開いた。
ゴ・クウの顔が、又府に落ちないものになった。
「待てよ?なら、そのジン・クレツの様は、どういう理由だ?」
そのゴ・クウの問いに、
「この子は、特異点。」
ハン・クムの話だと、ジン・クレツのジンの何代か前の人物が、クルサルと交わったらしい。
「この子が、自らの指名に目覚めた今が、大天界期の絶好の機会。だから、お前様達を利用させて貰ったのさ。」
ハン・クムは、しらっと言いきった。
「大天界期?」
ゴ・クウは、ハン・クムの言った、大天界期と言う言葉に、異様さを感じた。
「大天界期とは、なんだ?」
ゴ・クウが、ハン・クムに問い返す。
途端に、ハン・クムの瞳に、悲しみの色が浮かび上がる。
「元々、此の世界と向こうの世界とは、相容れないもので…。」
ハン・クムが言うには、何故そうなったかは、誰にも分からない。だが、二つの世界を、正しい方向に修正する方法は、見つかった。
「大天界期を発現させるには、三つの物が必要になる。一つは強き巫女…。」
ハン・クムは、続けて言う。
「二つ目が、二つの血を受け継ぐもの。そして最後が、純粋なる異人…。」
ゴ・クウの眼が、強い光を放つ。
「純粋なる異人?なんだよ、それ?」
語気を荒げて言う。
「強き巫女と言うのは、クム殿、貴女の事だろう?二つの血を受け継ぐものは、そこにいるジンだろう。だが…、」
ゴ・クウの表情が、硬い。
「純粋なる異人?なんの事だ。」
ゴ・クウが訝しむのも、通り。
異人と言うのは、普通は超能力者の事を指している。
純粋なる異人?意味が分からない。純粋なる超能力者?
意味が分からない。
「ちょっと勘違いを、してなさる。ジン・クレツが、二つの血を受け継ぐものは、その通り。」
ハン・クムは、意味深げな微笑みを浮かべて、
「純粋な異人とは、我の事。そして…。」
そのまで言うとハン・クムは、身に付けていた、あの藤色の長布を剥ぎ取り、全裸になった。
とても、齢300歳を越えている者とは思えぬ、体つき。16~7歳の小娘と言っても、誰もが信じる。
ハン・クムが、ゴ・クウを指差して言う。
「ゴ・クウ殿、強き巫女とは、お前様じゃ!」
ハン・クムはそう言うと、ゴ・クウの方へ手を差し出した。
その途端である。
「あ?何だ?」
ゴ・クウの身体が、動かなくなった。
「ふふふ、身体が動かないであろう?お前様に与えた金の輪は、鎧と言うより、拘束具なのじゃ。」
ゴ・クウは動かない身体で、身を捩ったが、どうにもならない。
「ゴ・クウ殿、どうか我らに力を貸してくだされ。」
ハン・クムは、ゴ・クウに深々と頭を下げた。
「今の天界期は、千年に一度有るか無いかの、大いなる好機!今を逃したたら、次は何時になるか解らない…。」
そう言いながら、静かにゴ・クウに近づくや、ゴ・クウの頭に静かに触れた。
「あ!ああ?」
ゴ・クウは、身体中の力が、一気に喪失するのを、感じていた。
それと同時に、ゴ・クウの身を包んでいた金色の鎧が、金の粒にほどけ、其れがハン・クムの身体を包み上げた。
「おお、流石ゴ・クウ殿じゃ、ゴ・クウ殿の力は、我の羽衣となり、大天界期には無くては成らない法具となった。」
ハン・クムの顔が、愉悦に光っていた。
岩牛のクルサルの真上、巨大な赤い目に見つめられながら、ハン・クムは巨大クルサルの上に、或る紋様を描いていた。
その紋様の中心には、ゴ・クウが寝そべっていた。
「時よ時よ、我が命を聞き届け給え。悠久なる時の司よ、我の願いを聞き入れ給え。」
ハン・クムは、紋様を描きながら、繰り返し繰り返し、呪文のようにその言葉を唱えていた。
「クム嬢、何の呪文だい?」
ゴ・クウは、身体が動かせないが、首から上はソコソコ動くので、ハン・クムの行動を目で追いながら、そう尋ねた。
「何、大した意味はない。我がハン一族に伝わる、時払いの吟いじゃ。」
ハン・クムは、微笑みながら、そう答えた。
暫くして、紋様を書き終わったのか、ハン・クムは全く動けないゴ・クウの傍らへとやって来た。
「ゴ・クウ殿、いよいよ力を貸してもらう時じゃ。」
ハン・クムはそう言うと、遠くで伏せていた、ジン・クレツを呼び寄せた。
もう、完全に人間の姿を失っている。全身を鈍色の鱗に被われた、狼のような姿である。
「クレツよ、我の求めに答えよ!」
「ウオオオォォォン」
ジン・クレツが、一頻り吠えた。
ジン・クレツは、ハン・クムが描いた紋様の、1ヶ所に陣取った。
ハン・クムも、ジン・クレツと対峙するかのように、ある場所に陣取る。
「さあ、大天界期の始まりだ!時の司よ、此処に!」
ハン・クムが天空に叫ぶ。
ゴ・クウは見た。
天空に広がる、巨大な赤い目から、赤い光が降りてくるのを!
その光が、巨大なクルサルを完全に包んでいった。
ジャイ・アンフツは、巨大な岩牛が暴れまわる、キンギン鉱山から、出来る限りの塩をかき集め、貨物車に詰め込むと、出来る限り鉱山から距離をとった。
「ゴ・クウは、大丈夫だろうか?」
ジャイは、ポツリと呟いは。
「おおーい、ジャイ・アンフツ殿ぉ。」
砂塵を巻き上げ、一台の橇が滑り込んでくる。
ゴ三兄弟の末弟、ゴ・ジョウであった。
「ハン・クム嬢を、知らないか?」
そう聞いてきた。
「へ?重要人物の警護は、お前らのオハコだろうが!」
ジャイは、多少呆れながら、ゴ・ジョウをたしなめた。
「イヤァ、ちょっと目を離した隙に、はぐれちまって…。」
ジョウは、頭をかきながら、
「もしかしたら、此方の方に来てないかと。」
「俺の方には、誰も来ちゃいねえよ?…、そう言や、トウの野郎が見当たらねえな?」
そこまで言って、ジャイ・アンフツの目が、虚空を見つめて、
「なんだありゃ?」
と、叫んだ!
ジャイ・アンフツの見つめる先、ちょうど、岩牛クルサルがいる真上、良く晴れた空の真ん中が、真っ赤に裂けて、其処に巨大な赤い目玉が出現していた。
「まさか…、こりゃヤバい!」
ゴ・ジョウはそう呟くと、橇を反転させて、元来た方へ走っていった。
「お、おい?ゴ・ジョウ!」
ジャイ・アンフツの呼び掛けも無視して、ゴ・ジョウは岩牛クルサルの方へと、橇を飛ばす。
ゴ・ジョウが岩牛の足下にたどり着いた時には、岩牛は動きを止めていて、単なる岩山になっていた。
其れと時を同じくして、天空の巨大な目から、赤い光が降りてきた。
ゴ・ジョウは、橇から飛び降りるや、岩牛の天辺目指して、駆け上がった。
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