第5話 愁事

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第5話 愁事

和希の胸元に手をかざす。 集中するけれど、ゆらゆら揺れる蝋燭の炎みたいに、感覚を維持できない。 「……ストップ」 斜め上から静かな声が降り注ぐ。 見上げると要と視線がぶつかった。 「雑念が入り過ぎ」 「はい、すみません……」 要が後ろから腕を伸ばし、葵の手首に指先を置く。 耳元に要の息がかかり、思わず意識してしまった。 「もう一度集中して」 頷いて、深呼吸をしもう一度感覚を研ぎ澄まそうとするが………… 「目の前でイチャつくなよな」 ボソリと呟いた和希の声が耳に入り、再び揺らぐ。 「仕切り直しましょうか」 頷く葵の頭に要が手を置いた。 同棲までして、何度も肌を合わせているのに、どうかしている。 未だにふとした瞬間に動悸が早くなる。 特に濃厚な愛撫を受けたあとは、どうしても反応してしまうのだ。 不安が執拗に温もりを求めるように。 「私、もうちょっと和希くんといようかな」 要はこれから登校する。 今までは1階まで一緒に下りて見送っていたが、今は陽だまりには居づらい。 あんなに忙しく仕事に追われていた祥吾が、何故か最近良く陽だまりにいる。 「……ああ、五月蝿いのがいるしな」 ブレザーを羽織り、鞄を手にした要が勘付いて呟いた。 「うん、ちょっと断るのも疲れてきたよ」 玄関に向かう要の後に葵は続く。 「どうしようもないな、あの人は」 「祥吾さんにも考えがあるんだろうけど」 「今夜にでもまた話してみるから、それまで適当にかわして、近づかないように」 靴を履いた要が向き直った。 改めて顔を見ると、急に離れ難くなる。 今ここでは人目がないのだと思うと、抑えが効かなくなった。 「午前だけで終わるので」 要の言葉を遮る形で、葵はその体に抱き着く。 意外だったのか、要は言葉を途切らせ数秒の間があった。 「……帰ってから和希の治癒を」 声と同時に優しく頭を撫でられる。 何故だろう。 京都行きの話が出てから不安で堪らない。 離れて過ごすことが酷く怖い。 わかっている。 京都行きは必要なことなのだ。 そして恐らくスカウトには要が必要で、だけど京都に行けない理由が要にはあって、要を京都に連れて行く為に、祥吾は自分の同行を求めている。 (私が行くとなると要くんが絶対についてくるから) 京都には、分家には、何かがある。 知りたくない事がある。 「このまま一緒に部屋に帰る?」 要の指先が葵の髪を耳にかけ頸に流れた。 肌を滑る要の指先が意図するものがわかり、葵は慌てて体を離す。 「ごめんねっ……遅れちゃうね」 要は大学受験を控えている。 ただでさえ色々な問題で出席日数が足りないかもしれないのに、引き止めてしまった。 (ほんと、どうかしている) 崩れて行く足場を歩いているような、そんな自分の不安定さが恥ずかしくなり葵は俯く。 「戻るまで、ここで待ってる」 「……残念」 くすり、と要が笑ったように思えて顔を上げると、掠めとるように口付けられた。 不意を突かれた触れるだけのキスに、葵はきょとんとしてしまう。 「続きは今夜」 ブレザーの胸ポケットに入れた眼鏡を取り出し、要が玄関の扉を開けた。 眼鏡越しの要の瞳を見つめたまま葵は無言で見送っていた。
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