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龍と雷さま
「なんで今年は降らないんだ。夏だと言うのに雨が降らない。水が少なくて、汲み上げるのが大変だ。このままだと涸れてしまう。俺は五十年余りここに生まれ住んでいるが、こんなこと初めてだ。水元神社へ行ってお参りでもするか」
水元神社は大田原高校の前にあって、明治から水が湧き出し、涸れたことがなく、近隣の住民で水源さまと祭っている。
「もう2週間も降っていないからね。このまま降らないと田んぼの米も今から実をつけるというときなのに…」
女房の定子とこんなやりとりした。
正男が焦っているのは正法寺で法事が近日中に2組あり、その精進料理に使うとうふの注文を受けているから。正木屋にとってはお得意さんの正法寺。というより正法寺あっての正木屋と言った方が正しい。注文受けて、水が無いからとうふが作れないという言い訳は通らない。
これより半月ほど前、正男は蛇尾川の蟇沼へ行った。蟇沼用水がある取水口付近を見るためだ。別に見たからどうになるものでないが、この目で確かめたいと… 川に水があるのを確認してきた。
正男は軽トラを運転しながら、頭では蛇尾川のことを思い浮かべる。蛇尾川は不思議な川だ。延々と続く河原 でっかい石、小さい石が無数にある。昔、大田原藩の百姓と天領の百姓は境界を巡って争ったという話を思い出す。ことの発端は木綿畑(きわたはた)の百姓が蛇尾川の河原にある杉の木を伐採したこと。これを知った蟇沼の百姓はおらが村の木を何故切ったと怒り、鎌・鍬を持って争いになり負傷者を出したという。両者の言い分は元々切った杉があったところはおらが村の地内だ。おらが村で大切に育てた木を切ったのを何言うだと木綿畑の百姓はいい、蟇沼の百姓は蛇尾川の河原はおらが村の地だという。双方の言い分は結局江戸の勘定奉行の采配に委ねるところになり、木綿畑側の主張が認められたという。江戸の昔から蛇尾川上流は川境(かわざかい)がはっきりしなかったのだ。
正木屋一帯は蛇尾川上流大佐飛・小佐飛の山々に降った雨と那須扇状地の扇頂に降った雨が伏流し、地下をくぐり抜け姿を表すところ。市役所隣の鶯谷公園の池もそうだし、大田原高校の池、水元神社の湧き水もそう。大田原市の水道の井戸もそうだ。井戸は市役所敷地内にある。市役所庁舎の西端に2カ所。新庁舎が建てられる半世紀前からある。水が地表から見えるところは自分の目で確認してきた。
市役所の水道ポンプはふたをかぶって見えなかったが、メーターは動いていたので、確かめるまでもなかった。もっとも、市役所の井戸は深井戸だから別格だが… 深いところから取っているので影響ないのだろう。
大田原の水道は市役所敷地内に水道水源を持っている。こういう市町村は珍しい。いつだったかそんな話を水道工事屋さんに聞いたことがある。これまでに水が涸れて、水道が出なくなったなんて聞いたことがない。誰も、水道は蛇口をひねれば水が出るのが当たり前と思っている。この間、水道課の職員さんも、俺たちの仕事は、いつでも、必要なときに、きれいな水を必要なだけ届ける(給水)ことだと言っていたことを思い出した。
そんな話を聞いて、正男も俺の仕事は蛇尾川の伏流水を使っておいしいとうふを作ることだと逆に励まされた。そうそう、水を追っかけて苦労しているとき、水道工事屋さん、水道課の一言(ひとこと)って骨身にしみる言葉だと思った。
正男は商売仲間で同じく井戸水を使っている営林署前のうどん屋、大田原高校隣のそば屋にも確認したが今のところ大丈夫だとのことだった。
涸れてからでは遅いので、同業者の組合(大田原市とうふ屋組合)にも相談に行く。同組合は市内のとうふ屋20軒で構成し、製造・販売等について情報交換を行う目的でつくられた団体で、大田原商工会議所内にある。しかし、いい話はなかった。
いよいよ降らないので、明日は水元神社へお参りをしよう。その相談をほうらんとした。当日の朝を迎えた。目を覚ますと雨音が聞こえる。外へ出ると、確かに、雨粒が天から落ちていた。
その後、雨は朝から晩まで降り続いた。正木屋の井戸はもちろんのこと、周囲一帯の井戸は以前に近い状態に戻った。注文の品は滞りなく納めることができた。
後日、正法寺の住職から、「よくやってくれた」とおほめの言葉をもらった。
正男は今回も助けられたと思った。龍体城の龍が蛇尾川の水があまりに少ないので、雷さまを動かし、雨を降らせたのだと本当に思った。決して、水道の水を使おうとは考えなかった。定子からもそれとなく言われていたが、聞く耳は持っていなかった。
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