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黒磯のまちおこし
黒磯市、西那須野町、塩原町が平成17年1月1日に合併し、那須塩原市となった。同じ年の10月1日に大田原市、黒羽町、湯津上村が合併した。誠は合併直前の平成16年暮に商工会職員に採用された。役職は観光担当主査であった。実質的な実働部隊であり、これからの商工会を盛り上げるもそうでないも誠の双肩にかかっていると言っても過言でなかった。
転職と同時に住居を県営稲村団地に変えた。給料が下がるのには生活費を詰めなくてと思っての決断だった。
初めて商店街を回ると、あちこちから箱屋の息子かい。信ちゃんとこの息子がこんなに大きくなったかい。しっかり頼むよなどと声がかかった。材料運びの手伝いで行ったことのある木工所のおじさん 弁当箱を納品する弁当屋さん 駅長さんや古参の駅員さんからも声がかかった。
誠はこんなに商店街の人や駅の人が自分のことを知っているとは思わなかった。駅東のハズレの一角で細々と弁当箱を作っているところの息子だけなのに… 測量の仕事から離れ、後悔している時間はなかった。
当時の事務局長は県職員OB。名前を西村太郎といい、商工労働行政に明るくハローワーク、工場主らに顔が広く、何も知らない誠とは大違いであった。二人が歩くと親子と間違われるほどであった。西村は商工会がうまく機能すれば、必ずや市は発展するとの強い信念をもっていた。誠はそれを信じて西村のカバン持ちはもとより、夢中で働いた。
初めて手掛けた仕事は那珂川河畔公園の花火大会だった。合併前から行っていたものを合併後は黒磯、西那須野が一致協力して夏の夜空を花で飾ろうと旧黒磯の事務局が呼びかけ人として立ち上げた。第1回会合を黒磯商工会の会館で実施した。旧塩原町、旧西那須野町の担当者らが参加した。2017年4月だった。
このとき、JAなすの、塩原温泉旅館組合、板室温泉旅館組合、那須町、那須温泉旅館組合にも声かけ「那須野ふるさと花火大会」としようという提案があった。この提案はJAなすのからであった。
既に、JAは大田原市、那須塩原市を含め、県北一体となった組織が平成8年からスタートしていたこともあったからだった。早速、2回目の会合を5月に開き、実行委員会を設立、開催日、打ち上げ花火数などを打ち合せた。3回目は6月に開催し、第1回の実行委員会をも開催した。日程も提示し了承を得た。なお開催日は8月の最終日曜日とした。
開催一月前の7月にはちらしの案を提示した。大小2種類のポスターを印刷し、集客施設に配布した。
同月中に、警察、県土木事務所にも必要な諸手続きを済ませた。
当日は心配された天気にも恵まれ約2千人の観客を集め無事終了することができた。
市町村合併後の第1回花火大会は半年余りの誠にとっては予想をこえる成功に終わった。以降第一回が先例となり、回を重ねるごとに盛況となった。また、合併後10年の平成27年からは花火の始まる前に疏水太鼓が実施され、那須塩原市が那須疏水によって発展してきたことを多くの市民に印象付けた。
次に手掛けたのはアーケード撤去事業だった。かって駅前大通りには歩道上にアーケードがあって、街のイメージを暗くしていた。それを明るいイメージに見直そうという動きが出てきたが、なかなか進まなかった。その調整役に黒磯商工会が委ねられた。アーケードは昭和50年代に取り付けられたが、当時は店舗面積も大きくなり店主もお客さんも喜ばれていたが、平成20年ごろになると老朽化が目立ち、逆にイメージダウンになってきた。平成22年になって市役所から撤去する方向で商工会に指導願いたいとの方針を示された。併せて、昭和6年の大火災前から存続する文化財的建物もあり、これらをいかしつつ街づくりをして行こうという気運が高まった。
誠は5年目の春を迎えていた。担当を命じられ、早速、誠は商店主の有志と商工会、一般市民、市役所の四者で駅周辺街づくり協議会を立ち上げた。協議会は四者合同で定期的に会合を行った。
この事業は黒磯駅に訪れた観光客を駅周辺を散策したり、ショッピングを楽しめるよう歩道を整備し、遊び場を設けようとするもの。併せて、古い建築物を残し、建築物の色を統一するなどにより文化的街づくりをしようとするものであった。
誠は駅前の商店主に改築をする場合、この趣旨を徹底するよう頼んだ。それと、現況がどうなっているかを徹底調査した。調査は誠が登記簿に記載されている建物図面を参照して作成した。その辺は測量事務所時代学んでいたのでさほどの苦にはならなかった。
商店主らからも、図面が読める 図面がひけると信頼を得るようになった。そして、着実に一軒~同協議会が目指す改築等が実践されるようになった。平成24年度に第1号の改築案件が出てから、約5年でほぼ終わった。街並みは大きく変わった。
また、大火災のときに、道幅を広げたつくりになっていたことにより、大きな反対もなくできたことに改めて誠は菊池恒八郎町長の偉大さを知った。
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