思い出

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   深い、深い海の底に沈められる。  体は芯から冷たくなっており、暖かさが欲しいと感じる。  既に気付いてしまった。ここは“ハス”が呼び起こす深層の世界。だから、もう一度あの辛い場面を見なければいけないのだ。名前を奪われた弟と、愛した家族の惨劇を。  もう一度、見ないといけないのだ…………。 ––––––––リちゃん ––––––––カリちゃん  暗闇から声が聞こえてくる。出来ればもう少し眠らせて欲しいのだが、確か今日はお城での任務があるとかで、早めに起きないといけないのだ。けど、体が重い。 ––––——アカリちゃん!!  ジリリリリ  ジリリリリ  この音は目覚ましの音、という事はもう起きないと駄目な時間なのだろう。にしてもさっきの声はロムなのだろうか? 君の名前は?って聞いて来たから違うのだろうと思うけど、あまりに寝ぼけていて判断がつかない。 「ふぇ…………?」  ロムは相当動揺しているのか、両腕一杯に抱きしめて来た。仄かな暖かさが心を締め付ける。  あの時は、きっと夢のせいだと思っていたんだ。何か悲しい夢を見てしまったんだと。  けど、そうじゃなかった。自分でも気付いてないだけ、私はこの時まで絶望を感じていたんだ。変わらな過ぎる日常に、自分の無力さに。  抑えられない感情を抉る事で、心に空洞が出来た。悲しくて、泣くことしか出来なかった。  いつか、英雄が救ってくれるから。  誰かが言ったであろうその言葉、いつからだろう、心の支えになっている。    でも、いつ?   急に場面が変わる。それはあの時、彼と初めて出会った時だ。  石の中から人が出てくるなんて、普通ありえないでしょ? そりゃ運命感じるよ。  ずっと不思議だった、こんなに強いのに自惚れない、下っ端気質で悪い事は嫌がるし、たまにお花に水やりしたと思ったら自慢げに話すんだもの。気配り出来るんだぞって。何を言ってんだか。  私が今まで見た英雄って、傲慢でぶっきらぼう、偉そうにしていて、自分でしか出来ないような正義感を振りかざし、他人にも同じ志を求める何とも嫌味な奴。  真逆の奴がいるなんて!  もっと自分に自信を持ちなさいよ!  また景色が変わり、ソファーに座っている彼の姿を見かけた。  勝手に居なくなったと思ったら、勝手に家に帰ってるなんて非常識にも程がある。本当はガツンと躾けるつもりだったけど、その背中を見てるとそんな気持ち湧いてこないよ。  抱きしめて、慰めてやりたいと思った。  ベゴニアでの彼の話しはちょっと衝撃的だった。あんな顔をするなんて、彼にもトラウマがあるんだね。まさか本当に500年前の人だとは思わなかった。しかも私とロムが慰められるなんて、本末転倒じゃないか!  一歩、踏み出そうとした瞬間。急にガラスが割れたように目の前の空間に歪みが生じた。 「あ、あれ?」  内側に逃げるように、前の風景は心の奥底へと吸い込まれていった。  上から大きなドス黒い液体が全身を覆う。  その隙間から夕日が見えた。それはあの時、アイナリンドで見た淡い夕焼け。  逃げようと、手を伸ばし掴もうとするが、またガラスが割れたように空間がねじ曲げられ、心の奥底へと逃げ込んでいく。  次々にガラスの割れた音が脳内に響き渡った。それは止まる事を知らず、思い出を割り続ける。 「あ……あ……」  憎悪が、体内をかき乱す。  止める事は出来ず、ただ流れに身を任せる他ないのであった。  思い出の破片は、死者の地に。
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