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「魔族と人間は今すぐには手を取れないだろう。徐々に、徐々に寄り添っていけばいい」  ベッドの中で彼がオレの腕に抱きつきながら、夢を語っていた。 「一度生まれた種族を滅ぼすこと自体が、ナンセンスなのだ。だから私たちも法律を作って、人間たちに寄り添ってゆくよ」  彼は過去を暴露したあの日から、自分と同じベッドで寝るようになった。曰く人間の食事で飢えをしのいでいたものの限界があり、もし許されることなら夢を食わしてほしいというのだ。お陰でオレは夢を見ることなく、途中で起きることもなく安眠している。本当は夢の中で……その、いかがわしいことをするのが一番いいらしいが、しないでくれている。 「マーレ」  彼の名前を呼ぶ。彼は目を輝かせ、嬉しそうに飛び起き、「はい!」と元気に返事をした。魔王には名前がなかった。魔王曰く「基本物扱いだったので、指示語(あれとかそれとかこれ……知らなかったから説明してもらえた)で呼ばれていた」とのことだった。母親には「坊や」と呼んでいたらしい。人間からしたら十代後半から二十代前半に見える魔王を、坊やと呼ぶのはなあ。 「キミに魔王と呼ばれたくないが、名前がない」  どうしようかと思ったが、彼の瞳を見て、思いついた。 「古い言葉でマーレという言葉がある。海という意味だ。キミの瞳は海の色だから、これからはマーレと呼ぶことにする」  魔王、じゃなかったマーレはそれはそれは嬉しそうに飛び跳ね、何度も名前を暗唱した。 「ああ、ああ、嬉しいよステラ! 名は親が最初にくれるプレゼントと育児本で見たが、きっと生まれたばかりの子に自我があったら、嬉しくて飛び跳ねただろう‼︎」 「育児本も見たことあるのか……」  ニコニコ笑みを浮かべるマーレに、オレはオレがすべきことを確認した。 「オレは人間の世界に行って、王様を説得する。難しいとは思うが……魔族が攻撃をやめて、平和が訪れたら、国民も安心すると思う」 「ああ。もしもの時は、ステラは囚われのフリをすればいい。私はステラの地位が心配だ。人間界に帰った後、酷い目にあったらどうしようかと……」 「オレは大丈夫。家族もいないし、拷問だって平気」  あの時から、オレがマーレを許したからだろうか。距離がすごく近くなり、オレに甘えてくるようになった。いや、元から好意的ではあったが……。 「ステラは優しいな。怖いくらい優しい」  オレの腕に額をすり寄せる。同じ男なのに、マーレは華奢なせいかあまり暑苦しく感じない。 「ずっと、ステラと一緒にいたいなあ」 「? なんか言ったか?」 「いや、なんでもない」  聞こえていたよ。今がマーレの本心なんだろう。いっそ、人間界に帰らないという判断もある。でも、そうしたら人間と魔族の橋渡しは、誰がするんだ? オレだろう。 ……いや、待てよ。何故オレは、マーレと一緒に暮らす前提で考えているんだ?  オレが囚われてから数ヶ月は経っただろうか。互いの世界の情報を交換したり、一緒に本を読んだり、ご飯を作って食べたりしていたら、ずいぶんと日が経ってしまった。世界が危ういのに、オレは一体何をやっているのだろうか。でも、その日々は心地よいものだった。マーレは、最初こその出会いは勇者と魔王という対立していた関係だったが、側にいてほしいと思うようになってきた。泣いていたら慰めたいし、笑っていたら共に笑いたい。気が付いたら、彼はオレの一番近い関係になっていた。  そんなある日。マーレはオレと対峙した玉座の間を、なんと掃除をしていた。風魔法でほうきを操りながら、本人は飛んでぞうきんで窓を拭いている。 「マーレ、何をやっているんだ? オレも手伝おうか?」 「ありがとう! でも、ステラはお客様だからな~。何もしなくていいぞ!」  鼻歌を歌いながらご機嫌の彼は一度は窓に視線を戻すが、すぐに何かを思い出したかのように顔を向ける。 「そろそろサキュバスたちが来ると思うから、相手してくれ!」 「えっ」  それって、どういう……??? 冷や汗が出ると同時に、玉座の間に数人のサキュバスが押し寄せてきた。 「や~ん。坊や久々~元気だった?」 「これが勇者? あら、とても逞しいえっちな身体ね!」  数人のサキュバスたちが、オレの身体を触ったり匂ったりしている。こんなに大勢のサキュバスに囲まれたことがないオレは、露出度の高い彼女たちにに目のやり場もなく、ただただ固まっているだけだった。 「こらこら、おば様方! ステラは童貞だから婆の枯れた色気にもやられそうだよ!」 「婆ですって! 坊や言うようになったわね~」 「死んだ姉さんが見たら、泣きそうね~」  マーレのひどい言葉にも、サキュバスたちは嬉しそうに対応している。マーレの母親の姉妹さんなのだろうか。 「それに、ステラは私のだぞ! 採寸以外は触らないでくれよ!」 「聞いた~? アンタ愛されてるわね、今のうちに手垢つけとこうかし……ら」  一人のサキュバスがオレの顔を覗き込んでいる。何か顔についているのだろうか……長く魅力的なまつげがオレを見つめていて、思わずにやけそうになるのを我慢していたのがバレたのだろうか? 「アンタ、私たちが来た時より顔真っ赤よ」  サキュバスたちに別室に連れられた。何をされるのかと内心ドキドキしていたが、サキュバスたちが出したのは布やメジャーなど、裁縫に使う道具ばかりだった。 「う~ん。さっき触った感じより、やっぱ胸でかいわね~アンタ」 「スーツの色は何色がいいかしら? 坊やと対にした方が映える?」 「髪はオールバックにしたらかっこいいわね~」  オレの胸囲などを図り、布地を当てる姿は街の仕立て屋と変わらなかった。際どい衣装を除いては……。 「あの、これは一体」 「あら? 坊やから聞いていない? 先足だって言い忘れてるのかしら?」  サキュバスのおばさんたちは手を止めず、口だけを動かす。その手際の良さは街の職人もびっくりだ。 「坊や……魔王が私たちのように人間を擁護派を集めて、パーティを開くんですって。昔人間たちがしていたことをやってみたいって」 「坊やは私たちの一番上の姉の子供でね~。姉さんが先代の魔王に殺された時はどうしようかと思ったけど」 「で、坊やに頼まれたのよ! アンタのスーツを仕立ててくれって! おばちゃんたち、腕によりをかけるわ~人間の服を作るなんて初めて!」  楽しそうに笑いながら、おばさんたちは手を止めない。そうか。マーレは、人間の営みやイベントに憧れていたんだ。 「でもさあ」  アクセサリーを選んでいる比較的若いサキュバスのおばさんが呟く。 「坊やが他の配下を力で下したのは、ちょっといただけないなー」  マーレが自分の力を使って強制的に自分の世界を作り出したのは、いただけない。魔族でもそう思っている人がいたんだ。 「まあ、ねえ。でも、あれってほとんど正当防衛みたいなもんだったし……。それに、魔王がやってくれてなかったら、今頃私たちも死んでたかもよー?」 「あの、いいですか」  突然オレが割り込んできたことで、おばさんたちの会話がピタリと止まった。今まであまり会話に入ろうとしなかったので、目を見開いている。 「マーレ……魔王は、オレに頭を下げてくれたんです。早く止められなくてすまないって。私が早く配下たちを説得できれば、人間たちは苦しまなくてすんだって……。オレは人間だから、マーレやアンタたちのことをちゃんと許せないかもしれない……けど、オレはマーレに言ったんです。お前たちに殺された奴らや人間たちのために生きてくれって。それがキミの罪滅ぼしだって。だから、その、」  ああ、こういう時にうまく言葉が出ない。感情が優先して言葉がダラダラしてしまう。マーレのように綺麗にまとめられたら、どんなにいいか。 「マーレを、責めないでください。きっとあなたたちも人間と同じように倫理観があって、許せない部分があると思う。でも、マーレだって戦っているから……オレはそんな彼を支えてあげたいんです。だから親族の貴方達も、今は、支えてあげてください」  あんなに賑やかだった部屋が、一瞬で静まる。何かまずいこと言ったかも……反省していたら、おばさんたちは再びオレの前に寄ってきた。 「アンタ、優しいわね~!」 「いや、私たちも命を救われた身だから文句言ってるんじゃないわよ? どうなのって話よ? でもそうよね、だからと言ってアンタも死ね! じゃややこしいわよね~」 「今は体制を立て直すのが先よね、考えるのはその後よね~」 「ところで! マーレってあの子の名前?? あの子に名前が??」  先ほど以上の活気が戻り、話題はマーレからオレに代わり、質問責めにあっていた。  マーレ。マーレはきっと、涙を流しながら夜を過ごしているのだろう。オレの夢を食しても、きっと泣いているんだろう。朝起きた時に、目が腫れている時がある。きっと、配下たちを殺した罪悪感に押しつぶされそうになっているんだろう。言ってくれないけど、そんな気がする。こんなに押しつぶされそうになって、彼はこれからどうするのだろう。 オレにできることは、なんだろう。  おばさんたちが帰ったのは夕方で、飯とか風呂を済ませていたらすっかり夜だ。そろそろ寝る時間なのに、マーレはまた玉座の間に行ってしまった。追いかけると、マーレが月明かりがさす玉座の間の中央で、踊っていた。誰かが一緒にいる前提で、舞踏会にいるように優雅に。しばらくそれを眺めていると、本人が気付いてこちらに呼ばれた。 「今日一日でだいぶ綺麗にしたなー」 「だろう? 私の魔法と掃除力を前にしたらこのくらい」 「マーレは窓何枚拭いた?」 「二枚だ!」  おいおい、じゃあこの無数の窓は後は魔法でやったんかい。というツッコミは置いておこう。 「そうか。えらいな~」  褒めて頭を撫でてやると、マーレは更に鼻を高くする。 「掃除って楽しいな! 窓を拭くとな、汚れが徐々に取れていくんだ。頑固な汚れは水魔法を工夫すればいい」 「オレは掃除嫌いだなあ」  掃除トークに花を咲かせていると、マーレは再び踊り出した。 「楽しみだ。この日は魔族も人間らしく着飾り、各々に会食しながら、私とステラのように会話に花を咲かせるんだ」  マーレが手招きし、オレは彼に近づいた。 「初めて会った時に思ったけど、ダンス好きなんだな」  正直、オレはダンスなんて素人だから上手いか下手かはよくわからない。でもマーレのダンスは、優雅でもあり、楽しさも伝わってくる。 「我流だが練習したからな。当日はステラも踊るんだぞ!」 「ええっ。オレ踊れないぞ」 「私がリードするよ。確かこうだな」  右手を握られ、左手で腰を寄せられ、オレたちはぴったりくっついた。マーレの方が身長が低いので、オレが見下ろす形となる。 「近い、な」 「毎晩一緒に寝ているのに?」  マーレが静かに笑う。改めて近くで見ると、本当に整った顔だ。夢魔だから、と言ったらそれで終わってしまうのかもしれないが。 「私の顔がそんなに好きかい? 穴が開いてしまうよ」  じっと身過ぎていたらしい。反射で違う方向を向くと、「ステラは、」とオレのことを話し始めた。 「ステラは……。褐色の肌に薄暗い青い髪で潮の香りがして、星のような瞳で……まるで夜の海のようだ」 「お、おい」 「私はな、星が好きなんだ。漆黒だが(ドブ)のように汚れておらず、綺麗に墨を垂らした星空に点在する点が好きなんだ。星空に包まれながら本を読む日が、ずっと続けばいいのにと思っていたが……今は違うな。ステラ。私はステラと共に過ごす日々が愛おしい! キミと一緒に感情を共有する日々が楽しい! 毎日が刺激に溢れている!」  彼の瞳が、キラキラと輝いて見えた。まるで海辺に浮かぶ星のように。 「マーレは海という意味。この名前をもらった時、本当に嬉しかったんだ。嬉しさで思いが溢れそうで……キミの一部になれたようが気がしたんだ」  キミは夜の海だから、とマーレは付け加えた。オレを覗き込み、首を傾げた。 「ステラ? ……ステラ? どうしたんだ? 顔が真っ赤だぞ……身体に異変が起きたのか?」  自分でもわかる。耳が、顔が熱い。きっと今のオレは、顔が真っ赤なんだろう。マーレが心配そうに見つめている。 「まるで、告白みたいだな」  声を振り絞って告げると、マーレは告白の言葉を口で綴る。 「告白って……あれか、漫画で見たことあるぞ!! 好きな人間に告げる……」 「好きだよ、マーレ」  キミがその言葉の意味を口から出す前に、オレから言わせてくれ。 「マーレも、同じことを思っていたんだ。オレも……キミと一緒にいる日々が楽しいんだ。気付いたら、キミと一緒にいるにはどうすればいいんだろうって思っている自分がいて困惑していた。でも、そういうことだったんだ」 「……そうか。そういう、ことだったのか」  オレの腰に回されていた手が、いきなりケツを掴むもんだから驚いた。久々に触られたから身体がビクついた。 「ステラの臀部や胸部を触りたいとか、一つになりたいとか思っていた私はおかしいのか? と思っていたが、そういうことだったのか!」  でんぶ、の意味はわからないが、他の意味がなんとなく分かってしまい更に恥ずかしくなる。お前はオレのこと性的な目で見ていたのか……え、いつから!? 「……何故だステラ。何故ケツを触られても無反応なんだ?」 「あ~……。昔よく、触られていたから……仲間に」  酒癖が悪い仲間は酔っ払うとよくケツを触ってきたため、最初は嫌がっていたが慣れてしまった。やがてオレのケツは鋼のケツと化したのだ。 「誰だその不届き者のは!? 殺すぞ!?」 「お前の部下にやられたよ!?」  返しが返しだったため、笑いではなく気まずい雰囲気が流れた。マーレはオレのケツから手を離し、小声ですまんと漏らす。 「す。すまない。つい焦ってしまって殺すなど物騒なことを……」 「いや……オレも返しが悪かった。すまなかった」  感情をむき出しにするマーレが珍しく、まじまじと見つめてしまう。長い睫毛が伏せ、海の瞳が揺れている。白い陶器みたいな肌には赤い刺青が映えているし、アルビノの髪もツヤツヤだ。この自分より身長が低い彼は、なんとなくだが、オレを抱きたいのだろう。男同士で出来るとは聞いたことはあるが、自分とは無関係かと思って目をそらしていた。 「まだ、身体を重ねるのは早いなあ……」  なんて声をかけようか迷ったが、正直な気持ちを告げると、マーレは目を丸くした。彼は夢魔だから、それ以下のスキンシップはあまりピンとこないのだろう。 「え、じゃあどうすればいい?」 「そうだなあ。手を、握るとか。……キスをする、とか」  彼の白くて指の長い手を握り、次に唇に視線を移す。柔らかそうな赤い唇がオレの目に入る。きっと、想像以上に柔らかいんだろうな。 「キス、か。ふむ」  マーレの空いた手が、オレの顎を掴む。その姿や手つきがあまりにも様になって心臓に悪い。彼が舌舐めずりをすると、赤い舌がチラリと見えて、更に心臓が鼓動する。何も言われなかったが、目をつむる。いやこれだってキスするパターンですよね? 目をつむるのはマナーですよね……。きっと、次に目を開ける時は、マーレのドヤ顔が映るに違いない。このまま食われたらどうしようか……と心配してたのだが。
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