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青春
小さな賞とはいえ、やはり受賞となれば嬉しい。
展覧会会場は中之島にあるギャラリで、結佳は激務をかいくぐるようにように大阪に向かった。
中之島は古くから天下の台所として官庁や金融機関が集まって栄えた場所だが、公会堂や大学もあり文化の中心でもある。更に再開発で雨後の竹の子のように高層ビルが増え、有名建築家が手がけた美術館も建てられた。川に囲まれた大阪の心臓部はすっかり美しくなっていたが、それを堪能することもなく、結佳は足早に会場に向かう。
きらきらと光るエントランスで、出てくる男性とすれ違った。背が高い。しかも彼の腰は結佳の胸の辺りで、その脚の長さに思わず振り返るところだったが、そんな場合でもないと前を向いた。
会場はなかなかの広さで、やはり少し嬉しい。関係者に挨拶し、同業者や知った顔に声を掛けられる。適当に会話を交わしつつ、自身の作品に近付くと、見覚えのある顔を見つけた。というか、気付かないのが難しいレベルで、その人物は静かに磁場を作っていた。
「山科君!」
声を掛けると、青年が振り向いた。彼の周囲にビミョウに出来ていた輪がそっとばらける。3、4年ぶりのはずだが、更に磨きがかかった美貌が微笑んだ。
「戸嶋さん、お久しぶりです」
「ごぶさた。あいかわらず無駄にイケメンだねえ」
「無駄ですみませんね。じゃないや、おめでとうございます」
と、言いながら飾られた結佳の作品に向き直った。
「ああ、ありがとう」
「日本海ですか?」
間髪入れずに問われ、学生時代と変わらない反射時間に結佳はくすりとする。
「うん、魚津のちょっと西側かな」
「いいですね、初冬かな」
「蜃気楼を待ってたんだけどね。逆の方が面白くなっちゃって」
地平線ではなく、海岸線と稜線を背景に、夕陽に照らされた街道を歩く老女が写っている。背中には行商人のような大きな荷を背負っていた。波打ち際の黄金色や、街に伸びる黒い影がよく撮れたなと本人は思っている。
「柿色の冬ですね、とてもいいです」
この後輩は徹頭徹尾、論理的で、はっきりとモノを云う。だから純粋な称賛はくすぐったくて、「たまたまね」とどうでもいい謙遜を口にしていると、あっ、と山科が顔をこちらに向けた。
「そうだ。俺、戸嶋さんに恩返ししないとなんですよ」
「は? おんがえし?」
「そうそう。時間あります? コーヒー奢りますよ」
意外な言葉にオウム返しな結佳に、山科はふふっと笑った。迂闊にも少し見とれてしまう。なんだか、彼はとても嬉しそうに見えたのだ。
とはいえ、山科に特別な感情を持ったことはない。と、思う。
それはそれで自分でも不思議ではあった。結佳は内心、首を傾げる。時任が言うように、確かに山科とは親しかった、というよりけっこうウマが合ったからだ。
でもそれは、どちらかというと同志というか、仲間意識ではないだろうか、と結佳は思っている。
結佳はだいぶ古い土地の生まれだ。
しかし両親共に他所から来たせいもあってか、そんな地域には珍しく、とてもリベラルだった。たとえば妙なヒエラルキーで出来た子ども社会とか、女の子らしく・男の子らしくとか、村社会っぽい気質や既成概念のようなものをことごとく受け付けない性分だったのだ。ロジカルな質でもあったから、べたっとした女子特有の文化にも馴染めず、幼い頃は少し浮いていたのは否めない。しかし、なんとか学校生活を送るうちに軋轢を避ける術を身につけたのと、運良く?結佳はお勉強も出来たので、進学するにつれその手のめんどくささは消えた。女子は棲み分けが上手いのだ。
しかし大学進学以降、辟易したのは男子のめんどくささだ。そこそこ美人であっさりした性質の結佳は、相応にモテた。しかし彼女から見ると、男に生まれたと云うだけでやたらと上からなやつ、努力を見せまいと努力して捻れてしまうタイプ、根拠の薄弱な自意識でマウンティングを掛けてくる輩さえ居て、本当に迷惑だった。それら全部を切って捨てていたら、男嫌いに分類された。もう何からほぐせば良いか分からない。
ちなみに、この年になって気が付いたが、未だ女子の方が不利益を被ることが多いとはいえ、生き方の幅は広がってきているのに、男子の方が実は狭く不自由なままなのだ。いま思えば気の毒ではあったが、当時は本気で苛立ったものだ。おかげで、結佳としては理不尽としか思えない背景で、コミュニティでは「変わったひと枠」に入れられていた。
そして山科もこの枠に突っ込まれていた。とにかくあの容姿と頭脳、しかも帰国子女だったか。望まなくとも集団から逸脱してしまうから、雑音も多かったのだろう。周囲の勝手な思い込みや期待値と本人の気質と意志が噛み合わず、しなくていい苦労をしていたせいか、どこか他人とは距離を置いていたというか、冷めた風情だった。
そんな状況下で出会ったわけだが、二人とも本来、男嫌いとか人嫌いというわけでもないので、好きなアーティストが同じという始点で、多少年は離れていたがするすると親しくなった。それ以上に、余計な情報、女だとか男だとか、バックグラウンドやステイタス、そんなものは無視して、フラットに、自由でいたいという矜持ともいえるものが、たぶん共通していたのだ。
いま思うと青臭くもあるのだが、まさしくこれぞ青春だった。
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