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「イトちゃん、どうしてそんな仏頂面なの?」 牛車に揺られながら、カノの持ってきた真っ白な巫女装束に着替えたイトは、下唇を噛んでじっと一点を見据えている。 本当にこのまま神殿に帰っていいのだろうか。イトの頭の中でそのことがずっと引っかかっている。 世話になった常雅に礼を述べようにも、急な仕事で宿直に出たと言われれば、追って行くことも叶わず、迎えが来たのにもう一晩泊めてもらうなどできるはずもなかった。 「どうしても今日帰らないと駄目?」 カノはくすりと笑って大きく頷く。 「これ以上待たせたら龍神様が、いえ、羽根丸様に何をされるか分からないわよ。イトちゃんだっていつかこの日がくることは分かってたでしょ?」 イトはふるふると(かぶり)を振る。 「わたしはいつか神殿を出て旅をするのが夢だったの。羽根丸だってそれを知っていたのに、何故……」 「知らなかったのはイトちゃんだけよ」 カノの呆れたような冷たい声がイトの耳を突き刺す。 「えっ……」 「わたしや、ノリちゃんみたいな貴族の娘は入内するのが目的で神殿の巫女になるの。純潔を守り通してますって言うお上への売り込みなの。わたしやノリちゃんが龍神様の元へ行くことを望んでも家が許さないわよ」 そもそも神殿にいる理由が違うのだと、カノは冷めた目でイトを見ていた。 「だからね、龍神様のお嫁様は最初からイトちゃんしかいないの。たとえイトちゃんがどんなにそれを拒んでも、他に代わりはいないのよ。もしイトちゃんが逃げたりしたら、この国は龍神様に祟られるわよ。それでも嫌って言える?」 イトは何も言えなかった。カノの言葉に納得したからではない。カノに言っても無駄だと思ったからだ。話をするなら直接龍神様に訴えるしかない。 ゴトリゴトリと進む牛車の中に、やがて神域の気配が充ちてくる。 その空気にイトは大きく息を吐いた。 帰りたくはないのに、決してその空気が嫌いではないのだ。イトは街とは違う神域の静謐な空気がむしろ好きだった。神殿の暮らしも、厳しさの中に心落ち着く時間はたくさんあった。 一生神殿に仕えるとしても、それが拷問だとは思っていない。そういう生き方もあるだろう。 それに、イトだって本当は幼い頃からずっと感じていたのだ。自分が外へ出してはもらえないということを。
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