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イトは赤子の時に神の木の根元に置き去りにされていた。それを巫女が見つけ、子どものいない老夫婦に預けられた。 幼い頃は体が弱く、十歳まで生きるのが難しいと言われていたイトを、老夫婦は大切に育てた。イトが健康になるようにと毎日神の木に祈った。 その甲斐あってイトは次第に元気になり、外を走り回るようになった。だが老夫婦はイトが八つになる頃に相次いで亡くなったため、神殿に身を寄せることとなった。 神の木を遊び場にしていたイトは、ある日兎を追うのに夢中になり森に迷い込んだことがあった。 思えば神の木の声を聞いたのはこの時が初めてであろう。 神の木はイトに様々な事を語った。 長い長い年月をその地に根を下ろして生きる大樹なれば、どこへも行かずとも、旅人や渡り鳥の見聞きしたことを知り、天気を読み、人の一生を占うことができた。 そんな神の木を祀りながら、何故神殿は龍神をも祀ることになったのか。 それには様々な言い伝えがあったが、イトが知っているのは、龍神は神の木から生まれた存在であるということ。 それに、龍神は代替わりするということ。 神と呼ばれていながら不老不死ではなく、人が持たない神通力を持ち、この地と神の木を守護する龍神。 巫女や神官は龍神に仕え、身の回りの世話をするとともに、その力が悪用されないよう守っている。 古いおとぎ話にはこう謳われている。森へ通ってくる娘に思いを寄せた神の木は、その娘に子を授けた。生まれた子どもは成長し立派な青年になった。ある時、何日も雨が降らず多くの民が亡くなった。青年は心を痛め、何とか雨を降らして欲しいと神の木に願った。すると青年は龍の姿になり、天に昇って雨を降らしたという。 イトがぼんやりとそのおとぎ話を思い出していると、目の前に白い盃が差し出された。 「飲んで今夜は休むといい」 羽根丸は自らも盃をあおると、寝台から立ち上がり部屋を出ていこうとする。 「どこかに行くの?」 「神の木を見に行くだけだ。先に寝ていなさい」 振り返らずにそう言うと直ぐに羽根丸の姿は見えなくなった。 イトはがらんとした室内を見回した。 寝台と、小さな丸い卓に椅子が二脚。それ以外には何もない。綺麗に磨かれてはいるが、床も壁もどれほどの年月が経っているのか分からないほど古い。 遠ざかる神気に張りつめていた緊張が解けると、イトはごろりと横になった。
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