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龍神様に会ったら自分は花嫁には相応しくないと訴えるつもりだった。怒りをかったなら、そのままここを出て行けばいいとさえ考えていた。 それなのに、羽根丸が龍神だと知った今、イトは一人で出て行くことが罪深いことだと感じている。 何故なら、イト以上に羽根丸がここを出たがっていた事を知っているからだ。 神殿の中で羽根丸ほどイトを可愛がってくれた人はいなかった。 イトと同じように羽根丸も神の木の声を聞ける一人だったからか、二人で行ったことのない国について想像を巡らすことも度々あった。 それでも次第に羽根丸はそれを口にしなくなっていった。 イトはいつか神殿を出て旅をすることを疑わなかったが、羽根丸はとうに諦めていたのだろう。 「神様のくせに……」 なんて不自由なんだろう。イトはその言葉を最後まで口にすることはできなかった。 自分も諦める時がきたのだろうか。 そう思えば胸がつまりそうになる。走って逃げ出したくなるような苦しさに、がばりと身を起こす。 賑やかな市の光景が目に焼き付いている。 様々な匂い、音、空気。全てが強くイトを揺さぶっている。 逃げ出すなら今しかない。 羽根丸はまだ時間が必要かと聞いたではないか。あれは今ならまだ引き返せるということではないのか。 イトは足音を忍ばせて登ってきた階段の所まで戻ると、暗い夜闇の中に静かに伸びる白い石段を見下ろした。 その先に灯りはない。 冷たい風がイトの髪を掻き乱す。 イトの踏み出した足が石段に触れた瞬間、リーンと鈴が鳴り響いた。 はっとして足を引っ込める。羽根丸が戻ってくるかと身構えていると、暗がりからこちらへ音もなく近付いてくる影があった。 「どこへ行こうというのです?」 羽根丸の声ではない。神官の一人だ。イトが何かを答える前に、神官は手にしていた水晶の珠のような物を撫でながら何かを口の中で呟いた。 すると、イトの首に何かが巻きついた。 咄嗟に指を差し込んで抗う。カノが首にかけてくれた御守りだった。その糸が急速に縮んでイトの首を締め上げる。苦しさに己の首を掻き毟ると、ふっと締め上げていた力が緩み、イトはその場に膝をついた。 「逃げようなどと考えてはなりません。命が惜しくば、大人しく龍神様の花嫁としての役目を果たしなさい」 咳き込むイトを見下ろして神官は冷たい言葉を吐き続ける。 「時間は残されていないのです。早くしなければ今のお姿ではなくなりますよ。そうなっては苦しむのはあなたの方です。人の姿のうちに交わる方が良いでしょう?」 言葉の意味を図りかねて、イトは痛む喉を押さえ必死に神官の顔を見上げる。 冷たく見下ろしてくる神官の顔にうっすらと笑みが浮かんでいる。 イトは得体の知れない恐ろしさに身を震わせた。
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