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昨夜遅くに帰ってきた羽根丸は、イトを追い払うようにしばらくは今までどおりに巫女として仕えるよう言ったきり社の戸を閉じてしまった。 イトにも言いたいことや聞きたいことがいろいろあったというのに、顔を見さえせずに背を向けた羽根丸にイトは怒っていた。 「いくら龍神様になったからって、わたしの首を繋いでおいて夜中に放り出すなんてあんまりだ」 しばらく戸口の前で立ち尽くしていたものの、石段を下りるにはまだ首に残る痛みに足がすくみ、社に入ろうにもぴたりと閉じた戸はびくともしない。 イトは仕方なく他の入り口を探して社の裏へ回って気付いた。社の裏に神の木が立っていた。 神殿と森の位置からしてそんなことは有り得ないはずだった。毎日神の木に供物を捧げに来て帰るのにイトは半日を使っている。 こんな近くにあったなら今までの苦労はいったい何だったのか。 呆然と大銀杏を見上げていると、神の木が梢を揺らして何かを語りかけた。 イトは神の木に歩みより、その幹に耳を寄せる。 月明かりに照らし出された木肌から森の匂いが濃く立ち上がる。 イトが目を閉じると、羽根丸の姿が脳裏に浮かんだ。 神の木に片手を当て俯いている。 泣いているような頼りない姿だった。もう一方の手が胸を掻き毟るように着物を握りしめ、羽根丸はその場に膝をついた。 思わずイトは羽根丸の名を呼んで目を開けたが、そこには誰もいない。 もう一度目を閉じると、羽根丸は痛みを堪えるように肩で息をしながら神の木に寄りかかっていた。 『イトよ。おまえが側に居ればこの子が苦しむ。しかし側に居らずともやはり苦しむ』 神の木がイトにそう語りかける。イトは目を閉じたまま問い返した。 「羽根丸はわたしのせいで苦しんでいるのですか」 『そうではない。イトよ、この子の為に生きてはならぬ』 イトは神の木の言いたいことが分からず首を振る。龍神の花嫁に選ばれた以上、イトはただ龍神の為にだけあるようなものだ。それなのに、神の木はそうしてはならぬという。 まだイトは己の運命を受け入れられてはいない。羽根丸のことを思えば、側にいて手伝えることがあるならそうしたいとも思う。 しかし、あの神官のようにイトの意思などお構い無しに縛り付けようとするのなら、逃げ出したくなる。 今までとはあまりにも違っている。時には兄妹のように、時には友のように羽根丸に接することがもうできないのなら、イトが側にいる必要などない。 「わたしが龍神様の花嫁になってはいけないのですね」 考えた末に出た答えはそれだった。うっすらと夜が開け始めていた。振り返ってみてもそこに龍神の社はなく、深い森が広がるばかり。 イトは下草を踏みしめながら神殿に向かって歩いた。羽根丸に会ったら何と言おうか、そんなことをあれこれと考えていたのに、神殿に帰りついた途端睡魔に襲われ自室で倒れ込むようにして眠ってしまった。
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