拾弍

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拾弍

翌朝、春尚は昨夜イトと打ち合わせた通りに神の木の下でイトを待っていた。 朝靄が立ち込める肌寒い森の中、イトは童水干姿で駆けてくる。 その頭に小さな赤い矢羽根がのぞいている。 「イト殿、本当に構わぬのですか?」 黙って抜け出して来たのではないかと春尚は眉根を寄せる。神殿の巫女を連れ出したとなれば、後々大騒ぎになるかもしれず、イトの気持ちは嬉しいがこのまま連れて行くわけにもいかない。 「龍神様のお許しをいただいております」 イトはそう言って、誰かを探しているかのように辺りを見回す。 梢の上にとまっていた一羽の鷹が舞い降りてきた。低く弧を描いて飛んでいたかと思えばいつの間にか見えなくなった。 そうかと思えば、これまたどこからともなく現れた一羽の青い蝶が鱗粉を撒き散らしながらヒラヒラとイトの周囲を飛び回る。 やがてイトの肩に止まって羽を休めた蝶に、イトは何かを問いかける。 蝶はイトの肩から指先へと飛び移ると、ふっと姿を消した。 春尚は寝惚けて幻を見ているのだろうかと目を擦る。 「今のはいったい……」 次の瞬間、イトの隣に長身の人の姿が現れたのを見て、春尚は瞬時に腰の刀に手をかけた。 よく見ればあの女顔の神官に似ている。しかし、その背中に流れる髪は銀色に輝き、纏っている衣も神官のそれではない。 妖かと、春尚はイトの腕を掴んで引き寄せようとしたが、反対の腕をその妖が掴んで引き止めている。 「イト殿!」 「春尚殿、こちらは、その、……龍神様にございます」 イトは二人の顔を交互に見上げながら慌ててそう告げる。 「龍神……様?」 春尚の目が何度もその姿を上から下、下から上へとなぞる。 「春尚、その手を離せ。我のものに触れることかなわぬ」 龍神が片手に持った扇の先で、イトの腕を掴んでいる春尚の手を指す。 春尚は呆気にとられながらも、どうにか状況を飲み込もうとするが、俄には信じられない。 神が目の前にいるなどと、いくらイトの言葉でも信じられようはずがない。 そしてその神がイトを自分のものだと言う。確かに神殿に仕える巫女は龍神のものと言って差し支えないだろう。 けれど、どうにもその目は他の男に嫉妬しているようにしか見えない。 わけが分からず、春尚は説明を求めてイトを見下ろす。 「その方、我が妻の髪を切ったこと、許し難い所業である。本来ならその命、既にこの世に無いものと思え」 「羽根丸! わたしがお願いして切ってもらったの。春尚殿は何も悪くない」 足元から青い炎が燃え上がるような怒りを撒き散らす神を、イトがしがみつくようにして抑えている。 春尚はここへ来て慌てて地面に膝をつき、龍神に対し頭を垂れた。
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