バス停、水たまり

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バス停、水たまり

 雨は突然に降り出した。道のあちこちに小川ができるような土砂降りだ。空に広がる雲の隙間からは光の線が差し込んでいて、地上は比較的明るいのに雨の勢いが強いという幻想的な空間が広がっていた。  僕はその中の一粒となって大地に降り注ぐ。  *****  下校中、藍は傘を持っていなかった。朝、天気予報を見忘れてしまったのだ。  彼女は頭にカバンを乗せて走った。雨宿りできる場所がないかと辺りを見回しながら走っていると、近くに屋根つきのバス停があったのでそこに駆け込んだ。  雨が降り始めてからバス停に入るまでの時間は比較的短く済んだので、着ている服はまだらに斑点がついた程度で済んだ。  時間の経過と共に雨の勢いは増していった。  地面やバス停の屋根を叩きつけるざあああという雨音はまるで音楽のようだった。  近くに生えている木々からは雨粒が滴り、道には大きな水たまりがあちこちに生まれていた。  藍が向かう駅まではなかなかの距離がある。びしょ濡れの状態で電車に乗るのは避けたいので、藍は雨が止むよう空に祈ってそのバス停に座り、本を取り出した。  どのくらいの時間が経ったのだろう。読んでいた本のページ数は七十も進んでいたが雨が降り止む気配は一向に見えない。  藍は観念して駅まで走ることを決意した。  本をカバンにしまったところで、バス停に人がやってきた。    その人は大きな黒い傘を差してやってきた。  制服を着た男子高生だった。短髪で背の高い、凜々しい顔つきの人だった。  彼はバス停の前へ通りかかると、足を止めて藍の方へと体を向けた。  正面から見ると、彼とはどこかで会ったことがある気がしてきた。しかしいつどこで会ったのかは全く思い出せない。 「あの、よければこの傘使います?」  彼の声は静かな落ち着いたものだったが、藍は驚いて何も言えなかった。 「俺、足には自信あるので走ります。なんで……よければこれ、使って下さい」  彼は傘を握った手を藍に突き出し、藍はそれをそっと受け取った。 「ありがとうございます」  藍が微笑むと彼はニカッと笑った。 「それでは――」 「待ってください!」  歩き出そうとする彼の後ろ姿に藍は声を投げた。  彼は少し動きを止めてから振り返った。 「あの……どこかで会いました?」  彼はその言葉を聞くとあたふたし、顔を赤らめた。 「ま、またどこかで!」  それだけ言うと彼は雨の中を走り出した。  藍は彼の後ろ姿を呆然とみていて、ふと思い出した。 「あっ! あの、傘はいつ返せば……?」  彼の足は本当に速く、その姿は一瞬にして雨の向こう側へと消えていった。藍の声は雨のカーテンに閉ざされ、彼の耳には届かなかった。  藍は赤くなった彼の顔を思い出して、ある人物と重なることに気が付いた。 「あの人、電車の……」  そうつぶやくと、彼女はクスッと笑って歩き出した。  黒い傘がくるくると回りながらバス停から離れていく。ひとけの無くなったバス停は何事もなかったかのように雨の中にひっそりと佇んでいた。  一人の青年がバス停へと走り込んできた。宗信だ。 「うう。傘を忘れたのが運の尽きだ」  彼はワイシャツの裾を絞りながら屋根から滴り落ちる雨に目を奪われていた。  雨粒たちが軽快なリズムを刻む。  宗信は目を瞑った。  次の瞬間、彼の頭の中にあった何かが花開いた。 「これだ。これは良い曲になるぞ……!」  宗信はポケットからメモ帳とペンを取り出すと何やら夢中になってそれに書き綴った。  彼がそれを書き終えてふうと息を吐いたところでバスがやってきた。地面に広がった水たまりがバスのタイヤに踏まれ、バシャッと跳ねる。  バスが出発するとバス停はまた静けさに包まれた。  バスの軌に入り込んだ水溜まりが、雲の隙間から差し込む光で輝いていた。  *****  人は光を与えてくれる人に対して強い喜びを覚えるが、自分が相手に光を与えていることには、気づきさえしないこともあるようだ。  近頃の藍の輝きは、以前より一層強くなっている。
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