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第2話 年越しソバ
12月31日の21時半、義男はひとり部屋にいた。TVを点け、紅白を見るともなく流しながら、『どん兵衛』の天ぷらそばにお湯を注いだ。CMで見た月見そばにしようと、卵が崩れないように慎重にお湯を注いだ。
『俺もCMに乗せられやすいなぁ』義男は心で呟いた。
部屋の隅には、『どん兵衛年明けうどん』も置いてある。
『それにしても・・・』義男は思った。
『年明けうどんなんて子供の頃には無かったけどなあ』うどんと言えば、関西出身の同僚が、東京のカップうどんは不味くて食べられない、と嘆いていたのを思い出した。
『それにしても・・・』義男は、また思った。
『いつから、年越し蕎麦をどん兵衛で済ますようになったのだろう』
実は、これはハッキリ覚えている。大学4年生の大晦日からだ。それまでは、年越し蕎麦は『どん兵衛』で、というCMを見て、年越し蕎麦という季節モノを『どん兵衛』で済ませるような(食文化に対して貧しい)人などいるのか、と思っていた。そのころは、母親が毎年しっかりと準備していたのだ。それが当たり前だった。
しかし、大学4年生の夏、母親が病気で亡くなり、父親とふたりで暮らしを始めると、食生活は悲惨だった。父親も食事など自分で作る人では無かったので、ふたりともインスタントと外食だけで生きてきた。
その年の暮れから、『どん兵衛』のお世話になってきた。ふたりとも無口な部類なので、男ふたりが、無言で、背中を丸め『どん兵衛』を啜る図は、悲哀を通り越して悲愴感が漂っていた。
『どん兵衛』を啜りながらふたり目が合い、苦笑した。
その時も見るとも無くTVには紅白が流れていた。
職場が家から少し遠かったこともあり、就職すると家を出てひとり暮らしを始めた。
ひとり暮らしになっても、自炊は一切しなかったし、蕎麦屋に並ぶのも嫌いだったので、必然的に年越し蕎麦は『どん兵衛』になった。
ふっと、こんな食生活で良いのかと思ったが、『まあ、CMのどんぎつねさん、可愛いし、いいか』と根拠無く納得した。
『それにしても・・・』義男は、3度目だったが、そう思った。
『理恵とは最近しっくり付き合えていない』
クリスマス・イブにすっぽかされ、週末の29日に会った。
「ごめんねぇ」40分遅れてきた理恵が言った。40分遅れたことを謝っているのか、クリスマス・イブにすっぽかしたことを謝っているのかは判らなかった。
おそらく、そのどちらでも無いだろう。口癖のようなものだ。
クリスマス・イブにレストランを予約した自分が悪い、義男はそう反省していた。理恵が気まぐれなのは良く知っていた。
付き合い始めた最初の頃、それで店に迷惑(予約をキャンセルしたり、時間に遅れたり)をかけた。
普段のデートで予約などしなければ良い、と言われそうだが、血液型がA型(あくまで一般論です。A型への偏見ではありません)なので、しっかりと予定を立て、その通り行動したかった。
だた、さすがに理恵の気まぐれに付き合うのは大変だったので、その数回のデート以降は予約はせず、会ってから空いている店に行った。
しかし、予約もせずに行ける店だと、良い店や良い席は望めなかった。時間を守った方が彼女にもメリットがあるのに・・・。何度もそう思ったし、言ったこともあったが『そんな事(約束の時間を守ること)を言われるとプレッシャーになる』と逆ギレされた。
彼女にとって約束は目安でしかなかったのだ。
絶対に『江戸前 晋作(とても天ぷらの美味しいお店)』などには迷惑になるので、連れて行きたくない。
理恵はキラキラしていて可愛い。義男は3歳も歳上で、本来の穏やかな性格もあって、理恵を可愛がり、気まぐれ(我がまま)も結構許容していた。
しかし、クリスマス・イブのすっぽかしと29日のデートは少し苛ついた。
理恵とは新宿か池袋で会うことが多かった。赤羽に住んでいる理恵と荻窪に住んでいる義男の丁度中間あたりになる。
29日は日曜日だったので、いつものように昼間から会い、新宿のNEWoMan(ニュウマン)のレストランで食事をし、お茶を飲んでいる時にホテルに誘った。
「ごめ~ん、生理なんだ」
「え? そうなのか。じゃあ、仕方が無いね。いつから?」
「昨日から・・・、だから今日少し怠くて・・・。これ(コーヒー)飲み終わったら、帰っていいかな」
生理というのも、たぶんウソだ。今月の14日(討ち入りの日)にデートしたときも、生理だからと断られた。それを理恵は忘れている。
でも、女性に生理だと言われれば、それ以上、何も言えないのも男だ。
「うん、仕方が無いよね。帰ってゆっくり休んでね」としか言いようが無かった。
義男は、あらためて言うことでは無いが、男だ。
穏やかな性格だとしても、性欲はある。女性の体調が悪いときや、精神的に落ち込んでいる時にまで、Sexを要求することは無いが、普段はやはり抱きたいと思う。
討ち入りの日、クリスマス・イブ、そして29日、どの日も理恵を抱けるのではと期待していたのは事実。そして、それが適わずガッカリしたのも事実。もう、1ヵ月半以上、理恵を抱いていない。
理恵は証券会社に勤めているので仕事納めは30日だ。年末年始に会えるか訊ねたが、31日から友達と国内旅行に行くという。
『スッキリしない大晦日だなぁ』
別に、射精していないからスッキリしない(作者註:下品な表現ですみません)と言うわけで無く、気持ち的にスッキリしないのだ。
なんだが、おかしい。
・・・・・
同じ頃、理恵は伊東温泉の旅館で宿が出してくれた年越し蕎麦を食べていた。
少し控えめの量だが、夕食からあまり時間も経っていないので、丁度良い量だった。
「さすが、旅館のお蕎麦は美味しいね」理恵が言った。
相手は、石井祐介といいう50歳過ぎの既婚男性で、理恵の顧客だった。
接客は浦和支店か顧客の自宅(なので浦和近辺)なのだが、2ヵ月ほど前、品川で偶然に会った。
その日は、2年前に結婚して旦那にくっつき名古屋に引っ越した学生時代の友達との食事だった。東京の実家から名古屋に戻るところだった。彼女は妊娠中でお酒を飲まなかった。
相手がお酒を飲まなかったので、理恵も少なめに控えていた。最終の新幹線で帰る彼女に合わせて21時40分過ぎには品川駅の新幹線口で彼女を見送った。
見送り終わって振り返った時に、石井に会ったのだった。
お互い、どこかで見たような、と少し見合ってから、「あっ」と同時に声をあげていた。
仕事場がここ(品川)にあると言った。
「木村(理恵の名字)さんはお食事の帰りですか?」仕事で会うときとは違う雰囲気の理恵をみて石井が言った。
「ええ、学生時代の友達と食事をしていました」
「僕は残業を終えたところです。よければ、少し(お酒を)飲みに行きませんか?」
食事の時にアルコールの量を控えていたので、飲み足りないと思っていた理恵は、ふたつ返事で承知した。
石井はおそらく職場の人も多い品川を避けたかったのだろう。
「少し移動しましょう」と言って、タクシーで恵比寿のウェスティンホテル東京へ向かった。
その時から、石井との付き合いが始まった。石井は理知的で話しも楽しかったので直ぐに親しくなった。3度目の食事の時に、石井に抱かれた。11月下旬の事だった。
理恵は、大学生の頃、やはり、二回り以上歳の離れた既婚男性と付き合っていた。
最初は同級生と付き合ったが、理恵の気まぐれ(我がまま)について来られずに、3ヵ月で別れた。
その次に付き合った同じサークルの1年先輩は、拘束感が強くて(たとえば、2時間毎にLINEで居所を連絡させられたし、夏なのに男性の目を惹くのでノースリーブも着てはいけない、と言われた)これも半年で別れた。
その後も、何人かの同年代の男性と付き合ったが、どれも、理恵の気まぐれに振り回されるか、拘束が酷いか、あるいはその両方か、で長続きしなかった。
結局付き合ったのは、3年の時の就活中に知り合った、二回り以上年上の既婚者だった。彼との付き合いは、拘束も無く、気まぐれも許し、そして、金銭的な余裕もあり、とても居心地が良かった。
その彼との付き合いは、彼の海外転勤により3年目、理恵の社会人1年目、で終わった。
その後、独身の40歳後半の男性と付き合ったが、長続きしなかった。
そんな時、かなり歳の離れた男性とばかり付き合う理恵を心配して、友達が義男を紹介し、付き合い始めたのだった。
その付き合いも2年になる。若い男性としては、一番長続きしたのだが、最近、何となくもの足りなさを感じていた。
義男は理恵の気まぐれを許容しているのではなく、腹を立てているのだが何も言わないだけだろう。そして、Sexも義男は若いから力強いのだが丁寧さが足らず、満足はしていなかった。
義男との付き合いがマンネリになったときに石井と出合ったので、一気に惹かれ、直ぐに深い仲になった。
石井と躰の関係を持つと、義男とのSexが億劫になってきて、義男が口うるさく言わない事もあり、悪いとは思いつつ、断ってしまった。
クリスマス・イブも実は石井に誘われたので、そちらを優先してしまったのだ。
石井の奥さんと子供はクリスマスが過ぎると、石井を置いて奥さん方の実家に帰って行った。年末ギリギリまで仕事だった石井は、切符が取れないので正月に移動すると言う事にして、大晦日と元日を理恵と温泉に来ていた。
石井のSexはいつも前戯に時間をかけ、十分に理恵を濡らせてから抱くので、理恵は石井が入ってくるとき思わず腰が引けるほど気持ちいい。
その時も、座椅子に座り、年越しソバを食べ終え、TVで紅白を眺めていると、後ろから石井が抱きしめてきた。そして、首筋から手を入れられると、浴衣は簡単に乳房を触らせてしまう。
まず、右手で左の乳房を包み込むように揉む。しだく様に揉まれると、次第に胸を中心にポカポカして気持ちよさが広がっていく。
理恵が感じているのを確認すると、浴衣の襟元を両手で広げ、両方の乳房を露わにした。
そして、左手で左の乳房を下から持ち上げるように揉みしだく。右手は指先で右の乳首を摘まんだ。鋭い快感が走り「あっ」という声が漏れる。
理恵は、そのまま、背中から石井にもたれ掛かるようにして躯を預けた。
石井に乳房と乳首を丹念に刺激され理恵の息は荒くなっていた。
乳首を摘まんでいた右手が股の間に移動する。
ゆかたの裾をめくり、太股をはだけさせ、パンティの中に手を入れてきた。
「ぐっしょり、だ」石井がささやく。
自分でも十分濡れているのは分かっている。石井の指が沈んでいくと躯の中心から快感が広がる。
でも、理恵は口で吸って欲しかった。
それを察したように、石井は理恵を布団の上に寝かせた。
そして帯を解くと、理恵は丹前と浴衣に袖を通したまま、上半身が覆うモノが無くなった。石井はそんな理恵のパンティをスルリと腰から足先に抜き取った。
そして、少ししか開いていない理恵の股の間に顔を付け舌を這わした。
舌がクリトリスをすくい上げる度に、鋭い快感が全身を走る。股が自然と広がっていく。大きく広げた股の中心を全て口で覆うようにして石井は吸った。理恵は躯全体が吸い込まれるような感覚で快感に堕ちていった。
朦朧とした意識の中で、石井が入ってきたときは、快感に押し上げられ、怖くて石井にしがみついていた。石井の動きが激しくなり、刺激されて、理恵は何度も身体全体が震えるほど力が入った。
石井が射精った時を理恵は知らない。既に意識が跳んでいた。ただ、石井が身体を離しても、自分の下半身がまだビクついているのは判った。
落ち着き意識が戻ったとき、石井の腕枕で抱かれてた。前ははだけたままだ。
抱かれながら、理恵は石井に訊いてみた。
「私、若い人とは付き合えないのかな」
「どうして?」
「何だか、石井さんほどの人の方が、優しいし、Sexもとても合うような気がするの」
「Sexは若い男の方が、硬いからいいだろう」
確かに、それはそうかもしれない。でも・・・、理恵は義男とのSexを思い出しながら不満な点を上げてみた。
「まず、私の準備ができているかどうか関係なく、直ぐに入れたがる。それなのに、早く終わってしまう時が多い。終わった後、余韻もなくサバサバしてる」
石井は笑いながら言った。
「男は、若い時のSexでは自分の気持ちよさを優先するからね。歳を取ると、自分よりも相手が感じている姿を見て興奮するのさ。だから相手に対して丁重になる。理恵に対してもね」
「なるほど」妙に納得してしまった。
「優しいのは、二つの理由がある」
「二つ?」
「まず、歳を取ると、生きていく上で我慢することが増えるのさ。既婚者は特に家庭でも我慢するから許容範囲が広くなる。少々の事は、何でも無くなるのさ。それが優しいように見える。たとえば時間・・・」
「待ち合わせ?」
「理恵は遅れてくるだろう? でも結婚していると、家を何時に出発、と決めていても、その時間になっても子供はゲームをしているし、奥さんは化粧が終わっていない。最初の頃は、ひとり玄関で怒鳴っていたが、そのうち気にしなくなった。出発の時間なんて、『その時間に出られたらいいなあ』という願望の時間なのさ」
「だから私が遅れても?」
「そう、遅れても、そもそも、その時間に会えたら良いなぁ、と思っているだけだから、必ず来てくれる事が判っているなら腹も立たない」
「もうひとつは?」
「そもそも、普通は、こんな年寄りの既婚者が若い女性と付き合える訳が無い。だから付き合ってくれる女性が可愛くて大切に思えるんだよ」
「なるほど・・・」
「だから、同じような(歳が離れた)男性でも、独身だったら、異なると思うよ」
そういえば、思い当たることがあった。
義男と付き合う少し前、Barで知り合った40歳代後半の独身男性と付き合ったが、その男性は格好いいのだが、優しくは無く、独善的で独占欲も強かったので、直ぐに別れた。
「どうして?」一応理由を聞いてみた。
「まず、我慢を知らない。いや、我慢できないから結婚しないんだ。それに、普通は独身だと金を持っているから、愛してくれる女性がいるかどうかは別だが、遊ぶ女性には不自由しないだろう。だから付き合ってくれている女性を大切にしない」
「石井さんは私を大切にしてくれるの?」
「してないかい?」
「ううん、してくれている」
そう言うと寝たまま石井の胸に頭をつけた。
11時50分、年が明けるまでには、まだ少し間があった。
・・・・・・・・・
その頃、明日香は静岡県袋井市の実家で、母親の作ってくれた年越し蕎麦を食べていた。紅白が終わりTVを消したので、室内は静かだった。
「年を越す前に、早く食べてしまいなさいよ。年を越して食べると縁起が悪いよ」(作者註:一般的に言われていることです。地方により異なります)
「解ってる。食べてるから。どうして、もっと早く作らないの」
「作って貰ってごちゃごちゃ言わないの。あなたも家に帰ってきた時ぐらい、家事を手伝いなさいよ」母親が言った。
「東京では毎日やってるわよ。実家に帰ってきたときぐらい、休ませて」
「じゃあ、私はいつ家事を休めるの?」
それはそうだと思いながら、母を見ると、言葉とは裏腹に娘と過ごす大晦日が楽しそうだった。
「〇〇ちゃんも結婚したわ」母が言った。
「知ってる。私もその時、ここに帰ってきて、結婚式に出たじゃ無い」
「そうだったっけ」
「大丈夫、惚けて来てない?」
その言葉にはめげず、母が続けた。
「□□ちゃんは、子供生まれたって」
「知ってる。お祝いを贈った」
「そう・・・」
この辺りは、東京などに比べると、少し結婚するのが早い気がする。
「ねえ、仕事も良いけど、明日香は誰か良い人いないの?」言い出しにくそうに母が言った。
去年も同じ事を訊かれて、明日香としては珍しく『仕事が大変でそれどころじゃないの!』と怒った。
ウソは言ってない。
でも、その言葉を聞いて、母親はバリバリ仕事をして忙しくて大変だ、と捉えたようだ。実際には、ノルマをクリアー出来なくて大変だったのだが・・・。
同じ言葉を聞いても、今年はあまり腹が立たず、何故かクリスマス・イブにぶつかった男性の顔が浮かび、少し、思い出し笑いをした。
名前も知らず、もう会うことも無い男性なのに、なぜ思い出すのか・・・、そう思いながら「うん、いないよ。仕事が少し大変なんだ」と穏やかに言った。
良い人か・・・、母は結婚を望んでるのかな。女性にとって、結婚は幸せなのだろうか?
自分を苦労して育てた母親を見ていて、とてもそうは思えない。
「お母さんは、結婚して幸せだったの?」
その質問に、母は迷うこと無く
「幸せだったし、今も幸せよ。なにせ明日香を授かったのだから」
そう言って微笑んだ。
静かな室内に、かすかに除夜の鐘が聞こえてきた。
第2話 「年越しソバ」 完
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