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これは…何だろう…?
吸い込まれそうな黒に、しずくは寒気を感じて身震いした。
「派手に描いたな」
「っ!」
不意にすぐ傍で響いた声に絵から視線を外して宗一郎を見る。
「…綺麗に落ちると良いんですが」
「そうだな」
普段通りの彼に背中を押されながら、しずくは黒い絵の上にスプレーを吹き掛けた。
泡状になった洗剤が広がって黒を隠していく。
「雑巾を持ってきますね」
「頼む」
窓を開けている宗一郎に頷き、しずくはキッチンへと向かった。
宗一郎さんが来てくれて良かった…。
一人だとどうなってたか、…分からない…。
少し眠ったことで冷静になったしずくは、今更自分がした事を自覚して恐怖を覚えた。
「…お待たせしました──…」
「しずく、おいで」
雑巾を持ってリビングへ戻ると柔らかな春の風がしずくの髪を撫でる。
窓辺にいた宗一郎が振り返って、しずくを手招いた。
「…どうしたんですか?」
「見てみろ」
傍に来たしずくの為に隣を空けた宗一郎が外を見るように促す。
頷いて覗き込んだしずくは、目に入った光景に目を瞠る。
「…綺麗…」
夕日に照らされた街並みに、風に煽られた桜の花びらが舞っている。
ひらひら舞う花弁はマンション前の通りに植えられた桜のものだろう。
あまりに幻想的な景色に、しずくは言葉を失い魅入ってしまった。
「桜吹雪だな」
「…ほんとに雪みたいです」
風に乱れた髪を、宗一郎が梳いてくれる。見上げると夕日に照らされた宗一郎が優しく微笑んでいた。
──好き──…
この気持ちは伝えられないけれど、今日の事をしずくはきっと忘れないだろう。
宗一郎と見た色鮮やかな景色をもう絶対に忘れたりしない。
彼がくれた温もりさえ覚えていれば、大丈夫。
──今はそれでいい。
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