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「だけどヒツジちゃんが来る日に、ちゃんとスーツを新調したり、さりげなくスマホの画面を見せて話題を作ったりと、地道な努力をしているところは、須藤課長らしいですよね」
「高藤、そういうどうでもいいことに気づくことができるなら、もっと仕事で――」
コンコンコン!
俺の話を遮るように、ミーティングルームにノックの音が響いた。舌打ちしながら皆をかき分けて扉を開けたら、申し訳なさそうな顔した愛衣さんが立っていた。
(騒がしさをとめようとして出て行った俺の声が煩いと、ここに来たのかもしれない。山田さんの仕事に差し支えるから静かにしてよという気持ちが、表情に表れているような気がしなくもない)
「どっ、どうした? なにか困ったことでもあったのか?」
さきほどなされたアドバイスをぶわっと精査して、使えそうなものを的確に選ぶ。心の中で笑顔を連呼しながら、いつもよりトーンをあげて、愛衣さんに優しく問いかけると、背後から忍び笑いが耳に聞こえた。
振り返って睨みをきかせたら、松本はパソコンの画面に、その他の者は窓を見たり壁を見たりして、俺の視線をうまいことかわす。
「須藤課長、受付から連絡がありまして、佐々木システムウェーブの佐々木様がお逢いしたいとのことなんですが、どちらにお通しすればいいのでしょうか?」
「アポなしで突然お見えになるなんて。しかも営業部じゃなく、どうしてウチに?」
まったく面識のない相手ゆえに、理由が思いつかない。すると背後にいた猿渡が素早く駆け寄ってきて、そっと耳打ちした。
「須藤課長、昨日の朝お話した、牧島コーポレーション名古屋本店の直轄支店の、新しい支店長代理の佐々木さんのお兄さんですわ。今回の件を嗅ぎつけて、ウチに乗り込んできたんとちゃいます?」
「弟をよろしく頼む的な感じか?」
「それ、一番言ったらアカンやつや。弟さんが結婚する関係で顔合わせしたときに、色目使ぅた使ってないと一悶着あって、兄弟喧嘩している最中らしいで」
いきなりの身内ネタに、白い目で隣を見た。
「そういうどうでもいいことがわかってるのに、大事なことを取りこぼすところをなんとかしてくれ!」
「はいはい、以後気をつけます! ヒツジちゃん、ウチの部署には応接室なんていうもんないんで、ここにお客様を通すことにしとるんや。急いでコーヒー落としてくれる? 僕が佐々木さん迎えに行くし」
営業スマイルらしき笑みを浮かべて、愛衣さんを給湯室に移動させたことに首を捻るしかない。
「これからここに来る佐々木さんは、ベンチャー企業の社長さんで独身。しかもめっちゃいい男やねん。女性ならみんな揃って、目を奪われるレベルと言えばわかりやすい?」
猿渡の告げた言葉の意味がわかりかねて、呆然としてる俺の肩を、高藤がぽんぽん叩いた。
「了解。ヒツジちゃんを部署から出すなということですね。これ以上敵を作ったら、こっちも大変ですし」
「そうや。なぁんも気がつかんでボーッとしとると、トンビが横からかっさらっていくんやで。須藤課長は、ここで待っていてください」
「あ、はい……」
「それなら落としたコーヒーは、俺がここに運ぶことにすルンバ!」
「ヒツジちゃんの足止めは、高藤と俺にまかせてくれ」
ミーティングルームを出て行きながら、それぞれ役割分担を的確にこなす面々に、頭があがらない。どうしてそれを、仕事で生かさないんだろうか……。
コイツら、実にもったいないぞ!
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