271人が本棚に入れています
本棚に追加
「逃げるなよ」
座っていた椅子を吹き飛ばして、私の手を掴む。てのひらじゃなく、指先をぎゅっと握られたことに驚き、須藤課長の手と顔を交互に眺めた。
「あ、ごめん。痛かったか?」
「痛くはないですけど……」
「帰ってほしくなかった。最後まで話を聞いてもらわなきゃと、慌ててしまったんだ」
切れ長の二重まぶたが揺らめき、須藤課長の動揺を表しているようで、逆にこっちが悪いことをしてしまった感じに慌てふためく。
「昨日は、須藤課長とあんなことがあったから帰りましたけど、今日はちゃんと話を聞いてあげますよ。仕事のこともありますし」
「逃げない?」
掴んだ指先ごと、少しだけ引っ張る。無理やりじゃなく、私の気持ちを慮っているように思えたそれに抗うことなく、退いた分だけ歩み寄った。
(それにしても須藤課長の手、すごく熱いけど熱はないのかな?)
「逃げません」
断言したと同時に解放された手を思わず握りしめて、自分の体温を確かめた。
「仕事の話の前に、みーたんのことなんだけど」
「はいはい、なんですか?」
須藤課長は至極真面目な顔で言ってるのに、内容がゲームのことなのでどうしても真面目になりきれず、苦笑いを浮かべてしまう。
「みーたんの好きな物が、久しぶりに増えていたんだ。ヒツジが猫じゃらしでプレイしたのが、嬉しかったみたいでさ。ありがと……」
「どういたしまして」
「それで俺は相変わらず、猫じゃらしで遊べない……」
飛ばした椅子を引き寄せて座り直し、うな垂れながらデスクに置かれたスマホを見る須藤課長。しょんぼり具合が、捨てられた子猫みたいだった。
「どんだけ不器用なんですか」
「ヒツジが言ったとおりに、左右に動かしてるのに、みーたんが全然反応しないんだ」
言いながらスマホを私に向ける。
「ちょっとやって見せてくれ」
「いいですよ。こんな感じです」
猫じゃらしを動かす私の指先を、顔を寄せてまじまじと眺める須藤課長の目が、怖いくらいに真剣だった。
「わかった。やってみる……」
そう言ったので、須藤課長の手元にスマホを向けてあげた。人差し指が画面に触れながら左右に揺れ動いたのに、みーたんはアクビをして完全にスルーする。
「須藤課長の指を、認識していないみたいですね」
「ヒツジとなにが違うんだ?」
「ちょっといいですか?」
訊ねながら須藤課長の横に並び、画面に触れている人差し指を摘んだ。
「つっ!」
「あの須藤課長、風邪なんて引いてません?」
「どど、どうしてだ?」
「さっきも思ったんですけど、手が熱いなぁと」
疑問を口にしながら隣を見たら、須藤課長の顔が真っ赤になっていた。
(あ、この人、適齢期の女性とキスしたことないから、こういう接触の仕方も初めてなんだ)
「ぉお俺は人より、体温が高いんだ。その免疫力のおかげで、風邪を引かない。どうだ、すごいだろ!」
最初はキョどっていたのに語尾にいくに従い、威張るように言い放った須藤課長。彼の頬が真っ赤なのを、あえて指摘するのをやめた。
「わかりました。それじゃ動かしますよ。こんな感じです」
摘んだ須藤課長の人差し指を、いつものように動かしたのに、みーたんは無視を決め込んで、そのままお眠りになった。
最初のコメントを投稿しよう!