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車の運転がうまい男性は、エッチもうまいとかなんとか。適齢期の女性とキスしたことがない上司は間違いなく童貞だし、この情報を知っていても、残念ながら私はそれを確かめられない。
車の発進停止がとても丁寧で、体に振動を与えずにハンドルを握る須藤課長の運転のうまさにおののきつつ、彼の横顔をチラチラ眺めた。
黙っていると格好いいだけに、実にもったいないと思われる。
「愛衣さんは遊園地で、苦手な乗り物はあるのか?」
話題の提供がなかなかできなかった私に、須藤課長がボソッと訊ねた。
「特にありません。体調があまり良くないときは、コーヒーカップのくるくる回るのはダメですけど」
「実は俺、高いところが苦手なんだ。ジェットコースターは一瞬で落ちるから我慢できるが、観覧車はどうしても無理……」
弱りきった横顔が、ものすごく苦手なことを表していた。
「そうなんですね。観覧車のてっぺんで告白したりプロポーズなんて、絶好の機会だと思いますけど」
「絶好の機会……」
「でも場所によっては、それをしちゃうと別れるなんてジンクスがあるみたいなので、無理して乗らなくてもいいかもです」
「愛衣さんはそういうの、憧れたりするのか?」
チラッと助手席を見てから、すぐに視線を元に戻した須藤課長は、どんな気持ちで私に聞いたのかな。須藤課長の好きな人と私が似てるとはいえ、考え方まで同じにならないのに。
「憧れというか、うーん。そこの観覧車に乗るたびに、告白されたことを思い出せるので、いい記念になるかなぁと思います」
「わかった。高所恐怖症を克服するために、観覧車に乗ることにしよう」
進んで苦手なことにチャレンジする姿は、とても格好いいことだと思う。しかしながら素直じゃない須藤課長がチャレンジするとなると、話は別だ。
「ダメですよ、無理しちゃ。高いところが怖すぎて、具合が悪くなったら、どうするんですか?」
「嫌なんだ俺は……」
須藤課長はハンドルをぎゅっと握りしめながら、切なげなまなざしで前を見据える。言いかけた言葉を一旦区切り、はーっと深いため息を吐いてから、ふたたび話し出した。
「自分が苦手だから嫌いだからなんていう、個人的なくだらない理由で、絶好の機会を逃すくらいなら、ダメ元でもやってみたい。どんなことでも、無駄なことはひとつもない。その経験が生きるときが、きっと来るって信じてるんだ」
「そういう考え方、すごくいいと思います」
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