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私はキスされた耳を覆って固まる。目の前のリアクションをまじまじと見つめた須藤課長は、案内表を握りしめていた手からそれを抜き取り、勝手に鞄に押し込んだ。そしてフリーになった手をやんわりと掴み、どこかに向かって歩き出す。
今日はやけに積極的だなぁと思いながらついて行くと、須藤課長の足に小さい女のコがぶつかった。女のコは背の高い須藤課長を見上げて、泣き出しそうな顔を見せる。
そりゃそうだろう。長い前髪の下にある吊り上がり気味の目つきは、普通にしていても迫力があるしちょっと怖い。
(ぶつかってくるなんて、不注意にもほどがある! とかなんとかこのコに怒鳴る前に、私がなんとかしなきゃ)
そう思ったのも束の間、須藤課長はしゃがみ込んで、女のコと同じ目線にしながら、にっこり微笑む。営業スマイルとも違うその笑みに、こんな顔もできる人なんだと驚いた。
「どうした? お父さんとお母さんは一緒じゃないのか?」
少しだけ声のトーンをあげて喋る姿に、またまた驚いてしまった。きちんと子どもの対処ができることに感心しながら、ふたりのやり取りを見守る。
「まみね、あっちにサルエモンがいたから走って追いかけたら、いなくなっちゃったの。そしたらね、パパもママもいなくなっちゃった」
「そっか。それはびっくりしたな。それじゃあおじちゃんと一緒に、パパとママを探してくれるところに行こうか」
須藤課長は私と繋いでいない手で、女のコの手を握りしめる。こうしていると傍から見たら、親子に見えちゃったりして。
「充明くん、両手に花ですね」
「妬いてるのか?」
「妬いてません。自分をおじちゃんと言う人と、付き合った覚えはないので」
「しょうがないだろ。これくらいの年齢のコが25過ぎの男性を見たら、全員おじちゃんに見えてしまうものなんだ」
しょうがないと本人が言った手前、それを否定するのはナンセンスだろうな。
「私もそれに当てはまるとしたら、おばちゃんになるんですけど?」
「愛衣さんは大丈夫。まったくおばちゃんに見えない。むしろ綺麗なお姉さんだ。そうだろう?」
女のコと繋いだ手をちょっとだけ引っ張り、首を傾げて訊ねた須藤課長に、女のコは私を見るためにしっかり顔をあげる。
「まみのママよりも小さく見えるから、お姉ちゃん!」
「ほら、小さくてよかったな」
ニヤニヤしながら小さいと言われても、女のコが言った小さいと、違う意味のような気がする。
私が下から睨んだら、須藤課長はそれをかわすように、女のコに視線を移して口を開く。
「安心しろ。この小さいお姉さんが、迷子センターに連れて行ってくれるからな!」
その言葉で、鞄にしまっていた案内表を慌てて取り出した。
「充明くん、場所がわかっていて私たちを引っ張ってるわけじゃなかったんですね! 迷子センターどこ?」
言いながら案内表の見取り図から、迷子センターを必死になって探す。
「このまま道なりにしばらく進んで、丁字路を右に曲がると迷子センターがある。愛衣さんとはぐれたときのことを考えて、ちゃんと覚えておいた」
「えっ?」
(――なにをどうしたら、私と須藤課長がはぐれてしまうというのだろう?)
「君は目を離したらこのコのように、どこかに走っていくかもしれないからな。想定外を考慮するのは、当然のことなんだ」
「おじちゃんすごいね。まみのパパとママにも教えてあげて!」
「充明くん凄いすごい。偉いです!」
女のコが嬉しそうに声をあげたので、私はあえて棒読みで須藤課長を褒め讃えた。それなのにはにかんで優しい面持ちをするものだから、逆にこっちが困惑するしかない。
それ以上話せなくなった私と、頼もしさを感じたからか、須藤課長に積極的にお喋りする女のコ、そして終始笑顔で接する須藤課長という謎のトライアングルは、迷子センターで無事に解消されたのだった。
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