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その気色に機は熟したと見たらしく聡美は、ここは一発煽てようと、「今村さんって男前ね」としどけなく褒めて来た。
既に出来上がっていた俺は、「君だって中々可愛いよ」と素面ではとても言えない事をにやけながら言うと、聡美は、「今村さんってお上手ねえ」と言って、ぽんと俺の二の腕辺りを叩いた。それから媚びた体で手酌でやっている俺に躙り寄り、体をぐっと擦り寄せて来て、「私、前々から今村さんに話し掛けて来て欲しかったのよ」と言いながら大胆にも俺の頭髪を撫で回し出した。
故に俺は頭の中の脳味噌がぐるんぐるん回る様な錯覚を感じ、女という者は七つも年下でも斯くも図々しくなれるものかと思い、「そうだったの」とべろんべろんになりながら答えると、聡美は、「そうよ」と言いしな、頭髪を撫で回すのを止め、俺の前の座卓に置かれた徳利を取り上げ、その底に左手を添え、「お一つどうぞ」と献身的に言って徳利を差し出し、俺の酔いどれた顔をうっとりとした眼差しで見つめ出した。
それだから俺は自惚れながら、「おお、酌をしてくれるのか」と答えるや、手前の座卓の上に置かれた盃を取り、聡美から注がれた酒を一気に呷り、立ち所にへべれけになると、彼女は透かさず、「今村さんの車、あれ、何て言うの?」と殊更に色づいた声色を装って聞いて来た。
それに応えるべく俺は少年の頃、大好きだった仮面ライダーアマゾンの変身の振りを始め、その振りに合わせて抑揚を付けて、「フェア~!レディ~!ゼット!」と答えると、聡美は一笑してから今度は鼻を鳴らして甘ったれた声色になり、「私、乗せて欲しいなあ」としなだれて来た。
その途端、俺は酔ってだらしなくなっていた心持を急に引き締めて、「マフラーの音煩いぞ。それでもいいのか?」と尋ねると、聡美は色目を使って、「構わないわ」と答えた後、手前の座卓に置かれたグラスを取り、俺に向けて、にやっと笑って見せてウイスキーを一口飲んだ。
それを見たからには欲情して興奮しない訳に行かなくなった俺は、聡美の置いたグラスをさっと取り上げるや否や残りのウイスキーを一気に飲み干し、グラスを掲げ、「間接キッスだ!」と意気揚々と快哉を叫んだ。
すると宴席は愈々盛り上がり、「抱いてやれ!」だの「付き合っちゃえ!」だのと言って俺を囃し立てる様になり、それまでの聡美の煽てにもまんまと乗せられ、すっかり陶酔していた俺は、聡美と結ばれ、皆に祝福されている様な夢心地の気分になり、その後、浮かれに浮かれ、羽化登仙の心境に至り、春の夜の夢と言うべきか、とても幸福な一時を過ごした。
そんな俺の様子に同席した二人の若い男性正社員は、「人ってプライベートな時間に付き合わないと分からないものだね」「確かにねえ」と囁き合った。それは人生に蹉跌して勤務中、天職と思って働いていない上に単調な仕事を機械の様に正確に迅速に効率良く出来て会社から重宝される人間こそが寧ろ欠陥の有る人間だと軽蔑しながら働いている俺の覇気の無さを常日頃から見ている彼らの尤もな所感に違いなかった。
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