動乱(第三部)

17/104
前へ
/104ページ
次へ
動乱(第三部)17 しかし多くの大臣の席はないよと言うので、なってしまえばこっちのもんでしょう、総理になり組閣して不服を言う奴は解散、 総選挙をやると脅かして、それでもおとなしくならない奴は公認しないようにして、刺客を送り込み解散総選挙に打って出て、 大勝すれば良いのでは、 公認をはずしたものは、派閥を盾に取り私服を肥やしているやからなので、新しい自民党を作る為だとマスコミに流せば、最近、 自民党議員の不祥事が多く出ているので、国民やマスコミは大喜びしますよ、他の派閥は寝耳に水なので選挙対策もできず議席、 を減らします、 資金もタップリある田中先生の勝と言うわけですと笑うと、これは凄い神崎先生を上回る策士だ、どうですか自衛隊を退官して、 議員に立候補しては、田中派が、最大限応援します、比例代表区のトップにいれますので、当選間違いなしですよと言うので、 お父様いいかしらと言うと、 お前の人生だ好きにすればと言うので、よく考えるわとシャンパンを一気飲みしたのです、しおりが、神崎先生も夏子さんには、 手も足もでませんねと笑うので、まいったよとシヤンパンを飲み干したのです、今度ヘリを呉の海保に移送するのだけど、呉は、 お父様の知り合いは沢山いるでしょう、 しおりママみたいな愛人がいるのでしょうと聞くので、しおりが愛人ではありませんよと言うと、新一が、呉にも桜と言う料亭、 がありしおりと言う芸者がいるよ、今は置屋の女将をやっているが会って聞いてみればと笑うと、わかったわ呉に行ったら会っ、 てくるわ、 ママにはみんな内緒にしてあげるわと、それでは私はあちらの席にうつるわ、田中先生又宜しくと言うと、席を立ちみんなの処、 に戻ったのです、新一が言いたい事を言って行きやがったと言うと、田中が中々の策士ですね代議士にすれば女性達が大喜びし、 ますよと言うので、 あんなのを議員にすると何するかわかりませんよと言うと、先生でもコントロールできませんかと笑うので、田中先生も真紀子、 さんはコントロール、出来ないでしょうと言うと、そうですね、男は女のコントロールなんぞは、出来ないですな、逆にコント、 ロールされますねと頷いたのです、 大型のヘリが配備されたので夏子は呉に移送する事になったのです、今回も木田を載せてへりに乗り込み、今回は木田君が操縦、 してと言う、了解しましたと返事してこちらJC1245離陸許可を願うと言うと、JC1245離陸を許可すると言うのでスロットルを、 吹かして離陸して、 西に向ったのです、呉には友達はいないのと聴くと、同期が救助チームでパイロットをやっています、昨日連絡しましたら今日、 は非番なので、呉を案内すると言っていましたと言うので、私は行くところがあるので、木田君は友達と旧交を温めて、明日、 広島空港で落ち合いましょうと言うと、 ハイ、どこに行くのですかと聞くので、そうね父が出た江田島の海軍兵学校跡に行ってみるわ、呉に父の部下だった人がレスト、 ランを開いているそうなので、案内してもらうわと言うと、そうですか、私は友達が安芸の宮島に案内すると言っていました、 あなごが美味しいと言っていましたよ、 今日はそこに友達と泊まりますと言ったのです、一回行ったことあるけど、海に浮かぶ鳥居が幻想的で素晴らしいところよと言、 うと、ハイ、僕は初めてです楽しみにしているのですよと言ったのです、燃料はと聞くと一時間半のフライトですから全然余裕、 がありますと答えたのです、 一時間半で呉の海上保安部のヘリポートに着陸して、保安本部長に挨拶して引き渡し書を提出したのです、本部長が新聞で読ん、 だよ、おかげで大型ヘリの配備が決まったので、救難活動も楽になるだろう、今日はどうするのかねと聞くとので、父の部下、 だった人が呉でレストランを開いているそうなので、 会いに行きますと言うと、中島元大佐だな、瑞鶴の参謀をやっていた人だよ、私も駆逐艦の艦長、をやっていたんだと言うので、 それでは父をご存じでと聞くと、あの大和とともに最後にここから出撃したのだよ、君の父君は駆逐艦雪風に乗って参加され、 坊ノ岬沖では敵の戦闘機を40機撃墜したんだよ、 松山から紫電改が応援に来て一時攻撃隊150機は全機撃墜したが、二次の攻撃隊150機で大和は攻撃されあえなく沈没した乗組員、 の半分は救助したが後は大和と運命を共にした、まさに帝国海軍の葬式だったなと瞑目したのです、神埼閣下に貴方みたいな、 娘がいるとは知らなかったと言うので、 私は終戦の一年前に生まれたのです、随分歳をとってからの子供で良く孫と間違われますと言うと、閣下のおかげで随分の人が、 助かったのだよ、まさに軍略の天才だったな、最後の作戦に参加出来て良かった、父上も元気だそうで、良かったと言うので、 いつまで生きるのかしらと笑ったのです、 それでは引渡しましたので、これで失礼しますと、挨拶して車に乗り、呉の繁華街に出て、レストラン瑞鶴に、向ったのです、 レストランに入り、中島さんはいらっしゃいますかと、言うと、奥からやあ夏ちゃん暫くと、言っても僕は覚えていないだろう、 まだ1歳になったばかりだったからねと言うので、 すみませんと言うと、終戦前には巡洋艦敷島に乗っていて、北海道の宗谷海峡封鎖作戦に従事するまえに東京湾に碇泊しており、 何回かお宅にお邪魔したんだよ、すぐに夏ちゃんとお婆さんは長野に疎開したから、一回しか会っていないけどと言ってまあ座、 ってと席を勧めるので座ると、 お昼はと聞くのでまだですと言うので、それでは瑞鶴のカレーを出そうと言って厨房に行き、暫くしてカレーを持ってきたので、 す、頂きますと一口食べると、まろやかで美味しいと言うと、それは良かったと喜んだのです、カレーを食べ終わり、沢山の、 スパイスが入っていますねと言うと、 それが秘伝なんだよと笑い、私はモーターボートを持っているので、それで、江田島を案内しょう、私も父君もあそこで訓練し、 ていたわけなんだと言ったのです、一人の女性が傍に来て美咲と言います、私は中島の孫です、私が案内しますと言うので、 お願いしますと頭を下げたのです、 モータボートに乗り込み美咲の、運転で江田島に向ったのです、お爺さんは呉の生まれですかと聞くと、いいえ、鹿児島だ、 そうです、結婚して呉に家を構えて私のお母さんが生まれたのです、私はその子供です、戦後の22年生まれです、夏子さんが、 私より少し上ですよ、 祖父は夏子さんのお父様の参謀をやっていて、開戦初めには遠くインド洋まで遠征したそうです、戦争中の事はあまり話さない、 のですが神崎中将の事は良く聞かされました、間違った進言をしても決して怒らなかったそうです、しかも間違った進言は決し、 て採用しなかったそうです、
/104ページ

最初のコメントを投稿しよう!

49人が本棚に入れています
本棚に追加