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 昔なじみの津久見修三がその日記を携えて僕の家を訪ねてきたのは十一月下旬の日曜の午後だった。  僕は来週から始まる期末テストの一年生用の古典の試験問題を作成していた。昨日の土曜日は顧問をしている文芸部の大会があって一日つぶれてしまった。一年生の授業を一緒に担当している原沢には、明日試験の草稿を見せる約束になっている。今日ばかりは時間を割かれるのはありがたくなかった。しかし他ならぬ津久見のことだ。寝る時間がなくなることを覚悟して、笑顔で津久見を部屋に招き入れた。ディスプレイに浮かんでいた徒然草の文章を上書保存してノート・パソコンをシャットダウンした。  椅子に掛けるように促すと、津久見は向かいの椅子に腰を下ろした。ちょっとくたびれたカーキ色のブルゾンに黒のジーンズ。久しぶりに見る津久見は心なしか顔が削がれて陰影が深くなっている気がした。けれど目がきらきらと光っている。そうだ、津久見は昔からいつも目がきらきら光っていた。会うのは久しぶりだが、会えばたちまち高校生の時の隔てのない仲に戻ってしまう。昔なじみのいいところだ。 「今日は成瀬に頼みがあって来た」  そう言って津久見はクラフト紙の袋から一冊の古い和綴じの冊子を取り出した。朽葉色の表紙は古びて少しすれている。そこに直(じか)に毛筆で、 『 日記帳 杉 田鶴子 』  と達筆な文字で認められている。 「今度、フィルム・コミッション主催でショート・フィルムのコンペがあるんだ。那須地域が明治の元勲たちによって開拓され、プランテーションが試みられていたのは成瀬もよく知ってるよな。以前、成瀬が作った学校新聞で特集していたろ。今度それが日本近代産業遺産として登録されることになった。そこでそれを地域の観光資源として有効利用するために、PR用のショート・フィルムを作ることになった。地域の観光課と商工会議所が後援している。それで俺たち『フィルム工房TSUKUMI』も参加を考えている。賞金はわずかだが、首尾よく優勝できれば、今後地域の観光PRフィルムを受注する権利がついてくる。そうなれば企業からの注文ももらえるようになる。弱小映画製作会社としては、ぜひともチャンスをつかみたいんだ」  津久見修三は高校一年生の時の同級生だった。僕たちは年号が平成に変わって最初の入学生だった。教室の座席は五十音順だったので津久見と僕とは席が前と後ろだった。そのために接する機会が多く、津久見と僕はすぐに仲良くなった。津久見はいつも目をきらきら輝かせている奴だった。中学時代には柔道をやっていて、県でも上位の成績を上げていたらしく、入学当初は先輩や顧問の教員が頻繁に勧誘しに来ていた。だが津久見は高校では柔道をするつもりはなく、頑として受け付けないので、捨て台詞を吐いて教室を出てゆく上級生もいた。津久見は暇があると小さな細長い本を読んでいた。僕は岩波新書を読んでいる高校生を初めて見た。津久見がそのとき読んでいたのは遺伝子に関する岩波新書であったが、高校に入ったからにはジャンルを問わず一日に一冊ずつ岩波新書を読破するつもりだと豪語していた。僕も読書好きではあったが、読むのはほとんどが小説だったし、高校に入ってからは英語や数学の授業についてゆけずあっぷあっぷだったから、本を読むことは時間的にも心理的にも無理だった。僕は少なからず津久見を尊敬していた。  親しくなってほどなく、津久見も僕も映画が好きだということがわかった。それで月に一度くらいずつは連れ立って街の映画館に出かけた。シネマ・コンプレックスの映画館は都会では出始めていたが、津久見と僕が通った映画館は、小さくて雨の日には湿った傘のにおいがする地方都市にある典型的な寂れかけた映画館だった。新作映画も封切られるが名作映画のリバイバルなども上映した。津久見は社会派の映画が好きだった。どうしてあんな古い映画を上映していたのかと思うが、何かの特集で『十二人の怒れる男』がかかっていた。見終わった後、津久見はひどく興奮して、モノクロで男たちしか出てこない地味な画面なのに、鋭く知性を刺激されて途轍もなく面白いことに感激していた。『愛と青春の旅立ち』のラストで若い士官が工場の娘を抱き上げて連れてゆくシーンではぼろぼろ泣いていた。しばらくそのことで津久見をからかったが、この男は信じられると思った。  津久見は映画監督志望だった。岩波新書を手あたり次第に読んでいるのも、映画監督は社会のさまざまなことについて関心を持たなければならないし、知識を広げなければならないということが動機になっていたようだった。  高校を卒業して僕は大学の文学部に入学して国文学を専攻することにしたが、津久見は大学へは進まずに映画関係の専門学校に進んだ。進学校の中でも成績は悪くなかったのだから、どこか芸術系の大学で映画を学ぶ道もあったはずだと思うが、津久見は大学で学ぶ映画は理論が中心となってまどろっこしい気がする、早く映画を製作する現場に飛び込みたい、学資を出してもらえるような裕福な家ではないから早く卒業したい、ということで、大学ではなくより実際的なことが学べ、現場に近い専門学校を選んだ。  大学を出て僕は高校の国語の教師となり、津久見は専門学校を出た後、東京に残って映画プロダクション会社に勤め、結婚をし、十五年務めたことを契機に故郷に戻り、独立して『フィルム工房TSUKUMI』を立ち上げた。『フィルム工房TSUKUMI』は観光PRフィルムや企業のPRフィルムなどを製作することが主たる仕事となっているが、それは会社を維持するためで、津久見は本来、深い人間性を追求するドラマを撮りたいと考えている。商業用のフィルムを製作する傍ら、時間を捻出して何本かのヒューマンドラマを製作していた。 「津久見がショート・フィルムのコンペで賞を獲りたいということはわかった。で、その話とその日記帳とはどう結びつくんだい?」 「今回のコンペの課題で、時間は十分と決められている。その中でただイメージ・フィルムのように風景を流していても見る人の心を掴むことはできない。人の心を掴むのは何だと思う、成瀬」 「なにかしらのサイド・ストーリーかな、この場合は」 「そうだ。人の心を掴めるのは“物語”だと俺は考えている。今回俺たちは『青木別邸』をテーマとして選んだ。建物は単なる無機物に過ぎない。だがそこに暮らす人々の持つ物語、訪れる人の物語、物語が寄り添う時、建物は単なる無機物から体温を持つ生命体へと変貌する。この日記は、青木別邸に関わる人物のものなんだ」 「青木別邸といえば、今、道の駅になっている建物かい?」 「そうだ。『道の駅・明治の森』の中に移築されている洋館だ。日記を書いた人物は青木周蔵の子孫筋にあたるようだ」  そう言って津久見は日記をこちらに押して寄越した。僕はノートパソコンを脇にどけて日記を手に取った。  和紙を綴じた帳面で、内容は夏休みの日記のようである。毛筆でなかなか達筆に書かれてあり、ところどころに花や虫などの絵が色鮮やかに添えられている。書いた人物は小学校の高学年から中学生といったところか。つかのま日記のページをめくって、津久見の視線を意識しなくなった頃、 「成瀬、お前、嬉しそうだな」  津久見がニッと笑った。知らず知らずのうちににやけた顔になっていたらしい。取り繕うように、 「単なる子どもの夏休みの日記じゃないのか?」  と醒めた言葉で攻めてみると、 「まあその通りだ。しかし、子どもとはいえ外務卿・青木周蔵に繋がる人物だ。その子どものひと夏を辿り直してみることで、青木別邸が血肉のぬくもりを持って感じられるようなフィルムを作ることを考えている。この日記帳が俺たちの切り札なんだ」 「この日記帳、資料としての信頼性は大丈夫なのか? 出所はどこなんだ? 神田の古本屋あたりか?」  神田の古書店街には地方の史料を専門に扱っている店が何軒かある。そうした店から拾い出してきた可能性を考えた。 「資料は信頼できる。だいいち子どもの夏休みの日記を偽造したって何のもうけにもならないから、偽造はあり得ない。その日記帳は個人が所有しているものなのだが、貸してもらうにあたって匿名が条件だった。出所については勘弁してくれ。だが、本当に偽物なんかじゃない」 「それで、津久見、俺に何をさせようっていうんだい?」 「日記の筆者についてなんだ。そこにある通り、杉田鶴子(すぎ たづこ)というんだろうが、この人がどのような素性の人物なのかがわからない。杉 田鶴子という人物がどのような素性の人物で、青木周蔵とどのように繋がるのかをお前に調べて欲しい」 「今はインターネットの時代だぞ。どんなことでもキーワードを叩き込んでやれば、電脳知恵小箱が何でも教えてくれるだろう」 「もちろん、ちょっとはやってみたさ。『杉田鶴子』で検索をかけてみたら、たくさんのヒットがあった。やったーと思った次の瞬間にはギャーって叫んでいたよ。ヒットしたのは全て『すぎた つるこ』という人で、どうも短歌の世界では有名な人らしい。小児科医でもあって杉田玄白の子孫だそうだ。早く撮影に入りたいから時間が惜しい。そこで成瀬のことを思い出した。お前、昔から調べ物好きだったろう」  しまった。悟られている。僕は三度の飯より四度の飯、四度の飯より調べ物が大好きなのだ。古い資料を読むのも、暗号を解読するようで楽しみの一つだ。さっき日記をめくりながら知らず知らずにやりとしてしまったのも、そんなことが原因している。 「勘弁してくれ。古典の試験問題を作らなけりゃならない。明日には同僚に見せなきゃならないんだよ」 「まあ、そちらも頑張ってもらうことにして、ちょっとこの日記帳も見てもらえないか。俺たちの今後がかかってるんだ」 「それはそっちの都合だろう。仕方ないなあ。その杉田鶴子っていう人は確かに青木家の関係者なのか?」 「ああ。間違いない。日記の中に『青木の祖父様』という表現が出てくる。それから推し測れば青木周蔵の孫にあたる人物ではないかと考えられるんだ」 「それで苗字が違っているということは、青木周蔵の娘が『杉』という家に嫁いで、生まれた娘が杉田鶴子と考えていいだろうか」 「素直に考えれば、その通りでいいのじゃないかと思う」  僕はその時はっと思い出した。 「そういえば、青木周蔵の奥さんは外国人じゃなかったっけ?」 「ああ、そうそう。エリザベートだ。ドイツ貴族の令嬢だ」 「当時は、外国人を妻に迎えれば出世は絶望的と言われていた。森鴎外がエリスとの結婚を家族から猛反対されたのもそのことが原因だった。青木周蔵は明治の外務官にしてただ一人ヨーロッパ婦人と結婚し、その能力ゆえに官途を絶たれなかった。よっぽど能力が高かったんだろうな。では、その杉田鶴子という女の子は、周蔵とエリザベートの間に生まれた娘が産んだ娘ということになるのかな。クォーターということになる」 「その可能性も考えられる。実はそうだとよりドラマティックになるから有難い。そのへんもひっくるめて成瀬に調べてもらいたい」 「津久見はこの日記、もう読んだのか?」 「ひととおりはな。だが、なんたって古文で書いてあるから読みにくい」  改めて日記を手に取る。記述は七月二十日から始まる。   七月二十日 晴 日曜日 温度八十七度   いよいよ今日より夏休みとなれり昨年は七月一日より休暇となりしが今年は七月十九日迠楽しく学べり昨日の終業式にて院長閣下のお話に夏休中は實に己の心得一つにて有益にも無益にもなるなりそは絲のよりと同じ事にてそを中途にてやめなば再びもとにもどると同じく學問も怠たらば一學期の努力も水泡と歸すべしされば我も此の休中心身を練り學問を勵みいさゝかにても有益に過さんと切に思ふ一學期の成績おもはしからざりし事いと殘念なり二學期は成績を上げんと一人しみじみ思へり   今朝は朝よりむし暑くけうとき心地に起き出づれば赤に白紫に色鮮やかに咲ける朝顔いともすがすがしく夢よりさめし心地して思はず庭におり立ち鉢などならべ樂しむ朝餐の後梅林堂に買物に行き歸り電車の中にて大島院長にお目にかゝる午後より書方を習へり後祖父様の御機嫌うかゞふこの暑さに負け給はずお元氣にてうれし妹を遊ばせながら庭を散歩す英子さん直子さん來られ面白く話などす數日前より庭の隅なる茶室の前に狸出ずるなど噂ありしが今朝四時頃小使庭を掃除せんと來りしに狸を見たりと話せらる我は此の繁華なる世に狸住みおるとは誠にもおもへずいぶかしきまでに驚く夕方入浴し一日の汗を流し庭にて涼をとる     [朝顔の絵]  初日の日記を見ながら、津久見にいくつかの質問をぶつけてみる。 「この日記が書かれたのはいつだかわかるのかい?」 「明確な年代はどこにも書いていない。ただ、たぶん大正時代だろうって記述が出てくる。大正何年かはわからない」 「それではこの少女がこの時何歳だったのかもわからないのかい?」 「そうだ。日記の中では年齢を特定できるような記述がない」 「終業式に『院長閣下』がお話を述べているということは、この子は学習院に通っていると考えていいだろうか」 「茶室のあるような家に住んでいる。青木家ではないとしても、かなり上流階級の子女と考えていいだろう」 「それで津久見は、どんなコンセプトの作品としてショート・フィルムを作り上げようとしているんだい?」 「せっかく日記帳を手に入れているんだ。俺たちの強みは、実際に大正時代に青木別邸で過ごした人物の日記帳を持っていることだ。それを前面に押し出して作品を作るつもりだ。以前別の企画で撮影したことがあって、青木別邸付近の風景や行事はたくさん撮り貯めしてある。青木別邸の夏から秋にかけての風景、地元の人たちや同じく那須に別荘を構えていた華族家との交流を、青木別邸に滞在している大正時代の少女の目を通して描き出してゆくことを考えている。日記帳自体も映像の中で利用する。実は、面白い箇所が日記の中に出てくるんだ。だから、少女の素性が把握できない限り、映像に説得力を持たせることができないし、作品自体が成り立たないんだ。できれば那須でひと夏を過ごした少女が、のちに大人になってどのような女性としてどんな人生を送ったのかを加味できたらと考えている」 「題名とか決まっているのか?」  僕が尋ねると、今まで饒舌だった津久見が急に口ごもるようにして、 「…うん…、『夏空乙女日記』って考えてるんだ。仮題だけどな」 「おいおいっ ベタすぎないか。どの口が『乙女』って言ってる」 「嫁さんからも言われたよ。センスなさすぎって」 津久見が頭を掻いている。津久見の奥さんの吉乃さんは、映画プロダクション会社の先輩だった。今は『フィルム工房TSUKUMI』の経理とスケジュール管理を担当している。『フィルム工房TSUKUMI』自体が小さな会社で、正式スタッフは津久見夫婦を含めて五人しかいない。その中で奥さんは大事な戦力である。もともと映画を勉強してきた人だし、手先も器用なので、撮影助手から弁当作りまで何でもこなしている。 「題名についてはもうちょっと改善の余地があるな。それで、『杉田鶴子』についてだが、いつまでに調べればいい?」 「いや、すぐにとはいわん。一週間で頼むよ」 「一週間?! 俺の勤務しているのが名にし負うブラック企業なことは知っているだろう。無理だよ」 「いや、そこをなんとか引き受けてくれ。『フィルム工房TSUKUMI』の命運がかかっている。撮影は少しずつ始めてはいるが、一週間後には本格的に取り掛からないと応募締め切りに間に合わない」 「仕方ないなあ。だが、本当に無理かもしれないぞ」 「恩に着る、成瀬」 不承不承の体を装って、ひとまず引き受けることにした。 「この日記帳、しばらく借りていていいのか」 「ああ、使ってくれ。コピーは取ってある」 試験問題を作成しなくてはならないからと、なるべく早めに調査することを約束して、その日は帰ってもらった。
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