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 日曜日、僕は「フィルム工房TSUKUMI」の撮影現場に行ってみることにした。百年前に埋めたものがまだそのまま存在しているということは考えにくかったし、それ以上に埋まっていることを信じている津久見の強気が訝しかった。  「道の駅・明治の森」の青木別邸には七時頃着いた。建物の裏手に回ると、もう「フィルム工房TSUKUMI」のスタッフが冬の朝の薄暗い中でたち働いていた。ネクタイを締めてダウンジャケットを着ているのは青木別邸の学芸員だろう。撮影を見守っているというよりは、撮影スタッフが何か不穏なことをしないか見張っているようだった。  スタッフが働いている方に歩み寄ってゆくと、翌檜の木の近くでカマラマンとカメラのセッティングの相談をしていた津久見が気付いて手をあげてくれた。 「よお。来てくれたんだ」  奥さんの吉乃さんも笑顔で近寄ってきて、 「この前は日記帳の調査、ありがとうございました。とても細かいところまで調べていただいて、感激しちゃいました」  と、温かい缶コーヒーを手渡してくれた。  撮影現場になるのは日記に書かれていた翌檜の木のところである。  今も青木別邸には杉並木が建物の正面から南に向かって二列で延びている。この杉並木は青木周蔵の時代に植えられたものがそのまま残っているのだという。青木別邸は平成十年の改修時に現在の場所に移築されたが、もともとあった場所は現在の場所より五十メートルほど北だったという。当時の杉並木は、杉田鶴子の日記に「三町」と書かれているから、三百メートルほど続いていたのだろう。今は建物が南に移築された分短くなっている。かつて杉並木が青木別邸に行き着くところに特徴的な大きな二本の翌檜が植えられていた。今は建物が移築されてしまったために青木別邸の裏側になってしまったが、移築前は青木別邸の表側(南側)正面にあって、門柱がわりだったという。翌檜は二本とも根元から枝分けれして、丸くこんもりと繁っており、一本なのに小さな林さながらの特徴的な形をしている。  もし津久見が仕込みをしているのなら、土の色や雰囲気が周囲とは違ったものになっているのではないかと、僕は翌檜の根元付近を注意深く観察した。しかしこれといった不自然さを見つけることはできなかった。僕のそんな様子を見ていた津久見が、 「成瀬、観察するのはかまわないが、そのあたりは撮影に使うから荒らさないでくれよ」 と注文をつけてきた。  撮影は、青木別邸が一般公開する時刻の前までという約束で許可を得たらしい。セッティングを済ませると早速撮影に入る。  出演するのは老婦人一人である。老境に入った日記の筆者・杉田鶴子をイメージしているのだろう。真っ白な髪は上品に結い上げられている。レース飾りの付いたアンティークな浅葱色のドレスを身にまとっている。二本並んだうちの東側の翌檜の木の根元にかがみこむ。手には園芸用のシャベルが握られている。どこで見つけてきたのか、そのシャベルさえもが普通の物とは違って上品に見える。  津久見から女優に指示が与えられる。 「あなたは子爵家の娘に生まれてずっと上流階級で暮らした人なんです。優雅にお願いします。まず手で地面の上の木の葉を払って土を露出させてください」  女優が年上のせいだろう。津久見の言葉がいつになく丁寧だ。  冬の陽射しは鋭い。木立の影が女優の手元まで細く伸びている。女優が地面の上に積もった枯葉を払ってゆく。左手の指環のエメラルドが、枯葉色におおわれた画面に緑の光を点じている。女優が八十センチ四方ほど地面を露出させたところで、 「では、シャベルで土を掘ってください。あなたが子どもの頃に埋め込んだ思い出の品を掘り出すのです。何か出てきても驚きませんよ。出てきたなら驚きではなく懐かしさを表現してください。そして、あくまでも優雅に、です」  女優はシャベルで土を掘りはじめた。土は乾いて固そうな様子だ。やはり前もって何か細工をしてあるような様子は見受けられない。本当に何か出てくるのだろうか。あの津久見の強気には根拠があるのだろうか。優雅に、と指示された女優はアイスクリームをスプーンで掬うようにシャベルを動かす。なかなか掘るのがはかどらない。  十分ほどその作業を続けた時、女優の表情に異変があった。何かに触れた感じ。そして懐かしいものをいとおしむような表情をつくった。 「出た!」  カメラマンが声を殺して叫んだ。 「そのまま続けて。あくまでも優雅に」  言いながら、津久見の声は興奮していた。立ち会っていた学芸員が、カメラのフレームに入るギリギリのところまでにじり寄って女優の手元に見入った。  女優が優雅というよりはむしろ慎重にシャベルを動かした。次第に箱のようなものが姿を現した。土の中から取り出せそうになった時、 「それではシャベルを脇において、土の中の箱を取り出してください。あくまでも優雅に」  女優は指示された通り取り出し、枯葉の上にそれを置いて、箱の表面の土を払った。ずいぶんと剥げているが漆塗りの文箱であるようだ。箱の表面にわずかに草花の模様が見て取れる。 「優雅な手つきで、箱の蓋を取ってください」  興奮を抑えて津久見が言う。  女優が静かに蓋をはずして横に置く。文箱の中身が見える。千代紙の姉様人形。水鉄砲。トランプ。『世界のお伽噺』。杉田鶴子の日記に書かれていた物が本当に入っていた。嘘だろう。こんなことがあるのか。僕は信じられなかった。 「カメラ、箱の中にズームして。はい、カットでーす。お疲れさまでした」  津久見の声がかかる。  学芸員は驚いて文箱のところに駆け寄った。スタッフはあらかじめ津久見から話を聞いていたらしく、さほど驚きを見せなかったが、学芸員にしたら大発見だ。今後の取り扱いについても考えなければならない。  撮影前、津久見が仕込みをした形跡を認めることはできなかった。それなのに日記の記述の通りに翌檜の木の根元から青木家の子どもたちが埋めたと記された物が出て来た。本当にこの品物は百年間眠りについて今目覚めた物なのだろうか。驚きと疑問とが僕の中で渦を巻いていた。  スタッフたちと興奮を分かち合っていた津久見が僕のところにやって来た。 「どうだ、成瀬。本当に出て来たぞ」  勝ち誇った津久見の瞳には、しかし淋しさが宿っていた。  僕は困惑して何も言えなかった。  撮影は青木別邸の公開時刻までもう少し続けられるらしかったが、僕は帰ることにした。  津久見にあいさつをしたあと、何気なさを装って尋ねた。 「津久見、日記帳は二冊あったのか?」  津久見はわずかに身体を強張らせた。 「いや、一冊だけだ」  否定しながら、微妙に僕の視線を外していた。
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