礫史

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「わたしたち、一緒に住んでるの」  実家の茶の間でこたつをはさみ、わたしと佳純(かすみ)はわたしの両親に本題を切り出した。 「知ってるわよ。ルームシェアでしょ?」  お母さんが相槌を打つ。でもこれは演技だ。お母さんには前もって本当のことを打ち明けてある。 「違うの。ルームシェアじゃなくて、同棲なの」 「何が違うの?」 「わたしたち、恋人同士として一緒に住んでるの」  お母さんの相槌が途切れる。茶の間に沈黙が流れる。お父さんの顔を見上げる。目があって、すぐにお父さんは視線をそらした。庭からシジュウカラの声が聞こえた。冬が近いんだと思う。  お父さんが、あぐらを組み直した。 「二人とも、女だろう」 「そうだよ。わたしも佳純も女」 「女なのに恋人同士か」  お父さんは軽く頭を振った。久しぶりに見る頭には白髪がずいぶんと増えていた。 「あれはどうしたんだ、あの、ほら、おそざわ薬局の同級生」 「まあ、深山くん」  お父さんとお母さんが懐かしそうにわたしのかつての恋人の名前を挙げる。懐かしさでいえば、わたしにだって同じだ。距離でいえば、わたしの方が遠い。 「深山と別れて佳純と付き合い始めたの」  お父さんは「そうだったか」とうつむいて頭をかいた。 「佳純さんは、前にうちに来たことがあったな。あれは何年前だっだか」 「六年前です。私たちは大学二年生でした。その節は大変お世話にました。たくさんご馳走していただいて、本当にありがとうございました。歩弥(あゆみ)さんのお母さんが作ってくださった鮎の甘露煮、おいしかったです」  わたしの隣で正座しながら、佳純は落ち着いて答えた。誰に何を言われても怒らないようにしよう。この帰省に先立ち、佳純とわたしとで交わした約束の一つだ。灰皿が飛んできてもにこっとしたるわ。そう答えた佳純は、約束を忠実に守ろうとしてくれていた。 「まあよく憶えているのね」 「あの時はもう二人付き合っていたのか」  顔をほころばせたお母さんが言い終わる前に、質問ではなく、確認のようにお父さんが訊いた。 「うん。付き合い始めたのが大学二年だから」 「じゃあもう付き合って六年なのか」  今度はもう、自分の中での再確認のようにつぶやいた。先程からさほど意味ある事を言っていない。  六年。口にすれば一言で、振り返ればあっという間にも感じられる。けれども六年という月日には、それなりの苦労もあった。わたしの手書きの日記をひもとけば、殴り書きのページも一つや二つではない。たった一言「だめだ」としか書かれていない日も、その一言を絞り出すために二時間鉛筆を握りながら頭を抱えていたことを、今も憶えている。果てしない砂利道を裸足で歩く思いだった。 「これから二人はどうするんだ?」 「結婚しようと思ってる」  わたしはお父さんの目をしっかりと見た。ここで弱気になってはいけない。この言葉だけは、きちんと目を合わせて伝えなきゃいけない。そう自分に言い聞かせてきた。伝えるべきものは、わたしたちの本気だ。  お父さんはすぐに視線を外した。わたしが小さかった頃は、怒るととても恐かった。ちょっとしたことで怒鳴られ、夜の家の外に連れ出されることもあった。友だちのお父さんは優しいのに、どうしてうちのお父さんは恐いんだろうと愚痴を言ったこともあった。それを聞いた友だちは口々に「うちのお父さんだって恐いよ」「うちの方がもっとだよ」とこぼし始めた。高校時代、当時と恋人と二人で叱られたこともあった。後日、彼がその事を思い出して言った。「優しいお父さんだね」と。  そういえば、佳純と付き合い出してからは一度もお父さんの怒鳴り声を浴びていない。それだけ縁遠くしていたんだ、わたしは。  そのお父さんがショックを受けているのが見て取れた。わたしには兄弟がいない。年頃の一人娘に、普通の結婚や孫、実家のあるこの栃木へのUターンなど、期待していたものはいくつもあるんだろう。わたしはこの先の人生をかけて、それらすべてを壊していってしまう。 「日本では同性婚は認められていない」 「うん、知ってる。『今は』ね。でもいつか必ず認められるようになる日が来る。その最初の日に婚姻届を出すことにわたしたち二人は決めている」 「それまではどうするんだ」 「一緒に暮らす」  次の言葉を、わたしは少しだけためらった。 「今までと同じく、大阪で」  両親に対して申し訳ないという気持ちがあった。お父さんの期待に添えないという以上に、お母さんのそばにいてあげられない事が悲しかった。わたしが小さい頃とても綺麗で自慢だった母親は、今やすっかりおばさんになっていた。これからも顔のしわは増えていく。 「色々と一方的な話で申し訳ないです」  佳純が畳に手をついた。 「けど、今している話は二人で話し合ってきた結論なんです。昨日今日決めたことではなく、何年もかけて、時には泣きながら話し合ったことなんです。私は女です。けど、歩弥さんを愛してます。歩弥さんと、これからもずっと一緒に暮らしていきたいと思っています。絶対に幸せにします。どうかお願いします。歩弥さんをお嫁にください」  佳純はそのまま頭を下げて、額を畳につけた。わたしも「お願いします」と二人に頭を下げた。誰も何も言わないまま、お父さんが立ち去る衣擦れと足音が聞こえた。わたしは、畳に涙をこぼしていた。
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