【火曜日】

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 次の日、健太がいつもどおり、ひかりのことを思いながら登校すると、教室は健太と相沢の話題で持ちきりだった。 「あー、変態!」  教室に入ってすぐに相沢に指をさされ、健太は「変態」と罵られた。  昨日も同じことを言われたが、健太にはなんのことだかさっぱりわからなかった。ただ、ひかりとのうふふ、ラブラブな高校生活に関する妄想を邪魔されたことに、健太は一瞬だけカチンときた。 「おはよー、健太」  そんな健太に勇介が声をかけた。 「相沢の胸、さわったんだって」 「えっ」  そのことばに、健太は思わず声をだした。胸を、さわった?いや、俺が最初にさわるのは、ひかりのものだと決まって。って昨日も同じ話をしただろう。 「ほんと、最低」  健太をにらみつけ、相沢はふん、とそっぽを向いた。いや、わけがわからない。  健太はそう思いながら、クラスメイトからの視線をさけつつ、席に座った。  相沢のうしろの席に。  相沢が後ろを向き、健太に食ってかかった。 「おはよう、変態」 「俺は変態じゃない」 「変態じゃないならあんなことしないでしょ」 「あんなことってなんだよ」  健太のそのことばに、相沢が顔を赤らめた。 「あんなことって、最低!」  バシッ、と健太の頬にまたビンタが飛んできた。健太は間一髪、それをギリギリで受け止めることに成功した。 「何回も同じ手が通じると思うなよ」  健太はそういいながら、相沢ににやりと微笑んだ。  完璧に決まった。昨日から練習を重ねたこの技。その練習の成果がうまく決まり、健太は思わずにやにやと笑ってしまっていたのだ。  健太はいつまでも相沢の手を離さない。にやけ顔で自分の完璧な技に酔いしれてしまっているからだ。  相沢の手がわなわなと震えだす。 「ちょっと」  相沢が小さくつぶやいた。 「離してよ!」  そういうと、こんどは逆方向からビンタが飛んできた。突然の出来事に対応することが出来ず、健太はそのビンタをいい音を立てながら食らった。  その1撃がいい感じに決まり、健太はその衝撃で相沢の手を離した。 「ばーか」  相沢がそういういと、チャイムが鳴った。  担任が教室に入ってきた。  クラス委員決めのときの、勇介の情報によれば、彼女の名前は「相沢悠希」。中学校時代から有名な美人で、巨乳。中学時代はテニス部に所属しており、なかなかの成績を上げているらしい。 「へー」  そんな情報に健太はまったく興味もなく、ずっとひかりのことを考えていた。  胸が大きい。ひかりの胸は、小さい。小さいが気にしない。そんなことは気にしない。すべてはひかりだからだ。そう、ひかりイズパーフェクト!!  そんなことを考えている最中に、クラス委員決めがどんどんと進められていった。   「あとあまってるのは」  気がついたら、健太は図書委員に任命されていた。そして健太の横に同じく図書委員として「相沢悠希」の名前があった。  ばかな健太でも思った。あ、これはやばそうだと。  しかし、相沢が突っかかってこない。健太はそのことに少しだけ疑問を覚えたが、静かな分にはよいので、軽くスルーした。  クラス決めの最中、相沢は戸惑っていた。    自分のビンタを受け止められたことについて。そして、その後見せた、健太の笑顔について。  そのときの健太の顔を思い浮かべるだけで、思わず顔が赤くなるのが自分でもわかった。その事実に自分で戸惑っていたのだ。  今でもビンタを受け止めたときの健太の笑顔が目に浮かぶ。浮かんで、赤くなる。おかしい。おかしい!そんなやりとりとひとり悶々と続けていた。  気がついたら、クラス委員決めが終わっていた。  健太と同じ図書委員になったことに、さらに顔を赤らめた。  なにか健太に言ってやろう、そう思ったが、結局なにも言うことができなかった。 「じゃあ明日の6時間目に集まりがあるから、場所は貼り出しておくから、各自確認しておくように」  担任がそういった瞬間にピンポイントでチャイムがなった。 「起立」  今日の当番の健太はそう声を出した。目の前の相沢ががたがたと不自然に大きな音を立てながら立ち上がったことに驚いたが、突っかかってこないならよかったと思った。 その後も相沢は静かだった。 「健太はさ、何部に入るの?」  昼休みの時間、勇介、浩二と席を囲みながら、弁当を食べていると、勇介がそう健太に話しかけた。 「やっぱり、野球部ですか」  浩二のそのことばに、健太は少し驚いた。 「健太くんは中学時代に野球部のエースピッチャーとして、チームを地区大会優勝に導いた実績を持ってますからね」 「へー、健太、そうなんだ」 「ああ」  健太はそのことばにうつむいた。  そして、野球のことに思いをはせた。 「てか、なんでそんなこと知ってんの?」  ふと思い、健太は浩二にそう問いかけた。 「ああ、情報収集が、ぼくの趣味ですからね」  浩二はそういうと、かけている眼鏡をくいっと持ち上げた。 「ぼくはいろいろ知ってますよ」 「ああ、こいつはすげえぜ」 勇介もそれに太鼓判を押す。 「さっき俺が教えた相沢の情報も全部、浩二から聞いたもんだしな」 「へえ」  そう言いながら、健太は弁当のウインナーを口に運んだ。タコさんの形をしていて、可愛い。 「俺はやっぱりサッカー部だなあ」  勇介はそういって、自分のだしまき玉子を口に運んだ。きれいは黄色をしていた。それが目に入り、健太はうまそうだなと思った。  ああ、これを毎日ひかりがつくってくれたら、しあわせ以外の何物でもないのになあ、とかも思った。 「ぼくは新聞部ですかね。スクープとかたくさん出したいですし」 「俺は」 健太がそこまでいって、口ごもった。 「野球部は、確か去年はそこそこの成績だったはずです。だから、健太くんが入れば、悲願の甲子園発出場も夢じゃないかもしれませんね」 「俺は」 「失礼する」  ガラリと開けられた扉の前に、がたいのいい男がふたり立っていた。 「石松健太くんはいますか」  自分の名前が呼ばれたので、健太はそちらを見ると、男のひとりと目があったのがわかった。  男は健太の顔を認識したのか、笑顔になり、するするとこちらに向かって歩いてきた。  いやーな予感がする。 「石松健太だな」  男ふたりは健太の前で止まった。 「そうですが」  健太は小さな声で答えた。 「きみの入学を心待ちにしていたのだよ」  男はそういうと、手を差し出した。握手しろということだろか。  健太はそれを見なかったことにし、男の顔を見上げた。 「おっと、失礼」  男はそういうと、 「おれは野球部3年の新庄直樹だ」と自己紹介をした。 「どうも」  健太はそれにまたも小さく声を返す。  新庄は手をひっこめない。 「きみがいてくれれば百人力だ。ぜひ、我が野球部に入部を」 「健太くん、すごいですね」  浩二はそういって沸き立った。 「野球部からじきじきに入部のお誘いがあるなんて。さすが、エースピッチャー」 「いや、あの」  健太はその申し出にとまどった。 「入部届もあるぞ」  新庄はそういうと、紙を1枚取り出した。 「ここにサインしてくれ。放課後グラウンドで待ってるぞ」 「すいません」  健太は意を決し、そういうと頭を下げた。 「野球部には入りません」  健太のそのことばに、新庄の動きが止まった。信じられないといったようすで口をあけたままフリーズしている。 「俺はボクシング部に入ります」  健太はそういって、新庄の顔を見上げた。 「すみません、せっかくお誘いいただいたのに」  新庄はそのことばに尚も固まったままでいた。それを見た付添いのもうひとりがあわてて新庄を抱え、教室から出て行った。 ふたりが去ったあと、勇介は健太に話しかけた。  「どうしてボクシング部なんだよ。野球部に入れば即エース間違いなしなのに」 「俺は、強くなりたいんだ」  勇介のそのことばに、健太はそう反応した。 「もっともっと強くなりたいんだ」  そういったときに、チャイムが鳴った。勇介と浩二は静かに立ち上がり、席をもとに戻した。健太も立ち上がり、席を戻した。  それから健太はぼんやり、窓の外を見つめていた。  外では体育の授業か、女子がソフトボールをしているのが見えた。あそこにひかりがいないのが、残念でしかたない。健太はひかりとしたキャッチボールを思い出していた。 「健ちゃんは、本当に野球が上手ね」  そういって、ひかりがよろこんでくれたことを。そして、それをひかりの父親に止められたことも。 「男なら、球取りなんぞせずに、もっと強くなれ」  ひかりの父親がそういっていたことを。もっと強くなれ。そのことばが今でも頭に残っていた。もっと強く。もっと強く。  気が付いたら、健太は昼寝に突入していた。夢の中で、ひかりがいつもと変わらぬ優しい微笑みで健太のことを見ていた。 「ボクシングをやってる、健ちゃん、かっこいい」    そのことばに思わずよだれが垂れてきた。  健太はその日の放課後、入部届を持って、ボクシング部の部室に向かった。  しかし、場所がわからなかった。  なかなかに広いこの学校のどこかにボクシング部の部室があるはずだったが、まずもって、ここがどこなのか、健太はいまいち把握することができずにいた。  健太は階段を上っては下り、上っては下りを繰り返していた。  気が付けば、日が沈もうとしていた。 「わからん」  生徒たちは徐々に帰宅を始めているようだった。こんなことなら誰かに聞けばよかった。健太は階段を下りながらそう思った。そして、次に会った人間にボクシング部の部室の場所を聞くことにした。  階段を下っていくが、なかなか人とすれ違わない。  誰もいないのかと不思議に思っていた矢先、そいつはいた。  階段の踊り場で、文字通り、踊っていた。  そいつが視界に入った途端、健太は思わず動きを止めた。  優雅に踊っている女。ターン、爪先立ち、バレエだろうか?初めて間近で見たその踊りに、健太の目は惹きつけられた。黒髪が、彼女と一緒に動き、美しくスカートがゆれる。  そのスカートのゆれに、健太はひかりを思い出した。学校の帰り道、前を歩くひかりが健太の方をふり向くときのスカートのゆれ。そのゆれのあと、こちらを向いたひかりは必ず微笑んでくれる。そうではないときもあったが、健太がそう願っていた。そのスカート。 「きゃっ」 「あぶない」  突然、女がバランスを崩したので、健太は思わず腕を出した。女は倒れる前に、きれいに健太の腕の中におさまった。  女が目をぱちぱちさせている。  健太はこういうとき、どうしたらいいのかわからない。  女がぱちぱちしていた目を一瞬、大きく開くと、にこりと笑顔を作った。そして、 「ありがとう」  そういって、健太の腕の中からスムーズに起き上がった。まるでまだ踊り続けているかのように。 「助かったわ」  女はそういって健太に手を差し出した。  本日2回目の握手だろうか。  女の笑顔に健太は思わず、その手を取った。 「私、松原マリア。あなたは?」 「石松健太」  健太は女の手を握りながら、そう答えた。  マリアは健太の手を握りながら微笑むと、その手をぎゅっと自分のほうに引きつけた。  急なことで対応ができず、健太はマリアに抱きついたような体制になってしまった。 「ありがとう、石松健太くん」  マリアは健太を抱き寄せながら、そういった。健太はこういうとき、どうしたらいいのかわからない。  そして、マリアは健太の頬にそっとキスをした。  それに驚き、健太はあわててマリアから離れた。そして、何か言い返そうと、口をパクパクしたが、パクパクさせただけで、何も言い返すことができなかった。 「あなたみたいな人、好きよ」  マリアはそういうと、手を振りながら、ひとり階段を下りていった。  健太はひとり、踊り場に取り残された。キスされた頬をおさえながら。 そして思い出した。 「部室の場所、聞くの忘れた」  その日ギリギリに健太はボクシング部の部室を見つけ、無事入部届を出すことができた。  活動は来週から。また月曜日に。そう言われ、健太は部室を後にした。  これで、強い男になれるだろうか。  握りしめたこぶしに、ひかりの顔が浮かんだ。
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