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10:旧塩原御用邸新御座所で隠したもの
「好きだよ」
朔は声を絞り出し、いずみに気持ちを伝えてゆく。
建築を学ぶことをどう思っているかという問いであるにも関わらず、真正面からいずみに対して【好き】という気持ちを伝える行為に恥ずかしさと照れくささが交錯する。
朔自身、今まで経験したことがないほど紅潮する感覚があったが、敢えて素知らぬ顔でいずみに向き合い続けていく。
下手に誤魔化した方が、話はややこしくなる。
そう、このトリックが見破られる……。
というか、既に見破られている可能性は十分高いのだが、敢えてトリックに乗じる作戦に変更する。
「そっか、なら何一つ。問題ないよ。旧塩原御用邸新御座所に来たことも、何もかも」
いずみはそう言って、縁側から立ち上がる。
「建築が好きだからこそ、ぶつかる時だってあるよ。好きなものほど、譲れないことだって増えて不思議ないわけだし」
「……」
至極真っ当な発言をしているいずみだが、僅かな動揺が見え隠れしている。
その僅かな変化をキャッチして、朔は心の中で苦笑する。
「(あー、思いっきり牽制きたかー)」
ところで、朔は入学間もない頃からいずみが気になっていた。
どんな講義にも、課題にも、懸命に取り組むいずみは目を惹く存在だった。
実家が設計事務所、加えて何でも人並み以上の成果を発揮する朔にとって、真摯に取り組むいずみの姿勢は、今までの常識すべてを覆すような眩しい存在だった。
そんないずみのペアとして、様々な実験やレポートを通じて、知れば知るほど、惚れていった。だから、いずみが今までペアとしての活動に問題がなかったというのも理にかなっていた。実際、朔も楽しんでいたのだから。
その関係に変化が生じたキッカケが、いずみが指摘している通り、この度の学外課題だ。
校内ならいざ知らず、学外にいずみと出掛けるなど、緊張して心臓が持ちそうにない……。そう思ったら最後、打ち合わせの段階から朔は無愛想な態度になっていた。
しかし、いくら心臓が持ちそうにないとは言え、レポートのための下調べは必要不可欠。そこで苦肉の策で出した場所が旧塩原御用邸新御座所だった。
晩秋の紅葉の時期、朔の照れ顔を庭の紅葉の赤と縁側にある赤カーペットの赤が隠すと踏んで、提案したというわけだ。そして、あわよくば庭の紅葉と縁側の赤カーペットで紅潮を隠して、気持ちをいずみに伝えたいと思ってしまったが故に……当日まで最低の態度になってしまった点は本当に残念と言えるだろう。
「(まぁ、告白に気を取られて、相手の気持ちを害した後の告白とか勝算なさすぎだよな)」
それ以上に朔としては、建築が【好き】という言葉を引き出すことの意図に気付く余裕がなかったことが悔やまれる。例え【建築が好き】という意図の【好き】だとしても、恋愛感情を抱く相手に面と向かって真面目に語る行為はハードルが高い。
木を隠すなら森の中ということで、恋心を旧塩原御用邸新御座所に隠したのだが……。
真っ赤に染まる景色を目にし続ける中、告白という可能性をいずみが察し、回避する情報を探った結果だとしたら、まさに策士策に溺れるとしか言いようがないだろう。
「(それにしても、明治のロマンが詰まっているなあ)」
そんなことを思いつつ、朔も縁側から立ち上がる。
数寄屋造とか、明治建築史とか。
未だにときめく先人たちの知恵のカケラが旧塩原御用邸新御座所には散らばっている。
「(木の葉を隠すなら森の中という言葉ばかり頭に過ぎっていたけど、温故知新の方が遥かに合うことわざだよな)」
【恋心を隠すなら、旧塩原御用邸新御座所で / Fin.】
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