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土の声が聞こえる。
呻く声が。
どこから出ているかはわからない。
けれどそれは聞こえてくる。
地に接する足を通して。
大きな声が。
けれどもこれは声なき声なのだろう。
これは聞こえないはずの声なのだろう。
事実、私にだって聞こえているかどうかわからない。
私は聞こえたような気がすると思っているだけに過ぎない。
土の声を生み出しているのは私なのかもしれない。
私の心が勝手に喋っているだけなのかもしれない。
ここでも、私だ。
私という主体を通して世界を見ているからだ。
この考えを大きくしていくと、私が見ていることによって世界は存在するとでも思ってしまい、全能感に支配されそうだが……そうならないのは私が迷っているからである。
全能であれば迷いはないはず。
答えをすぐ出せるはず。
私は天を見上げた。
天が私を見ている。
私達の所業を、見ている。
自らの居住地を拡大せんとする人の業。
より良き暮らしを求める心——それを欲望と呼ぶのであれば、一体何が欲望であり、何が欲望でないというのか。
問いかけたい衝動を抑える。
問いかけても意味などないから。
天は黙って、じっとこちらを見ている。
涙を流してはいない。
私の首筋を、冷たい汗が流れた。
天よ。
何を想う?
天に問うてみた。
天は答えなかった。
私の中に、答えがないということなのか。
しかしきっと、誰の中にも答えなどない。
ここでは、ただそうするべきとして、そうしているだけである。
原初、雨には神の意志があり、世のすべてを洗い流さんと降り続いたことがあると聞く。
原初、雨には神の意志があり、神に雨を乞う為に、人を贄として捧げていたという。
それももはや昔の話である。
現代では、雨はただの雨である。
そこに意志はない。
神が何もかもを行ってくれぬから、人が為している。
人として生きる為に。
為すべきことを為している。
そら。
見てみろ。
そこで父が、為すべきことを為している。
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