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狗神 1
狗神1
大きな樫の木の下にくくられて、もうどれくらい経つのか。
何度季節が巡ったのかも判らない、もう身体は食べ物を摂らずとも衰えなかったので俺はもう普通の犬ではないのだろうが、別段困ることもなかったので、ただ、ずっと長いことここに居る。
なにかやりたいことがある訳でも、やらねばならないことがある訳でもない。
ただ、食い込む程きつくなった首輪と、そこから長々と伸びていて何をやっても切れることのない太い鎖が邪魔だと言えば言えた。
この樫の木の傍にはけもの道があり、その先は遥か山頂まで伸びた階段が果てのみえない程続いていて、時折人間達がそこを通る。
この階段の先に何があるのか俺は知らない。あるいは教えてもらったのかもしれなかったが、それはあまりに昔の事過ぎて覚えていなかった。
人間達がそこを通る時、俺はそっと木の後ろに隠れてやり過ごすのだが、その中のいくらかは、何故かわざわざ俺を攻撃してから樫の木の脇を通りたがった。
殺意を持って向かって来られればもちろん俺としても戦わなくてはならず、やむなく俺はそんな訳の判らない人間達を撃退し、また時には殺した。
あの先には一体何があるのだろうと、それだけが俺のちょっと興味のある事柄だったが、鎖に繋がれていて階段を登る事は叶わない。
だからその興味も至って微々たるもので、この現状を変えてまで別の世界とやらを見たい訳ではなかった。
これからも春と夏と秋と、冬をここで過ごすだろうと思った。
そんな自分に疑問もなかったし、それで良いとも思った。永い命が尽きるまで、この樫の木が自分の居所だ。春の気配を肌で感じながら俺は伸びをした。
しかしある時、本当に何の気なしに――何十年も何百年も渾身の力で外そうと試みていたのにびくともしなかった、俺を縛り付けていた太い鎖が、ぶつりと切れた。
じゃらり、と重い音をたてて鎖が首輪から落ちる。
あまりの呆気なさに俺は何が起こったのか判らず、呆然とその鎖を眺めた。
反対の、樫の木の脇のけもの道も眺める。
もしかして、自由になったのか俺?
もうずっとここに居なくても、どこに歩いて行ってもいいんだ。
俺はきょとんとするばかりだった。そろそろと、腰をあげる。
一つ胴震いをして、感情を表わす。
俺は今、嬉しいのか。
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