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第一章 早川悟 Ⅰ.2時45分 到着
神奈川県警SAT隊員、早川悟は人員輸送車を降りるときに防弾ヘルメットを車体内部にぶつけた。
「ゴンッ」という鈍い音がして首に衝撃があったが痛みは感じない。
身長196センチの悟にとって輸送車の乗降口は小さく、前かがみになって降りなければ頭がつかえてしまう。そこを普通に立ち上がったものだから、頭をぶつけるのは当然の結果であった。
テロ行為などに立ち向かうための特殊部隊、SATに入隊して一年になるが、現場に出動するのは初めてだ。
あらゆるケースを想定して厳しい訓練をこなしているとはいえ、いざとなると緊張が過ぎて、お粗末な失態を演じてしまった。
(落ち着け)
テロ現場ではあらゆることが起こりうる。ときに死と隣り合わせである隊員は常に冷静に行動しなければならない。
悟は短く息を吐いて瞬時に気持ちを切り替えた。精神のコントロールについては十分に学んでいる。失敗を引きずることはしない。
午前2時45分、悟は仲間たちとともに夜明け前の湿っぽいアスファルトに降り立った。
野毛山動物園へと向かう上り坂には何台もの機動隊車両が停車し、機動隊員たちが金属の盾を持って並んでいる。
投光車や放水車、科学防護車も見られる。園内をくまなく探るためのヘリも上空を旋回している。
単なる猛獣の脱走事件であれば彼らでも十分に対処できるだろう。だがSATへの出動要請があったということから、事態はより複雑であるということがわかる。
動物園の正門に近いという立地上の条件から、作戦本部は野毛山公園交番に置かれている。
SATは4つの班で構成され、指揮班、技術支援班、スナイパー班の3班はすでに本部で待機しているはずだ。
突入の際に最前線で活躍するのが悟の属する制圧班で、今回最も遅い現場入りになった。それでも出動要請からわずか30分程度であり、おおむね訓練通りの動きができている。
悟を含む精鋭6名は紺色の突入服に身を包み一列縦隊で坂を上る。しんがりを務める悟の前をゆく高木が鍛え上げられた逞しい肩越しにこちらを向いて言った。
「みんな見てるぞ」
「そうか?」
悟は道の左端に寄っている機動隊員たちを見た。確かにこちらに注目しているようだ。
去年までは悟も彼らと同じ機動隊員であった。しかし運よくSATに推薦され、試験入隊訓練をパスすることができた。
いまや自分という存在は彼らの羨望の対象である。エリート集団であるSATに身を置いているという事実を噛み締めながら悟は歩を進める。
そして一年前の自分のことをふと思い出した。
動物園と展望地区をつないでいるペパーミントグリーンの陸橋、通称「野毛のつり橋」が見えてきたからだ。
(綾音と別れた橋・・・・・・)
悟は昨年、失恋の傷を負った。
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