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「ごめんね。でも決めたことなの」
綾音は別れ際に謝った。
悟を見上げる大きな瞳。ショートボブの髪を右手でかき上げ、水色のスカートの裾を広げながら、くるりと背中を向け、動物園の方に歩いてゆく綾音。
悟は去ってゆくその後ろ姿を見送る。つり橋の上で9月の夜風に吹かれながら、世界が足元から崩れ落ちるような絶望感に一歩も動くことができなかった。
悟の気持ちとは裏腹に、視界の右手にランドマークタワーが不動の存在感を纏い、聳え立っていた。
付き合い始めて3年目。自分は綾音と結婚するのだろうと自然に考えていた。別れを切り出されるなんて思いもよらなかった。
それでも彼女の意思を尊重した。確固たる態度を示された以上、悟に他の選択肢は残っていないような気がしたのだ。
それからの悟は心の行き場をSATに求めた。試験入隊訓練は過酷なものだったが、極限まで体力的、精神的に自らを痛めつけて、常に上位の成績をキープした。
そうすることで綾音への思いを断ち切ろうと努力する日々が続く。
12月の細雪が舞う中、まる2日間不眠不休で100キロメートルの行軍を行う訓練を終えたとき、なにかが吹っ切れた気がした。
綾音が結婚するという話はその頃に聞いた。
相手の男は坂上真二といって、綾音の高校時代の同級生らしい。今は神奈川県警戸部署の巡査長であるという話だ。
それを知った悟の心中は、夜のうちに雪の積もった早朝のように静けさを保っていた。
もう過去に縛られることはない。悟は確かに立ち直っていた。しかし。
(綾音は今、幸せだろうか?)
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