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1 あなたの町の、うどん屋さん
「こん」
咳をして、雨戸を開ける。次に、引き戸を開けようと思ったときだ。ちいさな声がした。
「うどん屋さん」
振り向いても、誰もいない。空耳だったのかな。
店内に入ろうと体の向きを変えようとした。
すると、さっきと同じ声がする。
「足元だよ、あ、し、も、と」
言われるがままに足元を見る。
霜が溶けて濡れた地面に、帽子をかぶった仔リスがいた。どんぐりを一個、脇に抱えて持っている。
「早く店を開けてくれよ」
仔リスは、もどかしそうに地団駄を踏んだ。
「寒いんだ。早くして」
「あ、はい」
この店は夕暮れからの開店なんですよ、言い返す前に。仔リスは素早く店内に駆け込んでしまった。
「寒い、寒いよ。寒すぎて頭が痛くなってくる」
仔リスが、ちょこちょこっと走りながらカウンターの上に登った。
ぼくはどきどきしながら、エアコンのスイッチを入れた。
仔リスは「寒いよー」と言いながら、足踏みをし続ける。
少しして、エアコンからの風に気がついたらしい。きゅっとちいさな首を上げて、風向きを確かめた。
それから、ぼくを大きな目で見つめてきた。
「なんだあ、きつねさん。こんないいモノを使って暖を取ってたんだな」
「た、たまにですよ。いつもじゃない」
「いいな神職系は。時々はヒトの姿になって、ぬくぬくできるんだもの」
「色々、事情があるんです。この姿、それなりに大変ですよ?」
「ふーん」
仔リスが鼻息をついた。カウンターに乗せてあるメニューの紙が、ぺらぺらと揺れる。彼はぶつくさ言いながら幅の広い板の上を歩いた。やがて暖風が直接当たる箇所に、ぺったりと座った。片手で帽子を外しながら、ぼくに言う。
「暖かいね」
そりゃあ暖房が直撃するところにいたら、暖かいだろう。でも、なんだか怖くて黙ってしまう。だって、この客は口が立ちそうなんだもの。ぼくのようなボウっとしている存在は、とてもじゃないけど敵わない。
仔リスは、ぼくの顔色を察したのかもしれない。
口調をちょっぴりだけ、柔らかくしてきた。
「この店の、おすすめは」
「あっ、はい。なんでも作りますよ」
仔リスは、こちらをあきれたように見つめた。
「噛み合ってないね、ぼくたち」
「すっ、すみません」
ふたたび仔リスが目を剥き、鼻息をつく。ぼくは、あわててお湯を沸かした。急須に茶葉を入れながら、彼に尋ねる。
「どんなものが食べたいですか」
仔リスは「きひっ」と肩を揺らして笑った。前歯が白くて、大きい。
「ここは、うどん屋でしょう。うどんが食べたくて待っていたのに、その聞き方は無いな」
「すみません」
仔リスはさらに、胸をそらす。
「他に、なにかあるの」
「えーと。ごはん物とか、カレーも」
「米は胃にもたれるなあ」
「はあ」
我ながら間の抜けた返事だ。「ふむ」そう言った仔リスが脇に抱えていた、どんぐりを両手で差し出してくる。
「油揚げがある、うどんが食べたい。九条ねぎをたっぷり乗せてほしい。その上に、七味唐辛子をこれでもか! と言うくらい、かけて食べたいんだ」
「このどんぐりは、入れないんですか。刻むとか、焼くとかして」
尋ねると、仔リスは大きな目をぱちぱちさせた。なぜか涙ぐんでいるようにも見える。ぎょっとしたぼくに、泣きそうな言葉が返ってきた。
「これ、支払いに使えないの」
「うーん」
唸ってしまったぼくに、かぶっていた帽子も両手で差し出してくる。
「これ、ぼくの大事な帽子なんだ。去年の冬、ママと一緒に帽子屋に行って買ったの。毛糸なんだよ。綿が百パーセント、アクリルじゃないんだ」
「なるほど」
どこかで聞いたような話だ。
「きつねさん、これじゃダメなの」
仔リスは今にも泣きそうな顔をしている。ぼくの額に、ひとすじの汗が流れた。
「わかりました。あなたには特別にタダで……無料で、きつねうどんを出しますね。でも、誰にも言わないでくださいね」
ぼくは言った。
仔リスは「ありがとう」と言い、頭と尻尾を同時に下げた。
きつねうどんを食べ終わった仔リスが、ぽんぽんとお腹を叩く。
「まんぷくーーー」
彼の仕草が可愛くて、笑ってしまった。仔リスがキッとなって、こちらを睨む。
「なんで笑うんだよぅ」
「いや別に」
「けだものフレンズなんだから仲良くしようよ」
「それ、違うと思います」
笑いを嚙み殺しながら応えると、仔リスは鼻息をついてカウンターから飛び降りた。
「仲間に宣伝しておくよ。どんぐりじゃ、うどんは食べさせてもらえないって」
「麺を打つときに、タネを踏みつけてくれるだけでいいですよ」
ぼくは言った。引き戸を開けた仔リスは、帽子をくいくいと直す。
「ごちそうさま」
彼は振り向きざま言い、白い前歯を見せて笑ってくれた。
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