永遠 ―とわ― ①

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永遠 ―とわ― ①

 僕は学校帰り、そのアーケード通りを歩きながら、早くそこへ行きたくて自然と早足になっていた。季節は秋を迎えてどこか肌寒かったが、体はぽかぽかと暖かかった。それは、どこか興奮した気持ちから来ているのかもしれなかった。  叔父さんの店、どんなところなんだろう。たぶん、かなり洒落たところだろうな。あの性格だし、いつまでも気分は若者だから、インテリアとか凝ってそうだし。  そんなことを思いながら、僕は自然とにっこりと微笑み、その路地裏に入った。手に持っていた地図を確認しながら、注意深く入り組んだ道を進んでいく。そうしてようやくその看板が見つかった。  ――喫茶店『永遠 TOWA』  僕はそのドアの上に取り付けられた小さな看板を見て、思わず噴き出してしまった。叔父さんらしいネーミングだな、これは。  ドアの取っ手を握って、おそるおそる開いた。するとその瞬間、ふわりと暖かな風が僕の前髪を浮き上がらせた。その心地よいコーヒーの香りに、僕は思わず立ち尽くしてしまう。  店内はなかなか広く、入り口から向かって右にカウンター席があり、そして反対側にたくさんのテーブル席が設けられていた。  そこで老若男女、実に様々な年齢の人々が談笑しており、店内にはどこか活気があった。一つ一つのテーブル席にも、広いスペースが確保されていて、寛ぎ易い空間が出来上がっていた。  インテリアも、どこか淡いオレンジ色のランタンが薄暗い店内を照らし出し、壁にはあちこちに額縁に入った絵が飾られていた。  店内にはクラシックが流れていた。子供達や動物が音楽に合わせて踊る光景が浮かんでくるような、体中の緊張を解く軽やかな旋律だった。なだらかな丘を描くように上下するメロディ、時に跳ねるように途切れるその音色。  たぶん、その曲はペールギュントの『朝』なんじゃないかと思う。僕もグリーグのコレクションを持っていて、それで聴いたことがあったのだ。  なかなかいい店じゃないか。僕は思わず心がうきうきと浮き立つのを感じながら、そっと店内に足を踏み入れた。すると、そこで「いらっしゃいませ!」と威勢の良い声が聞こえて、そしてカウンターの奥から一人の背の高い男性が現れた。  その人はワイシャツの上からでも、盛り上がるようについた筋肉に覆われており、肌がこんがりと焼けていた。そして、その顔はとても精悍で、鼻の下に髭をたくわえていた。  その瞳は活き活きとしていて、見ているこっちが笑ってしまえるような、明るい笑顔を浮かべていた。彼が僕の叔父さんだった。 「叔父さん。来たよ」  僕がそう言ってうなずいてみせると、叔父さんが歯を見せて笑い、そしてカウンターを回って近づいてきた。そうして思い切り背中を叩いてきた。 「よく来たな、達也! どうだ、俺の店は?」  叔父さんはそう言って僕の肩に手を置き、子供のようにきらきらした瞳で見下ろしてくる。僕はにっこりと微笑み、親指を立ててみせた。 「最高だよ。かなり感じのいい店じゃないか。さすが、叔父さんだ」 「はっはっは! いつかお前に見せることを考えて、恥ずかしくないような店に仕上げたんだよ。さ、座れ。カウンター席でいいな?」  僕は叔父さんに促され、その座高のある椅子に腰を下ろした。カウンターテーブルはぴかぴかと光り輝いていて、その向こうには、叔父さんが厨房で作業しているのが見えた。  ここからだと、コーヒーの香りを遠くからでも味わうことができた。これは、かなりすごいかもしれない。叔父さんは想像以上に、すごい人だったんだと思い知らされる。  そうして叔父さんが目を細めながら、「飲んでみろ」とブレンドコーヒーを差し出してきた。  僕はうなずき、そっとカップをつかんで口に近づけた。  そして口に含んだ瞬間、ぱっと何か背筋を大きな電流が走ったのがわかった。僕は思わずカップの中を覗いて口を押さえた。 「すごくまろやかじゃないか。程よい苦味で、酸味が少ないし、ケーキとかに合いそう。なかなかいい味出してるね」 「さすが達也だな。コーヒーの味がよくわかってる」  僕は無言で少しずつコーヒーを飲み、そっとソーサの上に置いた。うなずき、僕は叔父さんをじっと見つめて言った。 「叔父さんも夢を追って、ここまで来たんだね。一人でこの店を切り盛りして、成し遂げたことは本当にすごいことだと思うよ。尊敬する」  すると、叔父さんは鼻の下に指を乗せて、へっと恥ずかしそうに視線を逸らせた。そして、本当に嬉しそうな顔をして、その余韻に浸っているようだった。  僕はそんな叔父さんを見て、もう一度、自分の想いを確かめた。僕も、叔父さんみたいに夢を叶えるんだ。どんなに駄目でも惨めでも、きっと追い続ければ、その糸口は見つかるはずだから。  そうして叔父さんはゆっくりしていけよ、と僕の肩を叩いて、そして仕事に戻っていった。僕はそんな叔父さんの背中を見つめながら、思わず口元を緩めてしまう。  やっぱりここに来て良かったな。今日は塾の予定を入れておかなくて正解だった。  そしてそっと小さなメモ帳とシャーペンを取り出して、僕は今浮かんできたそのイメージを言葉に乗せて記していった。今なら、どこかいい作品が書けそうな気がした。  一度、僕のこの喫茶店に対する感慨はそこで途切れ、小説の執筆へとスイッチは切り替わる。だが、彼女がそんな僕のぼんやりした意識に、突然矛を投げ入れたのだ。  誰がそんなものを投げ入れたのかと、最初僕は呆然としたのだ。彼女はドアベルを大きく鳴らせて喫茶店に入ってくると、店内を軽く見渡した。  僕は何気なく執筆を中断して、その一人の来訪者を見守っていたが、そこで彼女がこちらへと振り向いた。  一瞬目が合って、そして僕は何か尖ったものを心に投げ入れられたのかと思うくらい、不思議な感覚を抱いた。彼女の瞳の中に、どこか強い決意のようなものが漲っていたからだ。  彼女は僕へと視線を逸らせずじっと見つめてきて、そしてどういう訳かこちらへとまっすぐ歩み寄ってきた。僕はどうしたらいいのかわからず、じっと彼女の視線を受け止めていた。  なんなんだろう。突然平手打ちでもされるんじゃないだろうか。  そんなことを思っていると、本当に彼女は僕の目の前まで近づいてきて、そしてじっと僕の表情を窺うように見つめてきた。そうしてぽつりと言った。 「隣の席、座ってもいい?」  僕は首を傾げてしまった。何の用? ひょっとして、彼女は僕の知り合いで、こちらが忘れているだけなんだろうか。  彼女は僕の返答を待たずに僕の隣に腰を下ろし、そこで初めて笑顔を見せた。彼女はテーブルに両腕をつき、こちらへと身を乗り出してきて言った。 「突然ごめんね。この店に高校生が来ることなんて少ないから興味があって。君、どこの高校?」  彼女のそのお月様のようにまんまるの瞳を見返して、僕はおずおずと「野阪度高校だよ」とつぶやいた。彼女は自分の頬に人差し指を突き、「野阪度高校?」と首を傾げた。 「結構ここから遠くにある高校なんだけど。君、この喫茶店の常連なの?」  僕がそう言って彼女の薄く化粧が施された綺麗な細面の顔を見つめると、彼女はそこで顔中を赤くしてそっぽを向いた。  あれ? 何か僕、変なこと言ったかな? 「ま、まあね。常連って言われれば、常連だけど。それより、少し話さない? 同じ年代の子がいるの、嬉しくてさ」  そう言って彼女は僕をじっと見つめて、無邪気な笑顔を見せた。僕はその笑顔がとても子供っぽく、けれど思わず目を吸い寄せられるような可愛いものだったので、少しドキッとした。  なんか、かなり明るい感じの子だな。うちの妹に少し似ているかもしれない。  僕が「いいよ」とうなずいてみせると、彼女はパン、と掌を叩き合わせて、「やった!」と唇を微笑ませる。栗色のショートヘアーが肩の上でふわりと浮き上がった。 「ありがとう、いい人だね、君」  制服から見て、彼女はどこかの公立高校に通っているようだった。確か、西南阪度辺りの制服だった気がする。  そうして彼女は自分が公立高校二年の「有坂あさひ」と言う名前だと言った。確かにあさひのようにきらきらした笑顔を見せることがあって、少し納得した。 「それより達也君、さっきからそのメモ帳気になってるんだけど……何書いていたの?」  高校の話題で盛り上がった後、彼女が突然僕の手元のメモ帳を指して首を傾げた。僕は苦笑して、どうしたものかと逡巡してしまった。  あまり人には見せたくないものなんだけどな。まあいいか。 「実は小説を書いていて」 「へえー、達也君は文学少年な訳だね」  あさひさんはどこか興味津々といった様子で僕のメモ帳を手に取り、それを読み出した。  そして、はっと彼女は目を見開いたかと思うと、メモ帳を顔に近づけて、無言で視線を走らせていく。自分の鼻先を紙に押し付けてページを捲るんじゃないかと思うくらいに、夢中になって読んでいるようだった。  僕は彼女のそんな反応に、少し緊張した面持ちでその横顔を見守った。大丈夫かな……走り書きした文章だけど、意味が通ってなかったりしないかな。  そうしてじっと彼女の言葉を待っていると、やがて彼女がそっとメモを閉じて、すっと目を細めた。僕は身を乗り出してじっとその言葉を待った。 「すごく綺麗な情景が浮かんできたよ」  彼女は目を開き、満面の笑顔でうなずいてみせた。僕は思わず彼女のその優しげな表情へと目を吸い寄せられ、そして「本当に?」とつぶやいた。 「この小説、とても心が篭ったいい作品だと思う。丹念に言葉を選んで、真心を篭めて書き綴ったのがよくわかるから」  それは、僕が生まれて初めて聞いた、最高の褒め言葉だった。僕は何度もうなずき、「ありがとう」とはにかんだように笑った。 「こんな作品が書けるなんて、若者も捨てたものじゃないぞ。物は相談なんだけどさ」  あさひさんはぽりぽりと頬を掻きながら、どこか恥ずかしそうに笑って言った。 「私にも、小説の書き方を教えて欲しいな」  僕は口を半開きにして、固まってしまった。え? なんでそんなこと……と頭の上に疑問符が浮かんでくる。 「あのさ、これからもここに来て、たまに話さない? そのついででいいんだけど、小説の書き方を教えて欲しいな」  僕は思わず彼女の手を握って、何度もうなずいてしまう。それって、小説仲間にならないってことだよね? それは願ってもないことかもしれない。  そうして僕らはすっかり打ち解けて、色々なことを話すようになった。お互いの身の上話や、趣味や好きな音楽、最近見た映画など、本当に話は尽きなかった。  彼女はじっとカウンターの奥で、せっせと準備をしている叔父さんの背中を眺めながら、本当に楽しそうな顔で自分のことを語った。  そうした時間は本当にどんな娯楽よりも僕の心を揺さぶり、どんなヒーリング音楽よりもリラックスした心地でゆったりとした一時を過ごすことができた。  その日は、僕にとって本当に気持ちの良い一日だった。  数日後、再びTOWAを訪れると、彼女が既にカウンター席に座って待っていた。彼女はどこか頬を火照ったように朱に染めて、熱心にメモ帳に文章を綴っていた。時々カウンターの先へと視線を向けて考え込む仕草をし、すぐに俯いて文章を綴り続ける。  彼女が本当に小説を書いていることに気付き、僕は嬉しくなって彼女へと早足で近づき、「あさひさん」と声をかけた。すると、彼女がぼんやりとした顔を瞬時にはっとした表情へと変えて、こちらに振り向いた。 「あ、あの……その、」 「こんにちは。小説書いていたんだね」  僕がそう言って微笑むと、あさひさんは苦笑してぽりぽりと頬を掻き、小さくうなずいてみせた。本当に書いてくるとは思わなかったので、かなり嬉しかった。 「なんか書き始めたら、はまっちゃって」 「だよね。書いていることがそのまま染み付いていくような感じで、僕も当たり前のようになってるよ」  そう言って僕は彼女の隣に腰を下ろし、叔父さんを呼んでマンデリンとかぼちゃのタルトを頼んだ。すると、叔父さんは何やら僕とあさひさんを見てにやにやした顔をし、「どうぞ、ごゆっくり」などとつぶやき、その場を去っていった。  そういうことを言われると、僕も緊張してしまうのだけれど、叔父さんは僕の性格をわかっているので、わざと言ってくるんだろう。  そうして視線を彷徨わせながらお冷を飲んでいると、あさひさんがこちらへと振り向き、「ねえ、書いてみたの、読んでみてよ」と言った。僕はうなずき、彼女が差し出したノートをそっと受け取って開いた。  その瞬間、目を見開いた。 「ちょっとあさひさん……これ、最後まで書いたの?」 「うん。なんか言いたいこと全部書こうとしたら、いつの間にかノート一冊書いてしまって」  初心者にしては、すごい集中力だな、これは。僕だって数日でノート一冊書くのはできるかどうかわからないのに。 「じゃあ、ちょっと読ませてもらうね」 「うん。なんか恥ずかしいな、人に自分の書いたもの読まれるのって。ちぐはぐでも、笑わないでね」  そう言ってあさひさんは手元のグラスに入ったアイスコーヒーを少しずつ飲み出した。僕はノートに書かれた文字を読み出して、そしてすぐにかじりついてその物語に浸ってしまった。  これが、本当に初心者なの? ストーリーが半端ないな、これ。  文章は初稿だけあって、かなり勢いで書いてあるけど、それでも文体がどこか迫力を感じさせてかなり味を出してるかもしれない。それに、ただの恋愛小説じゃなくて、ちゃんと背景がしっかりしてるな。  下調べもしないで、ここまで具体的な内容を語るのって、日頃からかなり勉強して色々知ってるってことかもしれない。  僕はそうして四十分ぐらいずっと読み続けていたけれど、やがてそっとノートを閉じ、あさひさんを見遣った。あさひさんは緊張した面持ちでこちらへと振り向いた。 「すごく面白いよ、これ」  僕は何度もうなずきながら、大きな声を上げてしまうのを抑えられなかった。 「とにかく一人一人の登場人物の個性がはっきりとしていて、すぐに物語に引き込まれるから。それに、背景描写もしっかりしていて、すぐに情景が目に浮かんでくるよ。何よりもストーリーの先が読めないよ」  僕はそう言って握り拳を作り、何度もうなずいてみせた。すると、あさひさんははにかんだように笑い、「そう。それはよかった」とつぶやいた。 「これなら、推敲すればかなりの作品に仕上がるんじゃないかな」 「推敲って、どうすればいいんだろう」  そうして僕が具体的なやり方を説明していると、そこでカウンターの奥から叔父さんが近づいてきて、僕達の前に立った。そして、じっと僕が握っているノートを見つめ、懐かしそうな顔で笑っている。 「小説か。お前らも書いているんだな」  叔父さんが突然そんなことを言い出したので、僕とあさひさんは顔を上げて、その彫りの深い顔をじっと見つめてしまう。 「俺も、昔小説を書いていたことがあったよ。当時はとにかく誰かに読んでもらいたくて、同人誌とかに載せて飛び回ったものさ。全然売れなかったけど、それでも楽しかった」  叔父さんはそう言って腕を組み、どこか遠くへと視線を向け、その頃のことを思い出しているようだった。僕は叔父さんへと体を向けて、言葉を絞り出す。 「叔父さんも書いていたんだね。どんなジャンル書いていたの?」 「お、俺か? 俺はだな……」  ふとあさひさんを見遣ると、彼女はじっと叔父さんを見つめ、どこか慈しむような優しい笑顔を浮かべていた。そんな表情を初めて見て、僕は少しドキッとしてしまう。  あさひさんってたまに大人っぽい顔するんだな……。  そうして鼓動が高鳴るのを感じながら叔父さんに視線を戻すと、彼は言いにくそうに「俺が書いていたのは、恋愛小説だ」と語った。 「恋愛小説? 叔父さんも書いているんだね」 「まあ、当時好きな女の子がいて、自分の想いを作品にぶつけて書いたものさ。その子に読んでもらったら、『なんからしくない』なんて言われてがっかりしたのを覚えてる」  叔父さんはあさひさんへと目を向け、ノートをとんとんと叩いた。 「あさひちゃんも、達也と小説書いているのか。今度是非、あさひちゃんの作品も読んでみたいものだな」  そう言って叔父さんはその大きな口を開けて、はっはっはと笑い始めた。あさひさんは目を見開いて彼を見つめ、そして何故か視線を彷徨わせた。  そして、「まあ、頑張ります」とはにかんだように笑った。僕は彼女のその表情が気になったが、すぐにうなずき、彼女の肩を叩いた。 「一緒に頑張ろうね」 「うん。ありがとう、色々と」  そうして僕らはこの喫茶店で、小説のことを語り合う同志として、数日に一度、会う約束をしたのだった。  僕らはたまに会っては小説の話題で盛り上がり、そして徐々にお互いのことを知って、距離を縮めていった。僕も毎日が楽しくなって、早く彼女と会う日が来ないかと、どうしても待ち遠しくなってしまうのだった。 「お前、最近なんだか楽しそうな顔をしているな」  佐々木信吾がじっと僕の顔を覗き込むようにして見つめてきて、口元を緩めた。信吾は僕の一番の親友とも言うべき気の置けない仲で、毎日昼休みになると一緒に図書室に来て、小声でおしゃべりをするという習慣があった。 「なんか、たまに何かを思い出してにやにやしてるかと思いきや、腕を組んで真剣に考え始めるし。一体何なんだ? 女の子の口説き方でも、もしかして考えているのか?」  僕はそんなことを言われたので、顔を真っ赤にして手を振った。なんで、そんな話になるんだよ。 「なんかその調子だと、図星みたいだな。そうか、女の子か。お前にねえ」  信吾は眼鏡に指を添えて上げる仕草をして、その端正な顔に意地の悪い笑みを浮かべて、くすくすと肩を揺らせている。背が高く、すらりと細い体つきをしていて、髪が長めであることを含めると、女子にしょっちゅうキャアキャア言われる外見をしていた。けれど、実際はかなりのひょうきんなキャラで、よく僕をいじっては楽しんでいる。 「あのな、ただ小説仲間ができて、毎日が楽しくなっただけだからな」 「小説か……小説の書き方を教えるって言って、それで口説いたのか。すごく新しい落とし方だな、それって」  信吾は目を丸くして顎に指を添え、うんうんとうなずいている。僕はいい加減腹が立ってきて、「だ、か、ら!」と声を押し殺して叫んだ。 「彼女とはそんなんじゃないって。仲の良い友達ってだけで」 「でも、彼女と会うのが楽しくて楽しくて仕方がないんだろ? それってたぶん、恋だろうよ」  僕は首が千切れるんじゃないかと思うくらいに、ぶんぶんと振った。 「それはない。ただ気になってるってだけで」 「なるほど。本当に惚れる前段階ってところか」  信吾は妙に納得したような顔をして、そして椅子に深く身をもたせかけ、ふう、と息を吐いた。図書室には僕らの他にはほとんど人がおらず、ひっそりと静まり返っていたが、窓の外から聞こえるブラスバンドの演奏でほとんど僕らの会話は掻き消されていた。  僕は本棚が立ち並ぶ広いその一室を見渡しながら、声をひそめて言った。 「それにね、なんか彼女が脈なしってわかるんだよ」 「悲しいな、達也。だけど、まだあきらめるな。たくさんチャンスはあるぞ」  信吾はそう言って腕を組み、僕の顔を見透かしたようにじっと見つめた。 「お前は想像以上に、できる奴だ。女の子の引っ掛け方も、潜在能力を引き出せば、簡単にできるはずに違いない」 「僕はドラゴン○ールに出てくるキャラでも何でもないんだよ。潜在能力があったら、とっくに使ってるから。ただ、今は楽しいから、それでいいかなって。そう思っているんだ」  僕がそう言って窓の外の、めたせこいやの木をじっと見つめていると、信吾はふっと微笑み、どこか優しい眼差しで僕を見つめた。 「お前のいいところは、たぶん誰にでもすぐに心を開いて打ち解けるところだと思うぞ。その子も、お前を見て、直感でそう思ったから近づいたんだ」 「そんなものかな」  僕は腕を組んで、その上に顎を乗せて遠くを見つめた。信吾は同じように視線を横へと向けながら、ぽつりと思案げな顔で言った。 「お前が出会ったのは、前に言っていた叔父さんが経営する喫茶店か?」 「うん、そうだよ」 「そこの常連だった訳だな?」  僕は目をぱちくりさせて、首を傾げた。なんでわかるんだよ。 「まあ、いい。俺も少し変な想像をしてしまったみたいだ。お前の恋愛は応援しているが、いつかその女の子と会ってみたいな」 「お前に会ったら、余計に危ないってば!」 「だったら、彼女の愛人志望にしとくよ。伴侶の権利はお前に譲る」 「そういう問題じゃないよ!」  そうして僕らはどうでもいいことを語りながら、その日も昼休みをゆったりと満喫するのだった。
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