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別に法律に違反しているわけでも、誰に迷惑をかけているわけでもない。
ただ、男同士で愛し合っているだけだ。
それでもこの関係は秘匿するべきものなのだと、君はいう。
社会的に認められない関係は、弱みにもつながる醜聞になると。
僕の足元が掬われて、失墜するのを見たくないと、君は悲しい顔をする。
だから僕は、君の望みを叶えない訳にはいかなくなるのだ。
本当なら声を大にして、君は僕のものだ! と宣伝して歩きたいくらいなのに。
『20:00 第2会議室 R』
よくある黄色い付箋紙に、それだけを記して資料に張り付ける。
さっき秘書室を通った時に、君のデスクに置いてきた。
他の誰かに気づかれにくいようにと、学生時代から君とのやり取りは半分アナログだ。
戻ってくる返事は携帯メールで。
しかも、是非だけの回答。
付箋紙を使うこの方法が定着したのは、社会人になってから。
それすらも君は嫌がるのだけれど、こちらからメモを送れば返事だけは必ずある。
けれど、それでいい。
君からの返事があれば、それでいい。
呼び出した部屋にそっと入れば、君はもうきていて、困ったように眉を下げる。
「これ、困るんですけど」
「なにが?」
「こんな呼び出し、困ります」
「僕は困らないよ」
「……せめて、残らない方法で呼び出してくださいよ」
「アナログもいいものだよ?」
「常務……」
職場では決して名前を呼んではくれない君。
その頑なさも愛しているよ。
「手書きのメモを用意するのはね、君に、手紙を書いている気分なのだよ」
そう言って微笑んでみせると、君は懐かしい表情になった。
困ったように笑む、僕の好きな顔。
「今はあまり時間がなくて、すまないね」
「いえ。ご用件は?」
仕方ない人だと、君の顔が語る。
そうだね。
僕は君の前に立つと、仕方のない人間になってしまうのだよ。
「用件は君の顔を見ることと、これ」
白い封筒を示して、君の気がそれたところにキスをした。
唇に軽く触れるだけの、音すらしない静かなキス。
「なっ……社内では、ダメですって、あれほど……」
「仕方ないじゃないか、君がかわいいんだもの」
「かわいくなんかありません!」
「かわいいよ。君は僕にとっては、世界一かわいい人だ」
本当は怒鳴りつけたいのだろう。
いつも、二人きりの時は遠慮なんかしない君だものね。
社内でこうして君にちょっかいをかけるのは、君がそうやって真っ赤な顔をして、いろいろと我慢して困るのを見るのが好きだからだよ。
人目を避けているっていう部分で、僕がかなり妥協しているのは、考慮してほしいな。
かすめ取るようなキス一度で我慢して、僕は君に封筒を手渡す。
「結婚式の招待状」
「え?」
「『彼』から預かってきたよ。どうするのかは、君に任せる」
「では、出席で」
「いいの?」
「もちろん……もう、昔の話ですし、あなたも、出席するのでしょう?」
「断れない義理があるからね」
「あなたが一緒に行ってくれるなら、出席でお願いします。ああ、でも……あなたに、返事を任せてもいいですか」
「わかった。手間を取らせたね」
「いえ。では、これで」
「今日、行くよ」
退出する君にそう告げると、「はい」と短くかわいらしい返事があった。
彼、というのは僕の親せきで、君のかつての思い人。
関わったアレこれは、君にとっては辛いものだった筈なのに、今は穏やかに僕に任せるという。
本当にかわいい人。
僕が君に手紙を書く気分でメモを渡すのは、彼の影響だと知ったら、君はどんな顔をするだろう。
学生時分……まだ君が彼に夢中だったころ。
彼からの手紙に、キスをしているのを見たことがある。
図書室の淡い光の中で、大事そうに紙にキスをする姿を見て、僕は君に見とれてしまったんだ。
あれからもう何年もたって、君は僕の思いに応えてくれるけれど、あの光景は僕の心に焼き付いて離れない。
僕からの手紙にも、そうしてくれたらいいのに。
そしてあわよくば、その姿を見ることができたらいいのに。
そんなことを思ってしまって、僕は今でも君に手紙を送ることが止められない。
手紙を送ることを君は嫌がるのだけど、これが僕のひそやかな願いだよ。
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