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それぞれの気持ち
観光地と言えば、ちょっと変わった産地限定アイスがあったりする。道の駅『明治の森・黒磯』ではズバリ『牧草ジェラード』というのがそれだ。キャッチコピーが……
――食べれば牛の気持ちが分かります
「牛の気持ちがわかってもな~」
文句を言いながらもアイスをすっかり食べきってしまうと、巧人は癖のようにスマホを立ち上げた。
――某アイドルグループのセンターが失踪?
スマホのトップニュースがそれだった。
「アイドルってのも大変なのかね~」
「え? なんで?」
帽子をさらに深くかぶり、下を見ながらアイスを食べていた知世が驚いて巧人のスマホを覗いた。
「げっ 写真まで載ってるじゃん。いつ撮られたし」
「ん? あーこれね~アイドルTさん……写真ボケててよく分からねーけどー」
「……アンタ、マジで言ってんの?」
「え? なんか俺変なこと言ったか?」
「…………マジか……天然か」
失踪中のアイドルTさんこそ乃木知世である。写真がボケているにしても今、知世が着ている服装そのままの写真なのだから、普通は気がつくはずだった。それに知世はかなり有名なアイドルだったし、知世自身も自分のことを知らない日本人は居ない! とさえ思っていた。だから、目の前に居ても気づかない巧人に苛立ちなのか、寂しさなのか、少し複雑な気持ちを抱いた。それでも、少しすると納得したように笑みがこぼれた。
「ま、そのほうが……いいのかもね」
そうだ。知世は目的はあったものの、仕事の慌ただしさや東京のせわしなさからやっと逃げてきたのだ。だから、ここで自分が失踪アイドルだと暴露する必要なんて無い。
「なんか言ったか?」
「いーえ! アンタかおバカさんだって言っただけです」
「言ってんじゃん。って、バカじゃねーし。バカじゃねーよ! 進級ギリギリだけどさ」
「いやいやいや、それってバカなんじゃ……って私もヤバいんだった」
「なんだよ同じなのかよ」
「いや違うし。私の場合は出席日数的なアレがダメなだけだし」
「ふーん~。こんなとこで遊び呆けてるからだな。それは」
「はーあ? そんなんアンタもでしょーが」
「ふっ、だろ? 同じだろ?」
「ちっ、食べ終わったんなら行くわよ!」
その場に居合わせた観光客がどうやら知世のことに気がついたように感じて、知世は席を立った。
「ちょ、どこ行くんだよ~」
「とりあえず……アレよアレ」
知世が指差したのは道の駅の奥にある旧青木家那須別邸だった。その建物は、明治時代、ドイツ公使や外務大臣等を務めた青木周蔵がドイツ様式を用いて建てた別邸で、国の重要文化財にも指定されている白い建造物だ。内部を見学することができるので、ふたりは入場料を払うと中へと入っていった。
「ここでもない……か……で? アンタ感想は?」
「俺?」
「だから、アンタしかいないって言ってるでしょ」
「んー、白い? 古い?」
「ちっ、やっぱそんなもんよね」
「あと……人の人生なんてあっという間なんだなぁ~って感じ?」
「え? なんでそーなんのよ」
「いや、だってさ。えっとここ建てた人、偉い人らしいけど、ドイツの貴族に憧れてこんな立派な建物建てても20年かそこらで死んじゃったんだもんなぁ~。ま、まだ二十年も生きてねー俺が言うのもなんだけど、人生ってあっという間なんだなぁ~ってさ」
「………」
知世はまず巧人の目を見て、それからその口元に視線を落とした。そして話の最後には床の模様をジッと見ていた。
「そう……そうよ。時間がないんだ私には」
噛みしめるようにつぶやくと顔を上げ、二階のバルコニー越しに広がる風景に目をやった。木々の間を抜け、爽やかな風が吹き抜けていく。
「ああ……風が吹いてる」
「ん? ああ……だな。いい風だ」
「うん」
巧人も隣に立って外を見た。いいや、外を眺める知世を見ていた。
「オマエさ、いい顔すんじゃん」
「は? いやいやいや、なにその上から目線。逆でしょ、逆にでしょ、アンタもたまには良いこと言うじゃん! って思ったのに。この見直しかけた気持ちを返してよ!」
「意味分かんねー……ってアレは……」
道の向こうから黒いスーツを着た男数人が歩いているのが見えた。観光地に黒装束黒装束は目立つ。
「アレ……さっきの車のヤツじゃねーの?」
「ちっ、嗅ぎつけられたみたいね。行くわよ」
「お、おう。なんかセリフがスパイっぽくて……笑えるな」
「笑うな!」
「へーい」
ふたりはなんとか裏道から逃げた。駐車場に回ると確かにさきほどの黒いワンボックスカーが停車していた。
「よし、パンクさせてやる~」
そう言って、どこから拾ったのか釘をタイヤに刺そうと近づいた知世だったが
「いや、やめろよ! さすがにそれは犯罪だぞ?」
「ちっ、命拾いしたわね」
ふたりはバイクを押しながら静かに駐車場を後にした。
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